シアスター・ゲイツ展 -03 アフロ民藝の意味するもの
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝 2024.4.24(水)~ 9.1(日)
心揺さぶられる展覧会だ。すでに何度も鑑賞した。
前回からの続きで、下のフロアガイドの向かって右の広い展示室で、呼応するように並んだ「民藝」とアートが融合した作品たちを鑑賞し、
「年表」を鑑賞し終えて、これで展示終了と思って先に進むと、意外な世界が広がっていた。
小出芳弘コレクション
それは、こんな空間だ。
この膨大な数の焼き物や道具が何かといえば、
ひとりの陶芸家の遺した、人生の証だ。
無造作に見えて、丁寧さをもって配置されている。愛情を感じる。
4月のアーティストトークでも、シアスター・ゲイツにとっての常滑市との縁、現地のアーティスト、人々との交流が、作家本人から情熱的に語られていた。
AFRO MINGEI
「アフロ民藝」「AFRO MINGEI」書かれている文字を見るたびに、確認させられる。時間をかけて展示を観てきて、はじめは違和感とともに、やがて、おぼろげながら「もしかして、こんな感じのこと?」と、だんだん形を帯びてくる、このネーミングについて。
ディスコと酒宴
空間は、さらに先につながっている。
そこはまさかの、ディスコだ。
みんなで酒を飲もう
民藝、日々の暮らしのなかにある「道具」。ハレの日もケの日も、そのどちらでもない日も。改めて美といったものを感じる余地もないくらい、当たり前にありすぎるものたち。
「貧乏徳利」たちは洋酒のごとくバーの棚に並び、その前にはバーカウンターとDJブースがあって、ミラーボールも廻っている。作家の選んだ軽快なナンバーが、踊ってくださいとばかりに空間に流れる。
常滑×ミシシッピー=TOKOSSIPPI。
1つひとつの要素は異なれども、シアスター・ゲイツの作品世界のなかでまとまっていて、とてもかっこいい。
感じる「アフロ民藝」
最後にもう一度、アフロ民藝についての説明を引用してみる。
振り返れば、各展示室(それぞれが大きなインスタレーションにも見える)からは、ゲイツのアート作品のキーワードである「文化的ハイブリディティ(混合性)」ってどんなもの? ということが伝わってきた(読み取る、より、伝わる、という感じ)。
そして、さきの説明のなかの「フィクションであると同時に真理でもある」という一節に、うん、過去の現実世界にはなかったけれど、今たしかにここにあり、これからも起こりうる世界観だよね、とひとり納得した。
そしてそのあたたかみのある混合性に、なんだかほっと癒される。
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