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父の小父さん

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#エッセイ

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 29

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 29

この二月、私は父の住む家の隣へと引っ越ししました。もともとは父が営んでいたハンドバッグ製造会社の建物で、木造モルタルの築五十年超の家をリフォームして住んでいます。

五十数年前、ここに移ってきた時は、私は幼稚園の年長さんでした。それまで自宅と父の仕事場は歩いて十分ほどの距離があり、引越しにより職住超接近となりました。同じ葛飾区の、鎌倉町から柴又へ徒歩圏内の引っ越しでした。

住宅は平屋で、会社の建

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 28

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 28

尾崎さんの『大吉の籤』という作品に、父が独立して仕事を始めた頃のことが書かれています。大体の作品では山下昌久君、と本名で登場する父でしたが、この作品は例外的に仮名となっています。たまたま尾崎さんが、旅先の食堂で引いた籤(昔、よくありましたよね、灰皿兼用のおみくじ。十円入れると小さな巻物状のくじがコロン、と出てくる)が大吉で、お福分けした三人の男性が揃って幸先いいスタートを切ったものの、二人は残念な

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 27

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 27

私の誕生日と両親の結婚記念日は、同じ五月二十一日です。結婚してちょうど一年後に生まれたのが私でした。だから母とは、「お誕生日おめでとう」「結婚記念日おめでとう」とお祝いし合っていました。

父と母は、血の繋がっていないイトコです。母の父である佐一さんと父の父である林平さんは、伊豆の牧之郷でご近所づきあいする間柄でした。林平さんの家は、父を引き取った円蔵さんと林平さんの二人兄弟で、田舎としては子ども

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 26

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 26

現代に生きる私たちにとって、お金はなくてはならないものです。このお金は、時に人を助け、時に人を破滅もさせます。作家の尾崎一雄さんは、若い頃に父親の遺産を使い果たし、また、作家として目処がつくまでは極貧の結婚生活をしていた人です。が、その貧しさを楽しんだのが、妻の松枝さんで、そんな松枝さんとの生活から生まれた短編作品『芳兵衛物語』や『暢気眼鏡』は、尾崎文学の代表作となり、映画やTVドラマにもなりまし

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 25

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 25

神奈川県の小田原にある「小田原文学館」には、尾崎一雄さんの書斎が移築されています。他にも、大量の蔵書や関連資料が松枝夫人からの寄贈により保管されています。父の書棚にあった収蔵品目録を見ると、尾崎さんが生涯手元に置いていた手紙の数は膨大で、しかもその幅広さに驚かされます。交流のあった文士たちの手紙はもちろん、父を始めとする一般人の知己からの手紙も多く、その中には、なんと私と妹が連名で書いた手紙まであ

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと17

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと17

私の父の両親は伊豆出身で、私の母の両親も伊豆出身です。なので、東京の東の端っこ育ちの私ではありますが、伊豆ののんびりと明るい空気にホッと気持ちが和むし、みかんやアジの干物は、ソウルフードに近い感覚です。父は十一歳から十八歳の七年間を伊豆で過ごしましたが、東京で生まれ育ち、そして東京に戻ってからは外に出ることなく今に至っている、つまり八十五年の人生の内、七十七年は東京で過ごしています。でも、父の感覚

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと7

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと7

尾崎一雄さんの夫人、松枝さんと姉妹のように仲良しだった祖母の久子さんについて、今回はファミリーヒストリー的に探ってみようと思います。

父が小学生の時、「両親の家系を調べる」という課題があったそうです。個人情報保護が厳しい今だったら炎上必至ですが、戦前とはそういう時代だったのでしょう。それで、父は久子さんと林平さんに色々質問します。久子さんは自分の家系のことはあれこれ話すけれど、父親の林平さんにつ

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと5

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと5

二〇一六年三月に母が亡くなってからしばらく、父の精神も体も、目を覆いたくなるほどの衰弱を見せ、このまま母を追いかけるようにして逝ったらどうしようかと途方に暮れました。

何か元気づけることはできないか、と思案し、私にできそうなことといえば、こうした物語を書くことくらいでした。でも、すぐには手をつけることができなくて、そんな時にふと思い浮かんだのが、写真家である田沼武能さんの『時代を刻んだ貌』という

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと4

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと4

少しだけ私の話を。平成十八年(二〇〇六年)に『きものの花咲くころ』という本を上梓しました(一昨年に『きもの宝典』として再版)。十年在籍した主婦の友社の、看板雑誌『主婦の友』から、きもの関連の記事を選り抜いて再編集し、解説をつけたもので、大正六年(一九一六年)に創刊された『主婦の友』九十年分に目を通してみると、表紙や口絵、テーマ、執筆陣、記者の語り口などから、リアルに時代の匂いを感じることができ、濃

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父の小父さん  作家・尾崎一雄と父のこと3

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと3

父は、尾崎さんが亡くなったのちも、未亡人となった松枝さんと晩年までお付き合いがありました。老いた松枝さんは、生まれ故郷の金沢に「まアちゃん、一緒に行こうね」と誘ってくれたこともあったそうです。きっと、子どもの頃からの親しみゆえ、気安く誘うことができたのでしょう。

松枝さんは気さくで開けっぴろげな人柄で、私も大好きでした。尾崎さんは痩せぎすの体に着流し姿、子どもにとっては近寄りがたさがありました。

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父の小父さん

作家・尾崎一雄と父のこと2

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと2

上野の山は、今も昔も大好きな場所です。家族でよく出かけました。子どもにとっては動物園が何より楽しみだし、世の中の不思議が詰まった国立科学博物館も大好きでした。リズミカルに曲線を描く噴水、トンネルのような桜並木、三色団子の新鶯亭。最近では、上野といえば東京国立博物館が主な訪問先なのですが、いつも直帰しがたくて、ぶらぶら散歩してしまいます。今はなき、京成線の博物館動物園駅、あの薄暗い地下から地上に上が

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと1

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと1

タイトルにした「父の小父さん」から、ある人は、映画化された北杜夫原作の「ぼくのおじさん」を、ある人は、ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」を、またある人は、歴史学者である網野善彦さんについて中沢新一さんが綴った「ぼくの叔父さん 網野善彦」を想起するかもしれません。

「父の小父さん」には、血の繋がっていない小父さんが、父を掛け値なしの大きな愛情で支え、実の親以上に見守り続けてくれた、その奇跡のような

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