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#咎めずに見る
私たちはどうやって価値判断なしに、あるがままに見れるようになっていくのか?
どれも等しく自我であり、等しく幻想である 私たちは「自分はこの世界の中に存在している」と信じています。
ということは、「自分は身体である、自分は人間であると」信じているということでもあります。
それが何を意味するのか?というなら、
つまりは、本当の自分(真の自己)を忘れて、自分が何者なのか?がまったく分からない状態になっているということです。
自分の本性をすっかり忘れて、「自分は身体であ
自分を向上させるためのスピリチュアリティとはまったくちがう
この自分が聖者になるという霊性の道ではないときに、私たちはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)について誤解したところから、その学びと実践をしていたりするときがあります。
この自分がより良き自分に、より素晴らしい自分に、より崇高な存在に、そのような自分になっていくためのものだと思いながら、コースを学び、コースを実践していたりするということです。
この自分が裁かない人間になるとか、
この自分
裁くことをやめられないときは、どうしたらいい?
裁き、攻撃が止められないときコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていくとき、つい私たちは裁かない(攻撃しない/咎めない)自分になろうとします。
でも、私たちが覚えておかなければならないのは、コースはそのような実践をしていくような霊性の道ではないということです。
もし裁かない自分になろうとするならば、余計に自分を咎めてしまうことになってしまいます。
コースの実践で私たちがしてい
私たちは幸せになるためにこの世界にいるのではなく、じつは、その真逆である
無意識のレベルが明らかになっていくとき私たちは誰もが幸せになりたいと思っています。
誰一人も幸せになりたくない人などいません。
だからこそ私たちは幸せになろうとして、この世界で日々をあくせく生きているわけです。
そんな人たちの中でも、物質的なものでは幸せにはなれないと気づいた者たちはスピリチュアルにその幸せを求めはじめるわけです。
そしてさらには、スピリチュアルですらも満たされることのなか
自我との同一化から脱却して、解放されていくために私たちがすべきこと
自我について、自我の思考体系について知るコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶとはどういうことか?
というなら、コース学習者は聖霊の思考体系について学んでいくことはもちろんのこと、 自我の思考体系についてもしっかりと学んで、そして理解していくということです。
なぜなら、それらを理解することなく、聖霊と共に自我を直視するという実践などできないからです。
まず私たちが知らなければなら