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犬山栗栖地区。吉田初三郎発案の桃太郎神社の二代目宮司さん。

犬山の生活史。
聴き取りを進めております。
今回は桃太郎神社の二代目宮司・川治桃光さん。
今年で91才とは思えないお元気さ。
桃太郎神社のことから、栗栖の渡し、松茸狩り、進駐軍の想い出など、たくさんの貴重なお話をうかがいました。

桃太郎神社は、大正の広重と言われた鳥観図師・吉田初三郎の発案で、犬山栗栖地区に1930年に創建されました。1923年の関東大震災の後、名鉄社長・上遠野富之介の招きで、東京から犬山・栗栖にアトリエを移した初三郎は、犬山の観光地化に尽力します。桃太郎神社の初代宮司は桃光さんのお父さんで、栗栖の区長もつとめられた宗一さんでした。

桃太郎神社のでき初めの頃はまだ幼かった桃光さんは、初三郎の記憶はないそうです。(初三郎は1936年に犬山の地を去っています。)でも、お弟子さんの稲垣満一郎さんは、初三郎がいなくなってもずっと栗栖に住んでいて、交流があったそう。

(余談ですが、なんとこの稲垣さんの鳥観図は犬山市立北小学校にも飾られているんですよ。その昔、学校は地域資料の宝庫でもありました。)

犬山北小学校蔵 稲垣満一郎 犬山市鳥観図

稲垣さんは「桃太郎」にずっといらっしゃった、という話にちょっとびっくりして、「桃太郎神社」に住んでたんですか?と聞き返したところ、桃太郎神社に住んでいたのではなくて、「桃太郎」で地区を指すとのこと。桃太郎神社のことを調べていると「桃太郎屋敷」という言葉もよく見かけて、てっきり建物のお屋敷があったのかと思っていたら、それも地名を指すようです。「桃太郎屋敷」に「古屋敷」。「屋敷」といっても場所の名前だったんですね。

野口雨情が実際に犬山を訪れて、このあたりの桃太郎伝説に関わる地名をすべて詠みこんで作った「桃太郎音頭」が、今までずっと栗栖小学校で歌い継がれてきたお話や、戦時中、始業前に日参団で桃太郎神社にやってきて記念写真を撮ったお話。(この頁のトップ画像に写真がそれです。小学生だった桃光さんも中に写っているとのこと。)
以前には桃太郎港にプロペラ船の定期船が出ていたり、犬山からも数珠繋ぎになるくらいに、たくさんの人が桃太郎神社に遊びに来ていたなど、桃太郎神社と地域の関わりが想像されます。

木曽川の話でいうと、栗栖には以前、「栗栖の渡し」という船着き場があって、栗栖の人たちは無料で船に乗れて、対岸の鵜沼の方に渡ることができたのですが、桃光さんもよく渡し舟に乗っていたそうです。この渡しのおかげで、以前は犬山の方よりも岐阜県の可児や美濃加茂地区と栗栖とのつながりが強く、そちらの方から嫁がれてきた方がたくさんいたらしいです。当時の渡し舟は岡田式という上にロープが渡してあった珍しい形。それがまだ現役で使われていたころの想い出です。
(ちなみに岡田式はこんな渡しスタイルです)

木曽川文化資料館蔵

懐かしの五感にまつわる想い出では、進駐軍からもらったマカロニの缶詰のお話をうかがいました。見るのも食べるのもはじめてで、何の材料で作っているのかもまったくわからず、ぬるぬるした感触が、鳥の腸を乾燥してもどして切ったとか、みんなで何だろうって言いながら、食べてみたら美味しかった。そう話されるときのお話ぶりが、子ども時代に戻ったときのような高揚感も伝わってきてとても印象的でした。

長時間お話を聞かせてくださった桃光さん。場所を提供くださったほか、昔の写真や想い出話などご協力いただいたお隣の長瀨さん。ご協力いただき本当にありがとうございました!!
お話は年度末に制作予定の冊子に詳しくまとめる予定です。
お楽しみに!


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