見出し画像

「母の愚痴を聞くのがイヤ」のパターン崩し

何度かこちらでも書いてますが、
高齢の実母が現在闘病中のため
いろいろと手伝いのある日常を過ごしてます。


ちょうど先月あたり、

「ああ、なんかもう、いろいろめんどくせーー」

という気持ちMaxになった時があって。


なにがめんどくさいのか
自分に問いかけたことがあったんです。


なにが面倒くさいんだろ?

そう問いかけると


「なにもかも」


という、
やさぐれメンドクセー感あふれる答えが
返ってきました。


これから起きるであろうこと、
やらなくてはいけないこと、

あげていくといくつも出てくる
「めんどくさい」予感のする未来の出来事。


「病気で高齢の親に関することで
メンドクサイとは冷たいんじゃない?」
「生きててくれるだけでありがたいんじゃない?」


そう考える人もいるでしょう。
何しろ
わたしも子どもの頃その考えに捕らわれてましたし。

でも


正直な気持ちを抑圧して、
不満が態度ににじみでたり
関係ないことでグチグチしたり
相手に感情ぶつけて関係悪化させたり
「もういいわ」と爆発して放棄したりするより

ぜんぜん、

自分のネガティブな感情はそのまま
自分で受け入れた方がマシなんですよ。


マシ、っていうか
「本当はどうしたいのか」を知るために
有効な行為だと思うんですよね。
(もちろん、家族間でドンパチすることも
やむなく距離置いたりすることも
全然悪いことじゃない。)



あーめんどくせー
あーめんどくせー


そんなふうに
正直に口に出したり
書き出したりしているうちに

「わたしは本当はどうしたいのか」が


やっぱり見えてきました。



「いま一番面倒と思ってるのは
本当は、未来のあれこれじゃなくて
母の愚痴を聴くことだ」

「わたしは、母の愚痴を聴きたくない」!

本当は聴きたくないのに、

「母が具合悪くてつらそうだから、
せめて愚痴くらい、
聴いてあげたほうが
母の心身にとってもいいでしょ」

自分で自分にガマンを課していて

しかも母は数十年に及ぶ心のクセで
できないことやイヤなことに
フォーカスしがちで
それで自責して健康を損なっている感もあるので

そのやるせなさや哀しみを感じたくなくて
内側の自分が怒っていたんだ。

そう気づけましてねー。


なんだ、怒ってたのか!
しかも、これ、
子どものころからのパターンじゃん!

と気がついたら、

めんどくさいような、
重だるい感覚が薄れて
身体に力が戻ってきました笑

怒りを無意識に抑圧してると
やる気がでなくなったり
意欲を失うことって
わりとよくあるんですよね!


母の愚痴がイヤ、という思いは
わたしが子どもの頃から持っていたもの。

子どもの頃は
言語化もできておらず、

ただ
「慰めて」
「励まして」
「解決して」あげなくては!
そうしたら、母が幸せになれるはず!

と無意識に思って
がんばっちゃっていたし

当然ながらそれが叶わず、
のちの無力感につながっちゃっていたし

「わたしはお母さんに愚痴こぼさないで
がんばってるのに」

というガマンが
怒りに変わってたんですよね。
(すべてがアダルトチルドレンあるある)



今回の出来事は
その子どもの頃感じた心の残骸が
似たような状況を通して
再浮上したような出来事でした。



心の残骸が再浮上するときは、
違うパターンに書き換えるいい機会。


状況としては

母は、愚痴をいいたい。

なぜなら、
それが長年のクセだし
聴きたくないと言っても忘れるし
それで心のバランスをとっているから。


ここはもう、わたしにはどうしようもない。


一方わたしは、親の愚痴を聞きたくない。

母が病気でできなくなったことは
やれる範囲でサポートするけど
感情のケアは自分でするか、
できないならプロに頼んでおくれ。
(親のカウンセリングは、わたしにはできない)


そう考えたら、
かなりすっきりした気分になりました。


なので今回は

母がそばでグチっていても
「(私に言うんじゃなくて)
カウンセリングに行ったほうがいいよー」と
伝えることができたり
(行かないのも承知のうえ)

心理的にとおーーくの距離に立ってただ、
「おお、グチ吐いてる吐いてる~」
と眺めてるだけ、
という選択ができました。

できることは手伝うけど
できないことはできないでいいんだった。

それは、
母の人生を信頼することでもあり
わたしを大事にすることでもある。


そうパターンを移行することで
自分が「面倒くさい」を感じずに
前よりラクにサポートを続けられる、
別の道を見つけられた感じがしました。


自分にガマンさせてると
相手(特に家族のような身近な存在)を
「わたしにこんなイヤな思いをさせてる存在」と
認識しちゃって
被害者ポジションにはまっちゃうことも
あるんですよね。

できれば、
みんなが不幸せになるそのパターンはやめたい。


わたし、
幸せに生きたいんだもの。

ガマンさせて
イヤな思いをさせているのは
実は自分の思考パターンだった!
そこから抜ける道があったんだった!

と気づけたことは

「メンドクサイ」をスルーしなかったからこそで

大事にしてよかったなあ、と思った次第です。


ちなみに
そういう選択をして次の機会に
また母に会ってみると

心なしか、
ちょっと前向きになってたりする
(するようにみえる)んですよね。

ホントに、
イヤな出来事は
不要なパターン崩しのきっかけにすぎなくて
面白いなあ、と思います。


【心を耕す一歩 その35歩目】

めんどくさい、をスルーしない。




この記事が参加している募集

いただいたサポートは、わたし自身の心身や知識を満ち満ちに満たすことに使わせていただき、クライアントさんや読者さんに還元します!