犬山・みんなのアーカイブ

愛知県犬山市を中心に活動する「みんなのアーカイブ」。 地元の歴史や過去、現在に関心を寄…

犬山・みんなのアーカイブ

愛知県犬山市を中心に活動する「みんなのアーカイブ」。 地元の歴史や過去、現在に関心を寄せ、取材し、記録・保存、活用しようとする人のための、地域に根ざした草の根・参加型のコミュニティ・アーカイブ。HP: https://www.archive4everyone.org

最近の記事

ふるまち記憶アーカイブ交流会 AHA!松本篤さんを招いて

今年度から始まった、文化やアートを通じて犬山の魅力を再発見する「フルまちミュージアム」。みんなのアーカイブは実行委員会のメンバーとして、記憶アーカイブ・プログラムの企画に関わっています。 記憶アーカイブ・プログラムでは、11月開催のフェスティバルに向けて、AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]に犬山の8ミリフィルムの発掘協力や犬山の記憶のリサーチを行っていただくことになりました。 8ミリフィルム、記念写真、育児日

    • 不老閣のあった頃 

      犬山栗栖・桃太郎神社に向かう途中、不老公園と不老の滝のすぐ近くに、「不老閣」と書かれた看板がひっそりと立っている。道を挟んだ左手には廃墟になり、中に建築資材などが放り込まれたままの建物がある。 前を通るたびにここは一体何だったんだろうと気になっていた。 そこが元は不老閣という高級料理旅館があった場所だと知ったのは、鳥瞰図絵師・吉田初三郎さんのことを調べはじめてのことだった。(現在の廃墟になっている建物は不老閣の名残ではなく、その後に建てられた別の建物跡らしい。) 初三郎さんが

      • 中日新聞(夕刊)「ほんの裏ばなし」

        2023年5月28日(土)中日新聞(夕刊)「ほんの裏ばなし」コーナーで、『語りの種』について執筆させていただきました。 ++++++ 語りの種 縁もゆかりもなかった犬山のまちに、東京から移り住んで早十数年がたつ。移った当初は今のような観光客の賑わいもなく、少し寂れた城下町の風情が気に入り、まちなかや木曽川沿いをよく歩いたものだった。 京風の切り子格子の洒落た町屋。銭湯のタイル絵の名残。鉤形に折れ曲がった道。急な坂道と段丘崖。素掘りトンネル。中央に不思議な空間のある道。

        • 語りの種 犬山の生活史 - 聴く、綴る、編む

          犬山の昔を知る5人の方の聞き語りをまとめた書籍が出来上がりました。 愛知県図書館、犬山市図書館、協働プラザ等に置いて頂いておりますので、ぜひお手に取ってご覧ください。 若干部数ですが、こちらのサイトより購入いただけます。 「はじめに」より 犬山の昔について教えてください。 五感に残る記憶を教えてください。 そんな突然のお願いに、五人の方がお話を聞かせてくださいました。 芸妓さんのいる置屋が軒を連ね、三味線や唄が聴こえるまちの音。 プロペラ船が往復し、近郊からの観光客がひ

        ふるまち記憶アーカイブ交流会 AHA!松本篤さんを招いて

          魚がきらっきら、きらっきらすごくしてさ、そりゃあきれいだったよ。

          犬山の城下町に位置する北小学校前の坂道を西に下り、そのまた先を北に折れた小径。昔は竹藪が両側に生い茂り、そこをさらに降りていくと、木曽川には天然プールが広がっていた。そこはこどもたちの絶好の遊び場だったという話を何回か耳にしていました。 今からは想像できないような木曽川のその昔。川のことをもっと知りたい!ということで、愛北漁業組合長の江口真一さんにお話しを伺いました。 江口さんいわく。 昔は木曽川から分かれる木津用水には蛍がたくさんいて、家の中まで入ってくる。木曽川も水が

          魚がきらっきら、きらっきらすごくしてさ、そりゃあきれいだったよ。

          犬山 白い城の会 1947年に旗揚げした劇団(文芸サークル) 

          今から75年前の1947年。 戦後間もない時期に、犬山で旗揚げした劇団(文芸サークル)がありました。 その名を「白い城の会」。 会長を長らくつとめられてきた田中一夫さんにお話を聞く機会に恵まれました。 田中さんは97才というお年にもかかわらず、かくしゃくとしたお話ぶり。 同じく会員で舞台にも立たれていた石黒保美さんも同席くださり、当時の活動についてお話をうかがいました。  私がこの会について知ったそもそものきっかけは5年前のこと。中日新聞でこんな記事を見かけました。   「

          犬山 白い城の会 1947年に旗揚げした劇団(文芸サークル) 

          犬山栗栖地区。吉田初三郎発案の桃太郎神社の二代目宮司さん。

          犬山の生活史。 聴き取りを進めております。 今回は桃太郎神社の二代目宮司・川治桃光さん。 今年で91才とは思えないお元気さ。 桃太郎神社のことから、栗栖の渡し、松茸狩り、進駐軍の想い出など、たくさんの貴重なお話をうかがいました。 桃太郎神社は、大正の広重と言われた鳥観図師・吉田初三郎の発案で、犬山栗栖地区に1930年に創建されました。1923年の関東大震災の後、名鉄社長・上遠野富之介の招きで、東京から犬山・栗栖にアトリエを移した初三郎は、犬山の観光地化に尽力します。桃太郎神

          犬山栗栖地区。吉田初三郎発案の桃太郎神社の二代目宮司さん。

          犬山の生活史

          「犬山の生活史」プロジェクトがスタートしました。 21世紀も4半世紀が経とうとし、20世紀の記憶が薄れつつあります。犬山も世代交代が進み、古い家や町並みが取り壊され、昭和時代の面影がどんどんとなくなり、新しい風景に上書きされています。公共施設の竣工や公共のイベントといった「大文字の歴史」は記録に残されることが多いですが、まちの日常を生きる庶民の生活は時代を経て消えていく。本プロジェクトはそれを留めおこうとする試みです。 芸妓さんが闊歩し三味線の音が聴こえるまちの音 酒蔵が

          名鉄資料館と太田の渡し辺りのこと

          1994年(平成6年)6月、名古屋鉄道創業100周年を記念して開館した名鉄資料館が、今年12月25日に閉館します。コロナの影響で入館人数が絞られていて、閉館までもうすべて予約で埋まっているのだそう。なかなか行ける機会がありませんでしたが、なんとか予約を取ることができ、見学してきました。 お隣の建物には名古屋鉄道教習所の研修所と教習棟があり、エントランスのモザイクタイルが美しい。館内のステンドグラスもモダンです。 資料館には吉田初三郎や、初三郎最大のライバルと言われる金子常

          名鉄資料館と太田の渡し辺りのこと

          記憶と記録:コミュニティ・写真・アーカイブ

          デジタル技術の飛躍的な進歩によって、2000年代頃から写真を取り巻く環境は大きく変化してきた。コンパクトなデジタルカメラも広く普及し、携帯電話にもカメラ機能が標準装備されている。「写真」はそれまでのフィルムカメラで撮影され、紙にプリントされたものとは違うものとしてイメージされはじめた。写真とは何なのだろう? 瞬間に固定された時間なのか? レンズを通して撮影された現実なのか? 「写真とは何か?」という問題が、広く問われはじめてすでに久しい。 写真の歴史を遡ってみると、1827

          記憶と記録:コミュニティ・写真・アーカイブ

          みんなのアーカイブ調査第三弾 キリン亭

          ある時キリン亭さんにご飯を食べに行ったときに、座敷に吉田初三郎が描いた桃太郎の軸が掛かっているのを見かけました。お話を聞いてみると、もともとは犬山・栗栖にお店を構えていらっしゃったとのこと。先々々代の松山玉三郎さんはなんと「不老倶楽部」の発起人の一人だったようで、犬山市文化史料館で開催された「吉田初三郎とタイムスリップ!!」展にも軸絵を出品されていたりと、栗栖や初三郎とも縁が深そうです。 物置を整理した際にいくつか写真がでてきたとのことで、拝見させていただきました。 現在

          みんなのアーカイブ調査第三弾 キリン亭

          みんなのアーカイブ調査第二弾 栗栖N家

            犬山・栗栖のお宅にお邪魔させていただき、10数冊の写真アルバムを拝見させていただきました。   1944年生まれのお父様とお母様を中心としたアルバムの他、その一世代前の1886年生まれのお爺様の写真が大切に保管されています。   当時、写真は今のデジタルカメラとは違い、フィルム、現像、プリント代と、何かとお金がかさむもの。 アルバムに貼られている写真は、結婚式や旅行、学校の記念行事など、何かの特別な行事のときに撮られたものが中心となりますが、そのなかにもスナップ的な写真も

          みんなのアーカイブ調査第二弾 栗栖N家

          「吉田初三郎とタイムスリップ!! ~大正・昭和の犬山紀行」展

          犬山市文化史料館企画展。2019年11月21日~2020年1月6日 展示室の一角を使ったそれほど大きい展覧会ではありませんが、気づけば一時間近くたっていました。    吉田初三郎は関東大震災で東京の画室が焼失。 震災の直前に日本ラインを訪れていた初三郎に、名古屋鉄道常務の上遠野富之助が、犬山・継鹿尾山麓にあった同社所有の建物を画室として提供。そこから初三郎の10年余の犬山(蘇江画室)暮らしがはじまります。   初三郎は観光パンフに載せる鳥観図の挿絵画家として超売れっ子だった

          「吉田初三郎とタイムスリップ!! ~大正・昭和の犬山紀行」展

          いくつかのアーカイブ(メモ)

          名古屋市博物館 伊勢湾台風60年事業「特別展 治水・震災・伊勢湾台風」展(2019年9月21日~11月4日)  災害の記録の様子を文字資料だけでなく、錦絵、吉田初三郎の鳥観図、写真などの第一次資料から丁寧に提示し、記憶と記録の齟齬などにも言及する非常に面白い展覧会でした。犬山の入鹿切れについてのコーナーもありました。充実のカタログも出版されていて、必見の展覧会でした。 大口町 歴史民俗資料館で開催中の企画展「60年前へタイムスリップ」(2019年10月19日~12月15日)

          いくつかのアーカイブ(メモ)

          名鉄犬山ホテル閉館

          名鉄犬山ホテルも2019年8月31日で54年の幕を閉じました。 閉館1時間ほど前に滑り込みで撮影した写真をいくつかアップしておきます。   できれば取り壊しの前に、もっときちんと記憶の数々をとどめておきたかったのだけど、、、、。   「犬山遊園駅」の由来ともなった、犬山ホテルの場所にあった今はなき遊園地の頃の写真とか、少しづつ集めていきたい。 2020年4月5日の写真はこちら。建物は跡形もなくなっている。

          名鉄犬山ホテル閉館

          岩田錦平(鈍牛)『自作第壱集 千紫万紅』

          岩田洗心館さんでの第17回珈琲茶会にて、「みんなのアーカイブ」についてお話させていただきました。 レジュメはこちらからご覧いただけます。 岩田洗心館創業者である岩田錦平(鈍牛)さんは、写真の愛好家でもあり、1930年代に名古屋や犬山で展覧会に写真を発表されたりもしていました。 そうした作品や試作品が『自作第壱集 千紫万紅』(1937年)として木箱にまとめられています。   当日はその写真も実際に拝見させていただいたり、コミュニティー・アーカイブについてのこれまでの試みや、

          岩田錦平(鈍牛)『自作第壱集 千紫万紅』