狼の咆哮と「レッド・ルースター」
その昔、日本にも狼がいた。
日本狼ってやつか。
壬生狼…
いやいや、新撰組のことではございません。
ニホンオオカミという実際の動物の狼。
調べてみると1905年を最後に確認されてないらしい。
要するに絶滅したという事か。
そして国内では3体の剝製が残るのみだそうだ。
何故絶滅したか理由は分からないが、昔日本にも狼がいた事に驚きを隠せない。
いやはや、現在に存在していたらどんな姿を見せていたのだろう。
それは分からないが、狼と言えば強そうなイメージがあり現に昔、読売巨人軍の監督であった長嶋茂雄氏が、ルーキーの高橋由伸に対して「ウルフ」なんて形容していたことが何となく狼という言葉を上手く使っていると思ったり、思わなかったり…。
他にも強そうかどうかは分からないが、一匹狼なんて言葉もある。
群れることなく一人で渡り歩く…。
何か憧れますね(笑)
後、狼と言えば「遠吠え」ってのも一つの特徴なのではなかろうか。
どうやら正確には分からないが、仲間との意思疎通のために遠吠えをしているそうだ。
一体どんな吠え方なんでしょうね。
聞いたことないから全く分からないが…。
ただ、その狼の咆哮を自らの芸名にし、体躯な身体に迫力ある濁声、そして喉を振り絞ってがなるような迫力ある声を出し時に味わい深いモーン(叫び声)を上げる特徴的なブルース・マンなら知っている。
アメリカ合衆国はミシシッピ州で生を授かり、後にロック界の後輩達に絶大な影響を与えた人。
チェスター・アーサー・バーネット
後に芸名で「ハウリン・ウルフ」と名乗るそのお人だ。
遠吠えする狼って感じ?
いやはや、この時代の人の芸名ってのはインパクトがありますね。
マディ・ウォーターズ(泥水)とか、ライトニング(雷)とか…。
ハウリン・ウルフは1910年に生まれ、1976年に亡くなっている。
ウルフはプランテーションで働いていたので、古参の歌手などから学んだりしていたそう。
その中に、ミシシッピ・デルタ・ブルースの「王様」とも言えるチャーリー・パットンからギターの手ほどきを受けたそうだ。
その後ウルフは一時軍隊に入隊した後、復員して農業の小作人として生計を立てていた。
1940年代後半にはバンドを結成し、ウルフの強烈な声もあって注目を集めていたそう。
さらにディスクジョッキーなども務めていたそう。
そしてウルフは1952年にシカゴに移住。
キャリアとしては1951年にデビューという事だから41歳でプロとしての音楽活動がスタートという事か。
現代風に言えば遅咲きの部類に入るのであろう。
そして1954年にギタリストとして、ヒューバート・サムリンが加入し(ウルフが亡くなるまで相棒として活躍した)、迎えた1959年に契約を交わしていたチェス・レコードから初めてのLP「モーニン・イン・ザ・ムーンライト」を発表し、以後チェスから音楽を発信していく。
そして1962年にチェスで発売された2枚目のLPで本人の名前を冠した「ハウリン・ウルフ」というLPを発売した。
ちなみにジャケットがロッキン・チェアのデザインなので通称「ロッキン・チェア」アルバムと呼ばれる(らしい…。)
さてこの2枚のアルバム、どうやら一時1枚にまとめて売られていた時があるらしい。
それはひょっとしたら今でも普通に1枚バージョンが売られてるものかもしれないので、悪しからず。
なので迂闊な事は言えないが、たまたま中古CDショップで1枚バージョンが、しかもデジタル・リマスターが施されているCDだったから掘り出し物だと思って即買いした記憶がある。
ハウリン・ウルフの初期の録音集。
それは丁度、これから音楽界に名を残す人々が1リスナーとしてウルフの音楽を聴いていた頃にあたっているのかな。
実際、ウルフの楽曲をカバーした歌手やバンドは多く、2枚目の「ロッキン・チェアー」アルバムに収録された曲はクリームや、スティービー・レイ・ヴォーンなどにカバーされているそうだ。
そして大好きなあのバンド、「ローリング・ストーンズ」もこのアルバムからウルフの曲をカバーしている。
その一つにストーンズのカバーしたバージョンからその曲の事を知り、今では大好きなブルースナンバーがある。
「リトル・レッド・ルースター」だ。
ミックのサラッと歌う若々しい声とブライアンのスライドギターが特徴的なブルース・ナンバーだ。
1965年にストーンズが発売した「ローリング・ストーンズ・ナウ!」に収録されており、ライブアルバムである「ラブ・ユー・ライブ」や「フラッシュ・ポイント」などにも収録されている。
やっぱりこのギターの「ビヨ~ン」って音が特徴的ですよね。
ダ・ダ・ダン…ビヨ~ン…。
えらく耳に残るんすよ(笑)
そして本家のハウリン・ウルフバージョン…
ちなみに、ウルフの方は「ザ・レッド・ルースター」とタイトルはなっている。
やっぱりウルフのあまりにも特徴的すぎる濁声の迫力たる事よ。
間をたっぷりと使い、振り絞るように出すその声は何とまあ、凄いの一言です。
後、時折聴こえるスライド・ギターの鳴らすタイミングや押し引きが素晴らしい気がする。
テンポはゆっくり目で非常に味わい深い感じになっている。
それにしてもウルフの声って強烈だなと改めて感じてしまう…。
いやはや凄いもんだ。
そしてこのブルース・ナンバーである「リトル・レッド・ルースター」。
ライティングを担当したのは当時のチェスで音楽プロデューサーや、ソングライターであったウィリー・ディクスンが担当したそう。
そしてここで面白いのが、ディクスンがウルフがチャーリー・パットンから音楽の手解きを受けていたという事実を知っていた事。
成程、ディクスンは既にウルフの事をどうプロデュースしていこうかというのが頭の中にあったのかもしれない。
パットンと交流があり、後釜とも言える候補だったことを最大限に活用して、ウルフの代表曲であり、ロック界にも影響を及ぼす2曲を生み出したわけだから。
バディ・ガイの代表曲「初めてブルースに会った時…」もディクスンのプロデュースである。
この曲も過去にリトル・ブラザー・モンゴメリーというブルース・ピアニストが作った作品にあたる。
それをバディに吹き込みを提案したのはディクスンであり、何だかプロデュース能力に長けている人のような気がする。
この伝統を管理するという事が大事なのかもしれない。
ディクスン氏が作った曲がどれだけあるかは把握はしていないが、こうやって伝統を重んじる事によってパットンの作品がウルフの代表曲のフィーリングになり、そしてそれが当時若い世代のローリング・ストーンズがカバーした事によってその世代、そして世界の人々に知られることになる。
ひいては「リトル・レッド・ルースター」は全英1位も獲得しているとか…。
そのおかげでこうやって現代にまで後世に残る作品として、「リトル・レッド・ルースター」は聴き継がれているわけだから、まあ最高な話なわけである。
そしてそのウルフの「リトル・レッド・ルースター」の元ネタと言われているパットンの曲が「チャボの雄鶏ブルース」(Banty Rooster Blues)だそうだ。
っとまあパットンの作品を紹介してますが、あまり聞いたことはないんですが…( ;∀;)
どうかご容赦を!
ウルフのレッド・ルースタ―も「赤い雄鶏」のことを表している。
ちなみに調べてみたところBantyとは小型の…っと言ったニュアンスだそう。
ウルフの歌詞にも「リトル・レッド・ルースター」とある。
そしてパットンのブルースの歌詞を一部…
序盤の一節のみ見てみると、チャボを裏口に配すというのが意味深である。
見かけないやつとは果たして…。
何を一体飼い主さんは考えているのだろうか?
よくブルースの歌詞では「ダブル・ミーニング」の深みがあるという。
曲は更に展開してゆき、鶏の事や釣り竿の釣り針の事まで出てくる。
いや~、どうなんでしょうね。
対してウルフのバージョンは…
こちらは怠け者の鶏の事から始まっている。
農場を荒し回っているとあるが、後半にどうやらその鶏がいなくなり殺伐としているという風にもっていかれている。
こちらもまた意味深…。
果たして鶏が何を意味しているかという事か。
そもそも深い意味はなく、ただ農園の鶏の様子を歌っているのか…。
結論はどうなんでしょうね?
っとまあ何となく歌詞のことも少し触れてはみたもののアルバムのウルフのド迫力の声は必聴ものであり、程良く南部のダウンホームなニュアンスを感じさせ、ウルフのアクの強さをしっかりと受け止める演奏陣のバンドサウンドも必聴だと思う。
一枚目の「モーニン・イン・ザ・ムーンライト」の一曲目である「モーニン・イン・アット・ミッドナイト」の出だしのウルフの低く唸る咆哮からその世界感は広がっていく。
後世にまで残っていくのはやはりそれなりの理由があるんでしょうね!
ってなわけで、今再び聴き込むとするか…。
最後に色々と間違っている箇所もあるかもしれませんので、どうかご容赦ください!
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!
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