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直島 地中美術館,水面,モネ,そして鍵岡リグレ アンヌ -[Undersurface]鍵岡リグレ アンヌ@MAKI Gallery

 6月某日、天王洲。

 この日を待っていた。


 鍵岡リグレ アンヌ「Undersurface」(6/22-8/03)


アーティゾン美術館での出逢い

 アーティゾン美術館で展示を観て、強烈に印象に残っていた。

 アーティゾン~の作家紹介は、下のとおり。

 説明文にもあるように、その作品は立体的だ。(もちろん、すべてのアート作品は写真に撮ったときには本来のパワーをはぎ取られてしまうけれど)、写真にはとても写し取れない魅力に満ちていた。

 アーティゾンでの展示風景↓


惹かれる作品の前では欲に火が付く

 ウェブサイトを通じて、天王洲のMAKI Galleryで定期的に個展が開かれていることを知った。前回の開催は2022年。

 今回は、展示作品は40号程度の作品を中心に、大きなものでは壁画と呼べるくらいボリュームがある作品もあった。

 40号程度で200万円超の値段が示されており、そのサイズの作品にはすべて売約済シールが貼られていた(それより大きなサイズになると1000万円を超えるし、そもそも展示するスペースもない)。

 もし売れていない作品があったなら、手を出してしまっていたかもしれない。物欲はないつもりでいた。しかし惹かれる作品の前では、自分のなかのどうしようもない欲に火がついてしまうことも知った。

 それなりのサイズの絵を買い、迎え入れるのには、買う側の責任が大きく問われると最近思うこともあり、(そして自分はまだ、その準備がきちんとできているとは思えないので)売却済でよかった。


まず作品を堪能する

 まず展示風景を、そのあとで、2022年に毎月のように通った直島の地中美術館の話も絡めて、私的な話を書いていきたい。


地中美術館(直島) モネ「大睡蓮」の記憶

 本展の入口は、レセプションをはさんで2つの展示室が対になっている。

 この展示室へのアプローチと、絵の配置に、思い出すことがあった。

 直島の地中美術館。クロード・モネの大睡蓮を展示する「ために」建てられた美術館だ。2022年に通い、写真を撮ることの愉しさに改めて気づき、当noteをはじめるきっかけにもなった。

 何度も書いているけれど、地中美術館そのものが、モネ作品をも含めたひとつのインスタレーションだと捉えている。通ったのは、その完璧な展示室を「空気」ごと、自分のなかにスキャンしたかったからだろうと、あとになって気が付いた。

 その展示室の記憶が、不意に蘇ってきた。もちろんスケール感は異なるし、モネの展示室に入るときに湿度がさっと変化するようすや、ささやかにしかし効果的に降り注ぐ自然光はにわけだけど、それらが感覚としてよみがえってきた。

 原因は、もちろん、絵だ。

「水面」から目が離せなくなる

 鍵岡リグレ アンヌが描いているのは、水面だ。

 アーティゾンで観たときは、空のような、または抽象的ななにかなのだと感じてたけれど、水面に映りこむうつろう光を、作家は捉えている。

 そして(空間における絵の展示としては、そうなるのだろうが)、展示室に5枚の絵がかけられ、その中央で鑑賞者が作品に取り囲まれた中央に立つ、という位置関係も、地中美術館と同じだった。

 わたしは「水面」の表現に弱い。モネ「睡蓮」になぜか惹かれるようになってから思い当たったのだけど、あえて高松に滞在して、毎回わざわざ直島に高速船やフェリーで通うのも、「睡蓮」の前で30分も立ち止まってしまうのも、「水面」つながりだ。

 脱線するが、水面を渡ってどこまでも歩いていけそうなこのような波に惹かれるから、瀬戸内海で船に乗る。

 そう、すべての波でなく、ある種の波だ。

 その水面は、よく夢にも出てくる。そこは遠い旅先で、わたしはスマホやパスポートや地図といった、戻ろうとする手段を少しずつ失う。そしてやがて、戻る気など最初からなかったことに気が付く。目の前にはずっと波が広がっている。そんな夢だ。

新しい表現

 カメラを提げて展示室を徘徊し、ちょうどいい感じに置かれていた椅子に落ち着いていたところを、ギャラリーの方に声をかけていただいた。こういう機会は、とても嬉しい。

 作家は、画面を「盛り上げる」だけでなく、これらの作品のように「削る」ことで立体感を出す表現をも、模索中だという。

 なぜ鍵岡作品に惹かれるかという話にはじまり、直島のモネの話もしてしまった。このつながりを、口に出したのは初めてのことだと思う。お付き合いいただき、感謝。

 長い旅をしたような、満たされた気分とともに。




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