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DAY 29:「慕情」 THE INCREDIBLE JIMMY SMITH AT CLUB "BABY GRAND" WILMINGTON,DELAWARE vol.2 BLUE NOTE 1529

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息子が、
公園で友達と遊ぶ約束を取り付けてきた。

もちろん、まだ一人で
行かせるわけにはいかないので、
その約束は母親同士も知るところとなった。

息子の遊びの約束なのに、
母親どうしがLINEで
打ち合わせをするという光景をよく見る。

まるで妻は、息子の秘書のようだ。
ちょっと苦笑いをしながら、その姿を見ていた。

妻と、まだ今日外出していない娘も
いっしょに行くことになった。
いいぞいいぞ。日光、浴びてこい。
娘の場合はセロトニンじゃなくて、
ビタミンDだけど。

子どもたちが遊ぶのだ。
もちろん帰宅時間は予定を大幅に過ぎ、
暗くなり始めてから、
妻と子どもたちは家路に就いた。

懐かしむ。
どうして子どもの頃は
単純な遊びがあんなに、ひたすら楽しくて、
そして、
あっという間に時間が経っていったのだろう。

時間が経つのは早いのに、
同じように、楽しい時間が
ずっと続くと、信じられていたのだろう。


ひたすら走って、汗をかいて。
強い日差しも気にせずに。
砂まみれになって、
泥まみれになって、
水びたしになって。


大声を上げて。好奇心のままに動いて。
そして大泣きして、大笑いして。


雨や風、太陽。
草や花、木々の緑。
川や海、砂や石。
虫たちや、動物。
朝日から、夕焼け。5時のチャイム。
明日の約束。

呆れる母、すぐ入る風呂。
出来上がっている夕食。
扇風機の風。
鈴虫の音。
ナイター。親父の背中。

目を閉じれば、浮かんでくる、
ごつごつしてるけど、ところどころ光る、
河原で拾った、なんでもないけど、
綺麗な石のような。
大事にポケットにしまった。


そんな日々を、息子や娘は生きている。


今、その日々のそばにいられることが、
幸せだなと、強く思う。


綺麗な心なのに、体は泥だらけ。
大人になると、逆になっちまう。

帰ってくるのが遅くなり、
かつ、すぐに風呂に
直行するのがわかっていたので、
夕食の用意は私がした。
小松菜と豚肉を炒めた、簡単なものだけれど。

できているのと、できていないのとでは、
心身ともに妻の負担が段違いだから。

夕食の準備とともに

「THE INCREDIBLE JIMMY SMITH  
 AT CLUB  "BABY GRAND"     
 WILMINGTON,DELAWARE vol.2  
 BLUE NOTE 1529」

をかける。

ジミー・スミスのオルガンが
ファンキーに転がる中、
その間隙を縫うように、ギターが弾かれる。


主役はもちろんジミーなんだけれど、
今日の私の耳は、そのギターをよく捉えていた。

ソーネル・シュワルツ。

オルガンの音色とは良い意味で対照的な、
彼の弾くギターは、控えめではあるけれど、
しっかりと主張する。
その上で、主役のオルガンを引き立たせている。

優秀なサイドマン。

誰しもが自分の人生のリーダーであり、
誰かの人生のサイドマンになる。

サイドマン達がいなけりゃ、
作品は成り立たない。
どんな作品であってもね。

妻にとって、息子や娘にとって、
私はいいサイドマンになるだろうか。
ともに作っていく作品は、
いいものにできるだろうか。

決して主役の邪魔はせず、
行き過ぎた時は「こっちだよ」と
さりげなく示せるような、
そんなセッションをしたいなと思った。

そして私は私で、
いろんなサイドマン達に支えられながら、
自分の作品を、人生を、創っていく。

全てのものに、いつも、ありがとう。

小松菜と豚の炒め物ができた。
加えてちょっとしたサラダを作った。
準備は万端。

裸で出てきた小さい主役たち、
そして愛しいサイドマンたちに向かって


「ごはんができたよ!」


と声をかけた。


昔、私がそう声をかけられたときのように。



ーlove is a many splendored thingー

「慕情」。


オルガンとギター、そしてドラムはまだ、
その曲の演奏を続けていた。

ここまでお読みくださり、
ありがとうございます。

noteの時系列は、現在とリンクしてません。
なので若干の違和感がある場合もあるかも
しれませんが、どうかご容赦ください。

今後も、
あなたのちょっとした読み物に、
私のnoteが加われば、
とても嬉しいです。

今日があなたにとって
いい、いちにちでありますように。

それでは、また、あした。7時に。

アイ

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