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【番外編02】試みに全内容公開。「島への旅、浄化: Short story & Photos (Abbey / Kindle Unlimited)」
今日は休日の夜ということもあって、番外編02を。↓番外編01はこちら
さきほど番外編を書いてみて、試行錯誤中のkindle本が、どんなものか、紹介するのも悪くないと思った。そこで試みに、最新のものを以下に公開してみる。本のほうでは「文章のページ」「写真のページ」が順番に現れる構成。今後また変わっていくかもしれない。
こんな実験ができるのも、ウェブの愉しいところ。自由な発想と工夫次第でできることが尽きない場なのだと、嬉しく感じる。
『島への旅、浄化: Short story & Photos』 (Abbey /Kindle Unlimited)
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01■
わたしは一時期、休暇を取ってはその島に通っていた。
世界遺産や有名リゾート地もある、9時間ほどのフライトで到着できるその島国で、わたしが目的としたのは、滞在型の(自主的な)療養だ。
そこには伝統的医療、アーユルヴェーダをベースとした長期滞在施設が数多くあった。
数日の滞在でも可とする観光客向けから、まとまった宿泊数の個人客しか受け入れないところまでさまざまだ。費用は比較的安価で、当時は現地の治安も安定していた。
初回は日本人観光客対応の施設に滞在し、すっかり気に入ってしまって、その次からは手配旅行で、2週間程度の滞在をするようになった。
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02■
施設での生活は、単調だ。
初日に、担当のアーユルヴェーダ医による問診があり、既往歴や体調を伝える。自分の「タイプ」が診断され、それに合った食事、トリートメント、場合によっては投薬(自然由来の飲み薬)の内容が決まる。
食事は3食付きで、ブッフェも多い。施設によっては完全ビーガン(菜食)の場合もある。
トリートメントは、日本でもおなじみのアロマトリートメントで、午前と午後に1回ずつの場合もあれば、1日1回のこともある。施設によっては鍼治療が加わる場合もあった。
基本それ以外は自由なので、滞在者は思い思いに過ごす。ヨガといった、アクティビティが用意されている場合もある。
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03■
わたしはそれらの施設に、常に一人旅で通っていた。特殊な目的、長すぎる旅程とあって、そもそも同行者を得るのは難しい。
ただ、滞在先では同じように一人旅の日本人にも結構出逢って、滞在の魅力を分かち合ったりもした。
雰囲気はずいぶん違ったが、本格的といわれる施設は古めかしく、海外の経営者によって運営されている場合もあった。
滞在者も高齢のヨーロッパ人中心といった感じで、数カ月単位で滞在している夫婦や、グループでコテージをシェアしている人も。
いわゆるリゾートホテルとはいい意味で一線を画す、生活感があるというのか、どこか落ち着いた雰囲気が漂っていた。
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04■
滞在中はとにかく手持無沙汰となる。
当時は多くの場合、敷地内にWi-Fiスポットが一カ所あるくらいだった。必然的に読書をし、それに飽きると周囲の人と話すようになった。
ドクターは記憶する限り、全員が女性だった。ある年配のドクターは仏教説話のような話をいくつか聞かせてくれた。
「過去でも未来でもない、今を生きることが大切」「歩くとき、右の足を出したら右、左の足を出したら左、と心の中で声に出しながら、それだけを考えて歩きなさい」というようなことだ。
異国の風景を窓の外に見ながら、英語で話されると、それらの言葉は重みを持って自分のなかに落ちていった。
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05■
トリートメントは、どの施設でも、自家栽培らしい薬草を活用していた。「スチームバス」といえば、巨大に成長した薬草を敷き詰めた蒸し風呂で、文字通り「蒸される」。自分が食材になったような可笑しさがあり、若いセラピストと笑いあった。
マッサージは、たとえばオイルを眉間にたらす「シロダーラ」が有名だが、とにかく油をふんだんに使う。目を油で洗うトリートメントのように、若干の勇気が必要なものもある。
日本で生活していると、サロンにはせいぜい月に1度か2度しか行かない。毎日、マッサージされるとどうなるか? 身体がひたすら柔らかくなり、とにかくよく眠れるようになる。そもそも食事も管理されているので、身体が軽い。
「柔らかく、かつ軽い」は、新鮮な身体感覚だった。
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06■
そんなふうに、足掛け2年ほどの間に、かなりの回数渡航した。
なぜそれほどそこに足が向いてしまうのか、わからなかった。ただ、あるとき、「これでおしまい」を感じさせるできごとがあった。
最終日、わたしは「イブニングヨガ」に参加していた。そのヨガ施設は塔のように高い位置にあり、風が吹き抜ける。「モーニングヨガ」のときは山側からの日の出を、「イブニングヨガ」のときは、海側の夕陽を観ることができる、粋な造りだ。
夕刻。素晴らしい夕陽が期待できそうだった。チェックアウトを延長していて、暗くなった頃部屋に戻れば迎えの車に間に合うくらいの余裕があった。
最後の瞑想の時間が惜しく感じられて、先生にお礼を言うと教室を去り、ビーチに向かった。
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07■
目の前はインド洋だ。この先は、南極大陸しかない。雲がすごい速さで過ぎ去っていく、風が強い。
膝まで海水に浸かり、夕陽を観た。
そのときだ、涙がすっと出てきた。特に感情は動いていない。美しさに感動していただけなのだけど?
涙腺の蛇口を誰かがひねってそのままにしてしまったかのように、涙は続いた。最後の夕景の美しさには浸っていたかったから、とりあえず涙の洪水は無視して、サンセットを最後まで鑑賞したけれど・・・だんだん「困ったな」という気分になってきた。
涙はひたすら、自分の意志に反して流れ続けている。そしてそれは「夜、フライト開始まで」続くこととなった。
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08■
迎えの車に乗り込む。とりあえずサングラスをかけた。空港に到着し、チェックインし、免税店を見て、搭乗ゲートに向かうときにも、涙は流れ続けていた。
搭乗して席につき、「このままもし止まらなかったら、さすがに困るな」と思う。そして・・・・眠ってしまった。
それは、抗いがたい眠りだった。そういう眠りは今でもある。そしてそれは、パソコンの強制終了のごとく、重要なときに起きる。
ふと目覚めたとき、どこか一瞬解らなかった。涙は乾いていた。照明が落とされた機内。
そして気づく。ふしぎな、軽やかな感覚。
ふと、と心に浮かんだのは、「デトックス、完了!」
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09■
今振り返ると、なぜその2年ほどの間に、そんな遠くまで「癒されに」行っていたのか、理由を描くことはできる。
その翌年、わたしに大きな病気がみつかった。幸運にもごく初期の段階で、入院・手術を経て完治させた。
その地を求めたのは、心身が弱っていたからにほかならなかった。
病気は身体だけのものではない。その病気に気づき、検査を受け、状態を受け容れるまでには、心のほうを整える必要もあったはずだ。
身体をやわらかくし、人の手と心に触れ、笑い合い、また言葉に納得して、という、心をほぐし、心身に溜まった「不要なもの」を出す必要があった。その島に通ったのは、人との触れ合いも含めたそうした癒しが、わたしに必要だったからだ。
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10■
人は必要なものに、理由もなく惹かれる。そして必要がなくなれば、惹かれなくなる。
「理由もなく」と書いたけれど、実は理由はある。
それは、あてずっぽうのものではなく、その人が生まれてから現在に至るまでの間に、聞いて、見て、感じることで得てきたすべての情報が蓄積された、「無意識という自分」が、「必要だ」と訴えている叫びだ。
自分自身の「声にならない声」が、心の底からの渇望として、必要なものを教えてくれる。
わたしはそれを、直観というものだと信じている。
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11■
その国はその後、政情不安により、わたしが訪れていた頃とはようすが変わってしまった。
そしてわたし自身も、もちろん変わった。
わたしは、あのとめどない涙が、わたしがあの島から得るべきものはすべて得て、また置いていくものをすべて降ろした、という終わりの合図であり、去り時を示していたのだ、と感じている。
幸い、わたしの手元には写真データが残っていて、気持ちをほんの一瞬、あのときに引き戻す。
だから記憶を、ここに綴る。
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