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魚がきらっきら、きらっきらすごくしてさ、そりゃあきれいだったよ。

犬山の城下町に位置する北小学校前の坂道を西に下り、そのまた先を北に折れた小径。昔は竹藪が両側に生い茂り、そこをさらに降りていくと、木曽川には天然プールが広がっていた。そこはこどもたちの絶好の遊び場だったという話を何回か耳にしていました。

今からは想像できないような木曽川のその昔。川のことをもっと知りたい!ということで、愛北漁業組合長の江口真一さんにお話しを伺いました。

江口さんいわく。
昔は木曽川から分かれる木津用水には蛍がたくさんいて、家の中まで入ってくる。木曽川も水がとにかく綺麗で、川底の石も上から見て赤い石、白い石、黒い石というのがわかったくらい。

「魚がきらっきら、きらっきらすごくしてさ、そりゃあきれいだったよ。蛍とそれが頭のなかに残ってるかな、川のことでは。まあ、それはもう夢だね。」

子ども同士で川の浅いところに入って、日本手拭いの端をもって、すっと掬ってみると、魚がいくらでもはいる。石をもちあげて川底の石にボーンとぶつけると、下に必ず魚がいて、脳震盪をおこしてふわーっと浮いてくる。

そうした魚がいなくなったのは木曽川にダムや頭首工がたくさん出来て、しばらく経ってからのようです。
それまでは大水の際に上流から石が流れてきていて、犬山のあたりの木曽川にも河原が広がり、魚釣りを楽しむ人もたくさんいましたが、しばらくすると大きな石は上流からは流れてこなくなった。
鮎は石に生えた苔を食べます。一匹につき三平米くらいの石の面積が必要だそうですが、大きな石はどんどん下に流れていってしまい、川もどんどんと深くなり、鮎が食べられるような苔を生やしたちょうどいい石はなくなっていってしまいました。

鮎はきゅうりの匂いがするんだそうです。苔を食べるから。

もう昔の川に戻ることは出来ないけれど、江口さんの今の希望は川に少しでも興味を持ってもらいたいということ。そのために小学校の子どもたちに鮎の放流をしてもらったりして、川の様子を少しでも気にかけていてもらうように努めていられるようです。

川とともに生きてきた暮らしも知恵も生き物もなくなっていく。今はまだかろうじてその名残がある状態。まったく想像すらできなくなる前に、一体何ができるのでしょうか。


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