仕事に詰んだら_ヨガへ行こう__1_

仕事に詰んだらヨガへ行こう~育休復帰前のママの心情と現実~

「周りに謝りながら働くのってすごくしんどいよね。」
「正社員で頑張ってきてもらったけど、復帰後は何かと…あるだろうし。
一旦、パートで復帰してもらうね。」

育休復帰まで残り2か月をきった、まだ寒さの残るある日。私は2名の取締役と面談を終えた。

10ヵ月になる我が子はこの先激動に変わるだろう日々を想像できるだろうか。あなたが今手にして口に入れようとしているのは、私の復帰前に記入した「育休復帰後の支援計画」の書類。
美味しいはずもなく、半べそを書きながらその書類を床へ投げたあなたに私も同じ気持ちでその書類を床に叩きつけたくなった。

育休復帰にあたっては「元現場復帰」が原則。でもこれはあくまで方針の話しであって現実には厳しいことも分かっていた。

職場復帰の面談にあたって、事実上の降格だけでなく給与形態の変更も視野に入れると話がでました。会社の都合上で、今働いている職種から変更し、しかも給与形態が変わる。私は社会福祉士という国家資格を持ち、生活相談員としてデイサービスに勤めていました。しかし復帰後のプランでは、介護職も兼務となり給与形態を2分すると。介護職となると手取りは下がります。

労基にいえば、一発アウト。降格、職種の配置転換、そして減給。「1年間休んでいたから仕方ない」なんて思わせる世の中の余裕の無さに、そして自分もきっと子どもを産んでいなければ、そんな風な接し方になっていたかもしれないと思うと「誰も責められない」と。しかし、法律は守ってほしい。切に思いながら会社を後にした。

どうして正社員で働けないのだろう

利益を出すために、働く人数は最小限にして最大限の効果を出す。それが一番「賢いやり方」なのだろう。だから過重労働もさせるし、長時間労働も当たり前になる。そしてその歯車の一員になれないことは非難されることなのでしょうか。

時短で家に帰ることは、仕事ができないということでしょうか。
仕事ができないというレッテルに苦しむことは必要なのでしょうか。

子どもが体調不良で会社を休むことは謝って済む問題ではないのでしょうか。
代わりに仕事が増えることで、大変なのは事実。それほどキャパがないなら、それは適切な仕事の割り振り方ではない上長に責任はないのでしょうか。

マネジメントの問題と捉える人がどれほどいるのでしょうか。
復職したママが、仕事をしたくでもできない環境にいることを、忘れていないでしょうか。どんな理由であれ働くという選択肢を選んで復帰したのです。

それは身勝手な理由なのでしょうか。

「周りに謝りながら働くのってすごくしんどいよね。」と発した人は子育てを終えた60代前半の女性でした。
彼女も働きながら子育てをしきった方。その言葉にはもちろん頷ける部分はあります。だからって正社員では無理というのは、あまりに残酷ではないでしょうか。

ヨガへ行った

答えの出ない答えを抱きながら翌日単発で申し込みのできるヨガへ行ってきました。託児付のヨガでお寺でヨガをしています。

ヨガの先生がRYT500(500時間のヨガの研修を終えたヨガ講師。日本でその研修を終えた人は100人前後らしい。)の研修を終え帰ってきたばかりのヨガレッスンだったので満員御礼。

ヨガの先生からの言葉を実践するうちに昨日どうして私は無念な気持ちになったのか考えていると、ふとした感情が出てきました。途端に涙があふれました。

先生から

「俯瞰で見る自分を見つけてください」
「ニュートラルな自分でいてください」

ヨガは呼吸も大切にしています。ポーズを取ることが大切なのではなく、呼吸を丁寧に行うことで血液の循環をよくするそうです。

その時に「今の自分を俯瞰で見るもうひとりの自分を探してみてください」と言われました。

頭のてっぺんから背骨に空気がすっと通って、口から細く長く息を吐き切る。5回ほど繰り返した時に、ふと気付いたのが

「私、昨日、悲しかったんだ」ということ

”育休復帰は求められていない”
”1年も休んでいて元通りだと思うな”
”給与も子育てもっ両方て…欲張りすぎ”

そんな言葉に反発するかのように「少しでも復帰に前向きな自分」でいたのだけど、結果はやはり相思相愛とはいかなかった。

きっと私は「正社員で頑張ってほしい」と言われたかったのだろう。
そしてその言葉に「やるだけやってみますので宜しくお願いします」と答えたかったのだろう。

でも現実はそうじゃなかった。私がいなくなっても現場は問題なくまわっていた。それは当然のことであると同時になぜか悲しくなってしまった。

そう、必要とされていないことに「悲しくなった」
気付いた途端、閉じた目から涙があふれていた。周りも目を閉じていたからよかったと思うほど涙が出た。

「そうか、そうか。悲しかったんだね」と俯瞰する自分が慰めている。

そこに否定も肯定もしなかった。悲しかったことだけをしっかり噛みしめながら呼吸を続けていた。

「ただその事実を受け入れるだけ」

先生から「できない自分をジャッジしないでください。今、この状態であることを知ることに徹しましょう。」

「正社員ではなくパートで復帰するということ」「給与形態が変わる可能性があること」

そして「感情と事実を切り離した時、今のあなたがすべきことが見えてくる」と教えてもらいました。

私がモヤモヤしていたことに一つの区切りをつけることができそうな気がしてきました。

悲しい感情があるという事実を知り、そして事実を受け入れた。

ただそれだけなのですが、悲壮感や憤りの感情はすっと引いていきました。

その後のヨガでは涙は流さず、痛気持ちいいところを探しながらゆったりとヨガをしました。

受け入れるから、OKということではない

そして私が今思うことは、働き方を考えるきっかけに今回の面談はなったということ。そして働くことが「今の私」にどういう意味を持つのか考えたら

保育園入園を継続するためにどう働けばいいのか。

私にとってはこれが最優先事項だと気付きました。そのためにどう働けばいいのかを考えよう、そして働き方は1つじゃないということにも気づきました。

それの1つにブログや占いがあるのだと。本気で副業にできる位置を目指す時がきたのかもしれないと思うと、今少しワクワクすらしている。

想像もしなかった、24時間前は絶望と怒りで心を埋め尽くしていたのにヨガに行っただけで今すべきことが明確になったなんて。

仕事に詰んだらヨガへ行こう。
こんなはずじゃなかったと思ったらヨガに行こう。

そしてスッキリしたらまた考えよう。

現実は変わらない。でもただ一つ私が今思うのは私がどうなりたいかを決めることであって、誰かのジャッジで私の価値は決まらないということ。

たった一つの会社に私の存在価値が否定されたと思うのか、まだ見ぬ世界に自分の価値を反映させていくのか。あなたはどちらが生きた心地がするだろうか?

読んでくれたあなたにも素敵な時間が訪れますように…☆


純粋にありがとうございます。いいんですか?