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2分の1の恋の話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
来ないことを見つける、という話を前回させていただきました。
花びらを一枚づつちぎって「来る、来ない、来る、来ない・・・」などと二分の一の確率で自分の望み通りの答えを待つ占い的なモノをほんの50年前にはみんな盛んにやっていたと幼心なりにそう感じていました。実際にやっていたのかはわかりませんがテレビのなかの演出としてはありました。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
携帯電話もない時代ですから、待ち合わせに遅れてくる、いやそもそもその待ち合わせに来ないなんてこともあったのでしょう。その連絡方法がない。
手紙か何かで一方的に、「いついつここで待っています。気持ちがあるなら来てください」なんて相手のことなんて相手の予定なんて完全に無視した方法です。
気持ちも何もその日はちょっと予定が・・・と言うか「明日は」なんて返事も返す時間がありません。手紙ならば速達でだせば間に合う感じでしょうか。電話だと大丈夫そうですね。その当時、備え付けの固定電話は各家庭にはありましたからね。ダイヤル式の回すタイプの黒電話でしたが、それでも「いやいや、明日はあかんで仕事やもん」と伝えるくらいはできます。
電話番号も知らない相手に、そんな決断を迫らせても、ボクならば「いやいや、知らんしキミのこと」となります。
まぁ、つまりは二分の一どころか、電話がない時点で、電話のベルが鳴らない時点で、結構な確率で来ることがわかっていたりする感じでしょうか。幼かったのでそこまで推測は予測はできませんでした。
もしかすると、その当時のお話ではなくもっと昔、電話がない時代の話をしていたのかもしれません。
来る来ないなんて占いはしたことはありませんが、好きな子が好きなのか「好き、嫌い、好き」なんてことはしたことがあるかもしれません。何の根拠にもなりませんが、「嫌い」なんて結果が出るともう一回ともう一回と「好き」と言う結果になるまでやったような気もしないでもないです。
ときには何の根拠にもないモノも、自分を励ましてくれるんだな。なんて幼心的に知っていたのかもしれません。いやいや単純にそれが真実だと思っていたなんて見方もあったりなかったりしますけれど、それはそれで自分自身がそんなことで幸せな気持ちになれたのならば、よいと思います。
そんな恋は散ることはありませんからね。咲くこともありませんけれど。
冷めたコーヒーを飲んでもうホットはカラダが求めていないと気づいたので、このあたりで。
ありがとうございます。
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