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夢は夢のままで

看護師になりたかった。
突き詰めると、助産師になりたかった。
助産師資格は看護師資格を持つものじゃないと受験資格がないので、高校3年のあの日、私は看護師にまずなることを決めた。

元より私は本当に体が弱かった。
今でこそピンピンでクソほど健康に生きているが、仮死状態で生まれたり、全身の血管に炎症が起きて心臓に後遺症が残る病気(川崎病)に2度もかかったり、点滴で心臓が止まったり。ウケる。小さい頃から入院ばかりしていた私は、お母さんが病院にいることの出来ない夜を一緒に過ごしてくれる看護師さんがとても好きだった。お母さんの方が好きだったけど。

小さい時から、「看護師さんになる」というのが私の夢だった。

中高。
真面目な学校の中では、私は割かし荒れている方だった。だからだと思う。私はよく「妊娠」について相談を受けていた。
ゴムなんて買ったことないよ、ゴムを外されてそのまま放置してたけど生理が来ない、無理やりされたんだよね、何度もそんな話を聞いた。何度も友人と一緒に少し遠くの婦人科に行ったし、何度も妊娠検査薬を多目的トイレで一緒に見た。何度も。その頃から漠然と、脳内でそういう方面で私にしかできない何かがあるなあ、、、という使命感はあった。今もまだある。

結局私は大学を辞めた。
早いもので、辞めてから半年が経って同級生はみんな臨地実習に駆り出されている。大変そうだ。

大学を辞めたのは、一言で言ってしまえば心が折れたから。実は大学、割と結構まじな方で頑張ってて、勉強もはちゃめちゃにしてた。勉強をしなかったことで脳裏に思い浮かぶ人の数が多かったから。あの時知識がなくて救えなかったあの思いをしたくなくて勉強をしてた。
でも無理だった。
2年の春休みの実習。受け持った先生と相性が本当に良くなかった。同級生6人でグループを組んで実習をする。先生は他の生徒に対してはちゃめちゃに優しかった。何故か私にだけがん詰めしてくるのである。
私の主観だからそう見えてるだけかなあと思い、我慢していた。家に帰っても記録書いて、その後勉強していた。
次の日も次の日も当たりが強く感じる。その実習は2週間だったから、耐えるだけ、、耐えるだけ、、、と思っていた。しかし複数人から「なんであやかにだけ当たり強いの?」と言われてしまう。そこで心が折れてしまった。

実習前の事前課題も手書きで死ぬほどやった。手書きで100枚弱書いた。国家試験の問題とも照らし合わせることもした。1年生の時から毎日、看護師国家試験の過去問を解いていた。自分が困らないように。救えなかった知人に対する罪悪感を晴らすように。

けどそれは私の心の支えにはなってくれなかった。
実習中の私だけに対する口の悪さ、私だけ質問攻めにされる、勉強していたのでしっかり答えてもさも当然かのようにあしらわれ、なんなら謎に理不尽な嫌味を言われる。他の子にはやっていなかったなあ。そこで私は「あぁあの時間って無駄だったんだ」と心が折れてしまった。

幸い私は何度も挫折していて、何度も心が折れたことがあるのでここで辞めるか辞めないか、意外と冷静に考えることができた。



あれから半年。
私は大学をやめてすぐ、オーディションに応募して受かったり、違う学校の入試を受けに行ったり、引越しをしたり、バイトを辞めて新しいバイトを受けたり、などを1ヶ月で終わらせた。その後心機一転すぎる新生活を数ヶ月バタバタ過ごし、私の中にいる厄介なものと闘いながら本当に楽しく生きている。
月額3000円で、医療機関に寄付もしている。私にしかできない使命感と学生の時に救えなかった周りの友人とその子どもへの罪悪感は拭えないから。それで気が紛れる上に少しでも救われる人がいるなら安いもんです。

あー、大学やめてよかった。



ただ、あの2年が本当に無駄だったかと言われたら絶対に違う。夢を夢のままで終わらせておくのには必要な2年間だった。私はこれから先あの2年以上真剣に看護に向き合うことはないだろう。あの2年で看護の事を学んで知識を植え付けて、より一層尊敬の念を深める事になった。あの道に進まなきゃ良かったなとは思ってない。寧ろ良かった。進まなかったら一生後悔していたから。

でも夢を叶えることがなくて良かったとも思ってるよ。私はあそこでは輝けなかった。

違う場所で咲くね。


2年間お疲れ様。




夢は夢のままで

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