おはよう、また今日も

友人が音楽をやめた

これは勘違い女から可愛いあの子に綴るキショラブレター。

月並みな表現だけど私にとってすごく大きな存在で、かつて私の痛みを勝手にちょっとだけ押し付けちゃった事もある友人。
勝手に押し付けたのに、「苦しいねえらいね」って言ってくれた友人。

彼女の出す音から感じられる痛みが好きだった。
多分ずっと好き。

まあ私だって、1度音楽を辞めると決意して失踪してるので、人のことを言える立場ではない。

でもこう、なんか、
温かい切なさがそこにはあって、
しくしくおいおいしながら、良かったね、って思っている自分もいる。


ヨルシカさんの「だから僕は音楽をやめた」
私が高校3年生の時にリリースされた。

私が色んな方面で、音楽を諦めた事は何度かある。
小さい頃からずっと進みたかった声楽の道に進めないとわかった時。進路を決める時期にもう吹奏楽はやめてねと言われた時。ライブハウスで涙を流しながら友人の死を歌っていた子を見た時。

私はずっとクラシックで生きてきた。
物心着く前から、オーケストラを見に行っていたし気付いた時にはピアノもフルートも触れていた。最終的に1番心を置いていたくなるのはクラシックなので、私の根幹にある部分なんだと思う。

ある時。どう足掻いてもクラシックを進路にする事は無理だと気づいてしまった時から。私はライブハウスに通う事になった。クラシックに進めなかった腹いせである。
元より、言葉 があるJPOPはあまり好きではなかった。香ばしい時代になるが、人間が嫌いだった年頃。
小学生の時から、人間の言葉には裏も表もなんかいっぱいあるしお世辞とか言うものまであるし、綺麗事だって本音だって、私の心を惑わすから大嫌いだった。だからずっと歌詞のある音楽は嫌いだった。

ライブハウスに通い始めたのは、本当に失礼な話だけど「クラシックを出来なかったから」これに尽きてしまう。けどライブハウスに来なければ、私は言葉1つに含まれる様々な感情に気づけなかった。裏と表があるから良い、と思える自分にも気付けなかった。

結局クラシックに進まなかったから彼女とも出会えた訳である。音楽をやめた先には色んな物があると、知っているから、それに私たちは音楽だけじゃないからまた今度ね〜!!という感じではある。寂しいけど。寂しいなあ、寂しいわ、、、、、。

また会おうね、
この前背中さすってくれた事、結構思い出して歌うことが多いよ。終わった後のLINE、意味深だな、、これどういう意味だ、、、ってめちゃくちゃ考えた時間、返して😡😡考えた時間×5億時間は遊んでね😡😡😡



痛みをなぞるあなたの歌が好きだよ

出会ってくれてありがとう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?