実らなかった恋にもちゃんと実ができている
わたしはこの言葉に幾分と救われた。
最近やることが無くて本をよく読むようにしている。
ありもしない情報で溢れているSNSに少し疲れてしまって、離れている間SNSからのインプットが無くなったからそれを本で補う感覚だ。
「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」というルミネのキャッチコピーを知ったのが確か高校生の時。
そのキャッチコピーが忘れられず、同じ題名の本に手を伸ばしたら大当たりだった。
わたしは長らく恋をしていない。
というか、恋愛に対してもはや少しひねくれている、拗ねている、という表現の方が正しいのか。
5年ぐらい、とある年上の人が好きだった。
4歳も年上で、初めて出会った時、当時高校生だったわたしには、彼が随分と大人に見えた。
それでいてわたしと対等に接してくれて、面白くて頭も良くて、背も高くてかっこよくて、憧れもやさしさもひっくるめて好きになるのには時間がかからなかった。
好きな人のことを思うと勉強だってめちゃくちゃ頑張れて、隣に立つことをあれこれ夢見て、わたしはこの人と結婚するんだ!なんて本気で思っていた。
それが呆気なく崩れたのは間もなくだったけど。
バレンタイン、今年こそは本命を渡そうと(毎年義理を装って渡していた)意気込んでいた直前に彼女が居ることを知ったしなんなら何も告げずに遠くの土地に行ってしまった。
自慢の二重幅もパンパンに腫れて一重になるぐらい泣いたし、友達に電話してまた泣いた。
眠れなくて失恋ソングを聞いたら有り得ないほどの虚しさが押し寄せてきてまた泣いた。
あれこれ寂しさを紛らわせてなんとかやり過ごして20歳になる誕生日の日。
1人で過ごすのも虚しいから映画でも見に行こうって思い立ったように電車に乗ったその車両にその人が居てたまたま再会した。
どうしているの、これからどこに行くの、なんて尋ねたらたまたま帰ってきていてこれから彼女とデート、なんて聞いて笑顔を貼り付けて見送った。
aikoさんの『気づかれないように』という曲にぴったり当てはまるようで、この曲が聴けなくなってしまった。
それでも失恋の傷を癒したのは紛れもなく時間で、今はaikoさんの曲だって聴けるしそのずっと好きだった人への気持ちも綺麗まっさらだ。
未練もないと言いきれる。
でも、ティーンエイジャーという女ざかりをささげた人と結ばれなかったのはほんとうに惨めだと思っていた。
週末に彼氏と出かけたり、夜遅くまで彼氏と電話する妹たちの声が漏れては虚しい気持ちになった。
いいなと思う人が現れても、それ以上も以下もなく、進展もせず終わっていく。
暇だと言えば、「彼氏を作らないお前が悪い」と言われてるようにさえ感じた。あ、これはただの被害妄想なんだけど。
当然家でわたしの前で恋バナするのはご法度みたいになっている気がするし(ぼろぼろになったわたしを見かねた家族なりの気遣いかもしれないけれど)、やっぱりわたしはどこか「恋をしたってメリットなんぞない」と意固地だった。
そして思い出に固執しては「あの頃のわたしは健気で可愛かったな」なんて思った。
と、ここまで書いてきてどこか拗ねているなあとやっぱり苦笑する。
"実らなかった恋にもちゃんと実ができている"
という言葉に出会うまでは。
物語を読み進めて3つ目のお話。
好きな人がもうすぐ外国に行ってしまうので「付き合って欲しい」ではなく「ちゃんと好きだったよ」って伝えたい。
そんな描写に心臓がぎゅっとなって、最後に書かれていた"実らなかった恋にもちゃんと実ができている"という一文を読んでやっと心がふわっと軽くなった。
わたしは散々、ここ5、6年の恋愛話を自虐ネタのように話しては傷つく日々だった。
「そいつのどこがそんなに良かったん」なんて何回言われたかわからない。
けど、確実にわたしの経験は実を結んでいる。
恋は実らなかったかもしれないけれど。
この言葉のおかげで、この恋はもう成仏できそうだ。
彼氏?
今は別に特段ほしいとも思わないし、自分のためにお金と時間を使い自分のために消費しているのが楽しくてうつくしいから別にいい。
彼氏が居ないことを引け目に感じなくてもいい。
わたしはわたしらしく、前に進んで行けることができればそれで。
失恋でつくった深い傷をそっと覆ってくれたこの本は言葉の魔法だなあと思う。
とあるアイドルが言った、「人は必要なときに必要な人に会う」という言葉と少し似ている気がする。
必要なときに必要な本に出会えたから、この本はきっと一生の宝物だ。
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