怖い。 学生時代、私はずっとしにたかった それを隠しては無いし、別に今も生きたいかと言われたら疑問を抱く程度ではある。 でも年々死にたさが消えている。 かつて何度もやってた、「行動に起こすこと」すら無くなった。 それはどうせしねないからそんなことに時間と心と脳のリソースを割く事がめんどくさくなったから。前向きな諦めである。 私は今まで、しにたいのに必死に生きている自分にアイデンティティを見出して生きてきた。そう生きることに対して美を感じていた。 今も感じている。
金魚すくい。 ポイを上手に角度をつけて、面が全て水に浸らないようにして金魚を乗せること。 すくいどり。 お菓子やおもちゃ、最近ではYouTubeの企画としてお金も。すくって拾いあげること。 足をすくう。 隙をついて相手を故意的に失敗させること。 どれもこれも、何かと接触しないとできないことである。 人を救う。 誰かを救うには自分が思っているよりも相手の懐に入らなければいけないという事だろうか。 相手の懐で手を差し伸べるという行為は、上手く行けば手を握ってもらえるが
自己紹介が難しい。 自己紹介には色んなアプローチがあると思う。万人向けの当たり障りないことだけを言うアプローチ。それに加えて1点、自分のアイデンティティを添えるアプローチ。ずっと自分のアイデンティティ盛モリのアプローチ。 それに加えて喋り方、声色、語気。考えることなんていっぱいある。 でも私が人に伝えたいのは私の核の部分。 例えば、ご飯に行った時はカウンター席だと安心するとか、たまに失踪するけどいきなり帰ってきます、そんときは飯に行こう。とか、信号は結構後ろで待ってい
最近気付いたこと 何かを受け入れるのには、 まず私は、拒絶の過程を経ないといけない。 何かを拒絶してから、なんだかんだ好きだな、、好きだな、、、、になるということがわかった。 最悪すぎる。 面倒くさすぎる。 そして私は0か100かの感情しかないので、 狂おしいほど好き!もしくは嫌い!なのである。 0か100どころか絶対値2億位でもいい。 嫌い!!嫌い!!!って言ってたかと思えば 気付いたら溺愛しているのである。 めんどいよ〜〜〜〜!!!!!!! 21にもなって
人に認められる。 そういう場面が人生にはよくある。 認められなきゃいけない時、なんかもある。 最近、認められるにも種類があるなあと漠然と感じていた。言語化にだいぶ時間がかかったけど。 価値観が合う人に「いいね」と言われること、これは言わずもがな認められた、嬉しい、の感情になる。本当に認められているかどうかはまあ時と場合によるのでさておき、まあいいねなんて言葉が出てるんだから八割型認められているだろう。 反対に。 価値観が合わない人からの否定の言葉。 昔は私が子どもだ
芸術家なのです。 人は皆、1つの芸術品を自分の生涯をかけて作り上げるのです。 私は、世界でただ1つのこの世で1番美しい作品である。 存在が生きがいが、とかそういう話では無い。 ただ、この世で1番美しい作品であることに間違いはありません。 此れがいつ終わるのか、どのように終わりを告げるのか、そんな事は観衆にも私にも見当がつきません。 それこそ美しいのです。 いつ終わるか、そんな事関係もないほどに私の芸術品は光輝燦然である。 人は皆、己などと言う喋るタンパク質の事を 一
昔からある言葉。 世界を敵に回しても君だけは守るよ〜系統の "世界を敵に回しても〇〇" その言葉、昔は素敵だなあと思っていた。 けど大人になって改めて、守りたいなと思える私の大切な大切なお友達は、みんな頭が良く世渡りが上手なので 世界を敵に回しても、君は要領がいいから君だけ社会に馴染んで行って僕だけ取り残されるんだ、ああ となっている もしや私は言う側ではなく言われる側? お姫様気分で勘違いしておけばいい? めんどくさいしそれでいっか、えへ
看護師になりたかった。 突き詰めると、助産師になりたかった。 助産師資格は看護師資格を持つものじゃないと受験資格がないので、高校3年のあの日、私は看護師にまずなることを決めた。 元より私は本当に体が弱かった。 今でこそピンピンでクソほど健康に生きているが、仮死状態で生まれたり、全身の血管に炎症が起きて心臓に後遺症が残る病気(川崎病)に2度もかかったり、点滴で心臓が止まったり。ウケる。小さい頃から入院ばかりしていた私は、お母さんが病院にいることの出来ない夜を一緒に過ごしてくれ
友人が音楽をやめた これは勘違い女から可愛いあの子に綴るキショラブレター。 月並みな表現だけど私にとってすごく大きな存在で、かつて私の痛みを勝手にちょっとだけ押し付けちゃった事もある友人。 勝手に押し付けたのに、「苦しいねえらいね」って言ってくれた友人。 彼女の出す音から感じられる痛みが好きだった。 多分ずっと好き。 まあ私だって、1度音楽を辞めると決意して失踪してるので、人のことを言える立場ではない。 でもこう、なんか、 温かい切なさがそこにはあって、 しくしくお
何も伝えたいことは無いです ただちょっと疲れちゃったので書き始めただけ 最近色々な活動をしていて、 「自分を好きでいる」って言うことって 大切だなあと感じました 少なからず自分の活動に対して 「好き」「推しです」 と言ってくれる人は存在するわけで。 推されている張本人が "自己肯定感が低い"状態って 相手の気持ちを無下にしていると思うんですよ ここで勘違いしないで欲しいのは、 "実際の自分の自己肯定感はさておき"自己肯定感が低いと言うのを無闇矢鱈と出すべきではないよと
みなさんは、いつ"楽しい"を覚えましたか。 気付いたら楽しいという感情を知って、 気付いたら楽しんでいたでしょう。 みなさんは、 "しにたい"と感じたことがありますか。 世の中には2種類の人間がいるそうで、 しにたいと感じたことがある人、 人生で1度も感じたことがない人。 私は前者です。 私の周りの人間も前者の方が割合的に多いです。 私たちは"楽しい"と同じように、いつの間にかしにたいを覚えていて、いつの間にかしにたくなるんですね。 "楽しい"感情の時、楽しいと感じ
ずっと細く続けてきた配信をやめた。 またやめた関連のお話ですわ、辞めすぎ! スマホを初めて持った時から続けてきた配信。気まぐれに、私のやりたい時だけやっている配信だったけど色々なものを学んだし受け取ったなあという感じ。 スマホを初めて持った高1、私は学校に溶け込めずに1人でいることが多かった。考え方もまあヲタク特有の斜に構えた考え方だし、何しろ人がそこまで好きではなかった。そこが第1志望ではなかったから。結果的に学校のみんな大好きマンになるんだけど、当時はそんなこと微塵