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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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2021年8月の記事一覧

逃亡者となってしまっている私たち

逃亡者となってしまっている私たち

この逃亡者のストーリーは、この世界に居る私たちに共通する神話だといえましょう。

逃亡劇のストーリー自分が神を殺害した張本人であるにもかかわらず、
つまり、殺害者であるにもかかわらず、
その罪から逃れるために、
私たちは、さまざまな工作をすることになったのです。

その工作とは、
自分こそが被害者となり替わって、
自分以外のものに罪を擦(なす)りつけるというものです。

さらには、
自分は卑小な者

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「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です


私たちは「本当の幸せ」を忘れて知らないこの世界の中には自分を幸せにしてくれるものや自分を満たしてくれるものがたくさんあるかのように見えます。

ただし、そのどれもが、所詮、仮の、一時的な、代用、代替にしかすぎないといえます。

それが、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティが教えていることです。

ノンデュアリティのスピリチュアリティを探究していくのであるならば、当然、そういうことを理解

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何をコースで学ぶのか?コースを学ぶ必要なんてあるのか?

何をコースで学ぶのか?コースを学ぶ必要なんてあるのか?


何をコースで学ぶのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、どういうものなのか?

というなら、Unding(取り消し)、Unlearning(学んだものを白紙に戻す)の霊性の道であると言うことができます。

言い換えるならば、脱・洗脳の霊性の道と言うこともできます。

つまり、それは、二元性の思考体系からの脱・洗脳の道なのだということです。

コースの言葉で言うならば、自我の思考体系か

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壮大な夢のドラマから目覚めていくために

壮大な夢のドラマから目覚めていくために


私たちは壮大な夢のドラマを見ている自分は何者なのか?をすっかり忘れてしまっている、それが私たちです。

「自分は人間である」とすっかり信じ込んでいて、その人間としての主人公の人生をより良くしようとあくせく生きているわけです。

それが、大いなるジョーク(冗談/嘘)であるにもかかわらず、です。

何のために生きているのか?

なぜここ(この世界)にいるのか?

そんなことに疑問すら抱くことがありま

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