これは、私たちの想像をはるかに超えていく霊性の道である
非常にラディカルな思考体系
ワプニック博士は、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティ(霊性の道)について、このように云っています。
”This is a very radical thought system.”
「これ(コース)は非常にラディカルな思考体系なのです。」
「ラディカル(radical)」という言葉の意味を調べると、「急進的、過激、極端」というような意味になります。
ラディカル、、、たしかに、その言葉の表現がとても納得いきます。
だからこそ、このコースという霊性の道が純粋非二元と呼ばれるのだといえます。
このコースは中途半端には学んではいけないということです。
分離の想念の一つでも信じるならば、もはや、それを為し遂げることなどできないわけですから。
その思考体系は完全に修得されなければならないわけで、そうでないならば、ただ訓練あるのみだということです。
それは、オール(all)か、ナッシング(nothing)か、だということです。
完全に修得するか、もしくは、そうでないか、ということです。
目覚めか、もしくは、そうでないか、そのどちらか一方しかないのだということです。
そのような考え方を、一元的思考と呼んでいます。
私たちは、そのような考え方を修得していく必要があります。
ちなみに、それと対照的なのが二元的思考と呼ばれているもので、普段の私たちが考えている思考体系がそれです。
その二元的思考は、どちらか一方というわけではなく、白でもなく黒でもなくグレーなまま、曖昧にすることができて、矛盾したいくつもの思考を抱えながら混乱している思考体系のことを言います。
そして、普段の私たちがそのような思考体系の状態にあるということです。
ですから、コース学習者の私たちはコースを通して二元的思考から一元的思考へシフトしていくことが求められているということです。
私たちの想像をはるかに超えていく霊性の道
コース学習者の私たちは二元的思考から一元的思考へと、ものの見方や考え方(思考体系)をシフトしていくことを目指しているということです。
それは、知覚のシフトも伴うものであることを知っておきましょう。
その知覚とは、
「すべてを一なるものとして包含して見る」
という知覚の仕方です。
それこそが「分離」に対する訂正の知覚の仕方であるわけです。
肉体の目(肉眼)で見ている限り、すべてを全一としてではなく、ちがい(相違/差異)を見てしまいます。
ですから、私たちはその知覚を訂正していく必要があり、つまりは、すべてを同じ(全一)として見ていく訓練をしていくということです。
その訓練は、肉眼で知覚している世界のいかなる状況も出来事も、動揺したなら、それが投影であることにいつも気づいていく訓練です。
そのようにして心に戻る訓練をしてくわけですが、それを「赦し」と呼んでいるわけです。
コースの赦しの実践を通して、心に戻っていく訓練をしていくにしたがって、そこから見ているすべてを「一つの同じ幻想(虚偽)」として見ることができるようになっていきます。
すべてを全一に等しく幻想(幻覚/夢)として見ている知覚を思い出していくようになるということです。
コース学習者である私たちはそのような知覚を修得していく訓練をしているのだということです。
というのも、イエス、聖霊はそのように見ているからです。
つまり、「世界はない、他者もいない、(個としての)自分もいない、すべては自分の心の中で起きている夢である」と自覚/認識していくことが、このコースの目的なわけです。
そこから見ている知覚を、コースでは「ヴィジョン」と呼んでいます。
つまり、「ヴィジョン」とは、すべてを虚偽(実在しない)として見ている知覚のことを言います。
その視座を、「聖霊の視点」「戦場を超えたところ」「時空を超えたところ」というふうにも呼びます。
真のアイデンティティーである「心」の自分はその視座から、いつのときもそこからこの世界の夢を見ているだけということが自覚できるようになっていきます。
そのようにして、肉体の目で見ている視座から時空を超えたところにいる視座へとシフトしていくことを、「アイデンティティーのシフト」と呼んでいます。
それが完全になされるなら、私たちはこの世界にもはや意味や価値を見ることはなくなるでしょう。
この世界が無(虚偽)であることを悟って(知って)いるなら、当然のことです。
私たちは世界を看過して見るようになり、その代りに、あらゆるところに愛の反映を知覚するようになります。
もともと隠されていた愛の臨在が知覚されはじめるということです。
コースでは、それを愛の「延長」と呼んでいます。
愛の現存を見えなくしている障壁を取り消していくならば、そうなります。
それが、コースが教えている階梯であり、私たちが体現していくものです。
これは、私たちの想像をはるかに超えていく霊性の道だといえるでしょう。
コースを学んでいる私たちは、そのような道を歩んでいるのだということです。
そういう意味で、やはり、このコースはラディカルな道としか言いようがないといえましょう。
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