見出し画像

名鉄資料館と太田の渡し辺りのこと

1994年(平成6年)6月、名古屋鉄道創業100周年を記念して開館した名鉄資料館が、今年12月25日に閉館します。コロナの影響で入館人数が絞られていて、閉館までもうすべて予約で埋まっているのだそう。なかなか行ける機会がありませんでしたが、なんとか予約を取ることができ、見学してきました。

お隣の建物には名古屋鉄道教習所の研修所と教習棟があり、エントランスのモザイクタイルが美しい。館内のステンドグラスもモダンです。

画像3

画像2

画像3

画像4

資料館には吉田初三郎や、初三郎最大のライバルと言われる金子常光の鳥観図も展示されています。金子常光の鳥観図には、なんと「キリン亭」が描きこまれていました。

キリン亭

画像6

1937年(昭和12年)11月20日の「昭和天皇犬山行幸」の際の御召列車のダイヤも残っています。陸軍特別大演習にあわせ犬山に行幸し、往復名鉄犬山線の列車に乗車するという、前例にない旅程を組んだため、強風雨の場合もあわせダイヤは入念にスケジュールされています。

画像7

他にも名鉄が1952年にはじめた「犬山自然公園」計画によって、55年に「ピクニックランド」として整地され、イベント会場としても使われた「犬山大自然公園 ピクニックランド」や、犬山モノレールの看板が展示されていました。ちなみに、「犬山大自然公園 ピクニックランド」は1960年にライン下りにちなんだ「ラインパーク」に、80年に「モンキーパーク」に改称されています。

画像8

画像9

他にも駅で使用されていた看板、プレート、切符、通信具、工具、操縦席、パンタグラフ、座席など、様々なものが展示されていて、物の存在感に圧倒されます。閉館後は資料倉庫に移管されるそうですが、どこかで常設展示していてもらいたい品々です。

名鉄資料館のサイトはこちら。

名鉄資料館を後に、少し足を運んで木曽川の昔の渡し跡も訪ねてきました。資料館からは1927年(昭和二年)に竣工した岐阜県初の近代的道路鋼橋である太田橋もすぐ近く。太田橋のほとりには、昔は太田の渡し(北側)と今渡の渡し(南側)がありましたが、ここは中山道の三大難所の一つで、木曽川が出水する度に船止めとなりました。「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と、俗謡にも読まれたそうです。1901年(明治34年)には、両岸に鉄索を張って船をつなぐ「岡田式渡船」が導入され、安定して船が出せるようになりましたが、太田橋の完成により、渡し場は廃止されました。その後はライン下りの発着場ともなっていました。

画像10

画像11

この辺は「化石林」があることでも有名になったところです。1994年(平成6年)の夏の異常渇水により、木曽川の水位が低下。それにあわせ、約400本もの樹木の化石である珪化林群が発見されます。瑞浪層群と呼ばれる今から約1900万年前の地層に生えていた森林が立ったままの状態で埋没し、化石化してできたものです。動物化石としてバク!、ミノシカ、ビーバー、コイ科の魚類、ドブガイなどが、植物化石としてメタセコイア、カバノキ、ブナ、ニレ、クルミ、カエデ、ウリノキなどが確認されているとのこと。水面から頭を出しているのが化石林の上部だそう。普通の岩よりもかなり濃い古色がかった色合いです。


画像13

こちらは橋を渡った側の化石林公園からの眺め。

画像13

古代にはどんな風景が広がっていたのか想像をめぐらすだけでもわくわくします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?