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#ヴィジョン
真の知覚を修得することが、コース学習者の私たちが目指しているものです
奇跡の第一原理についてコース(奇跡のコース/奇跡講座)のテキストの最初から出てくる言葉が、
「奇跡に難しさの序列はない」
というものです。
奇跡に難しさの序列はない。
この概念は、奇跡の第一原理と呼ばれていいるものであり、コースの教えのもっとも真髄となる概念だと言うことができます。
しかも、それは、私たちが完全に修得するべき概念であるといえます。
これが何を意味するのか?
要約するな
本当に「行き詰る」ときこそ、別の見方が開かれるとき
別の道があるはず ~There must be another way.コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の霊性の道を歩んでいく上で知っておいたほうがいいのは、そのプロセスにおいて誰もが必ずと言っていほど、ある時点で「行き詰る」ことになるということです。
つまり、コースを学んでいくことがつらくなったり、苦しくなったり、嫌になったりするということです。
コース学習の道を真摯に歩んでいく
それが虚偽だと知覚されているとき、そこには平安があります
誰が学んでいるのか?誰が訓練しているのか?コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスにおいては、学びが進むたびに「自分は間違っていた、自分は分かっていなかった」という気づきが起きていくことになります。
言い換えるなら、「自分は間違っていた、自分は分かっていなかった」と認識するときが、学びが進んでいるときだと言うことができます。
そして、そのたびに、そこからが学びのプロセスの次なるステージ
これは、私たちの想像をはるかに超えていく霊性の道である
非常にラディカルな思考体系ワプニック博士は、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティ(霊性の道)について、このように云っています。
”This is a very radical thought system.”
「これ(コース)は非常にラディカルな思考体系なのです。」
「ラディカル(radical)」という言葉の意味を調べると、「急進的、過激、極端」というような意
霊的体験にまつわる自惚れや驕りなどに警戒しましょう
スピリチュアルな探究の旅を振り返って振り返れば、私にとって、このスピリチュアル探究の旅ももうかれこれ30年以上になります。
ずいぶん長い旅をしてきたと感じています。
この旅は、もはや時間という幻想を超えて、今この瞬間へと戻っていく旅となってきています。
そもそもスピリチュアル探究のはじまりとなったのが、仏教でいうところの「悟り」「解脱」というものを知ったというところからでした。
それは私
自我の巧妙さを見抜けるようになるために
正直でいること私たちは「自分は肉体である」と信じ切っていて、まるでそのことを疑うことすらありません。
いくら「自分はスピリットである」と学んだとしても、それは単に知的な頭の理解でしかなく、自分の内側に正直になるならば、やはり「自分は肉体である」と信じ込んでいるわけです。
「自分は傷つく存在である、自分は死ぬ存在である」と信じているのは明らかです。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)
私たちが「人生」と呼んでいるものとは?
観察者となれワプニック博士は次のように語っています。
「いわゆる私たちは、スクリーンの前に座って、それがはじめて起こったように、すでに起こっていることを観察している観察者です。 しかしながら、私たちの経験では、私たちは実際に観察しているその一部に参加してしまっています」と。
それが意味しているのは、私たちがこの世界で経験していることのすべてが撮り終えたドラマなのだということです。
本当の私た
赦しの3つのステップについて
赦しの3つのステップの手順と目的についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の赦しを実践していくにあたっては、「赦しの3つのステップ」というのが基本にあります。
ただし、実際に赦しの3つのステップの実践を試みて分かるのは、まずはその第1ステップですらもなかなか難しいということを知っておくとよいでしょう。
赦しの実践では、動揺したとき、その動揺を使ってそれが投影であると気づいて、その原因