渋谷縷々子

死に至る病ちゃんの日記 時々詩や小説

渋谷縷々子

死に至る病ちゃんの日記 時々詩や小説

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10.24

苦痛だけが不幸を追いやれる。人はつよい苦痛を感じた時、死にたいだとかやらなければいけない、でもやりたくなくて頭を悩ませるような事柄を全て吹っ飛ばしてしまう。だからわたしは、苦痛を与えることを好むのだ。みんな、どうして?という。普通の人には分からないだろう。けれど、一度どん底を味わった人間には分かると思う。真っ暗な部屋の中で、羽毛布団にくるまり、死にたいと泣きながら天井を見つめる日々。そんな中で、わたしは生きてきた。この時に見出したのが、自分に苦痛を与え続けるということだ。例え

    • 眠れないときに書いた文章

      世界を愛するために自分のからだを犠牲にしている。きっとこの祈りも無駄になるのだと思いながら神に祈っている。眠れないと思いながらサイレースをたった4錠飲み干す。日常は小さな絶望の繰り返しであって、遠くに点滅している希望には縁がない人生。どうしたら良いのかとずっと考えているが、どうしたことか、ずっと思考が停止していて、何も考えられない。さーっとノイズが流れるばかりで、辛い。考えられないことも、案外辛い。考えることも同時に、辛いのだけど。山積みにされている大学の教科書がマウス置き場

      • 2.13

        本当に死のうと思って、遺書を泣きながら書いたりしていたら、少し落ち着いて死ぬのを先延ばしにした。先延ばしにしただけで、本当はまだ死にたいのだけど。ブロンで延命するのにはもう疲れた。限界を越えるようにして頑張るのにももう疲れた。疲れた、疲れてしまった。どうしようもない苦痛に苛まれている。どうしようもない、人間としてどうしようもない。悲しい、悲しかった。今の私はどんなふうに生きているのだろう。何もかも不安で仕方ない。主治医からはブロンに頼るくらいなら薬を増やすと言われて、レボトミ

        • 鬱と躁と日常と

          最近また自分の人生が大きく動き出した気がする。まず、大学に合格した。希望していた心理学部に合格をいただいた。嬉しかった。ずっと行けてなかった塾に合格の電話を入れたとき、本当に喜んでくれて、嬉しかった。集団の授業に馴染めずにずっと授業に出られなかった。心配の電話を何回もかけてくださった塾の方には感謝している。怖かったけど。そして、また新しくアルバイトを始めた。デイサービスの職員だ。介護の次は子供を支える側にまわった。自己紹介の時に「(本名)先生です」と紹介されて、照れてしまった

        • 固定された記事

          10.15

          コンサータを再開してから、頭のモヤが晴れて、集中できるようになった。朝もきっちり起きられるようになった。Twitterで誰かが言っていた、枕元にコンサータと水を置いておいて、朝起きる時にすぐ飲むと良いというライフハックを実践したところ、これがとても良かった。私の場合は、本来起きる時間の1時間か30分前にアラームをセットし、コンサータを飲んでもう一回寝る。そうすると、朝はちゃんと起きることができるし、飲み忘れもないし、日中の怠さや眠気もない。快適である。受験の面接の練習も、飲ま

          8.26

          本当に鬱の時、私が過ごしたあの冬、ベットに一日中いて声すらうまく出せなかった。だけど今は、病院にいくことができる。全然まだ、平気だ。だけど、だけど、辛い。夜はどうしようもなく涙が出てくるし、朝は頭痛で動けない。身体中が痛い。ロキソニンは効かない。何も意味がない。この地獄から助け出してほしい。だけど、自分を助けられるのは自分だけだ。そう、死んでしまえばいい。だけど死にたくなんてないし、死なないって言ったし。どうすれば良いんですか?辛くて辛くて、毎日ご飯を異常に食べては全て吐いて

          星空と青

           その日、私は青色の血が自分の身体から溢れ出るのを目撃した。痛みよりもまず、驚きを感じた。人間の血って、赤色じゃないのか。私の血が青いのは、何故だろう。私は宇宙人なのだろうか。  病院へは行かなかった。気味がられるのが怖かったし、何より手首を自分で切ったことを知られるのが怖かった。誰にも言いえないこと、秘密、リストカット。私は先週初めて自分の手首を自分で切った。心臓が忙しなく動き、過呼吸になりながらも、剃刀に力を入れた。ぷつぷつと浮き出る血液は、何故か赤色じゃなく青色だった。

          まとめ日記

          (2023/08/18) スターバックスのスイカを飲んだらものすごい美味しくなかったのでびっくりする。最近どうしようもない、自分も他人も誰も悪くない状況に陥ることがある。辛いのか?いいや、私は辛くなんかない。辛いのかもしれないけれど、軽躁状態の私には感覚が麻痺して、何も分からない。ただ一つ分かることは、この世界は居心地が良いということ。鬱の時は世界が灰色に見えたけれど。視点を変えれば良かったんだ。今スターバックスでこれを書いている。エヴァンゲリヲンを流しながら。スイカ不味いな

          「すみません、お水ください!」 生きていくってこういうこと、そう言ってきみは自分の手首に煙草を押し付けた。私は何が何だか分からなくて、水!水!じゃなくて氷なのかなぁ?!と叫んでいた。そういう細部に自分の馬鹿な部分が滲み出ていて、本当に嫌になる。いつも敵になるのは、自分の頭の悪さだった。気持ち悪いんだよ、馬鹿であるということも、自分が女であるということも。全部を捨て去って、宝石になりたい。遺骨って、ダイヤモンドにしてもらえるって昔どこかで聞いたから。意思を持たずに輝き続けること

          8.14

          惨めな自分自身だけが残り続ける。結局死ぬ勇気もなくて、ただ生きている。わたしは本当に死のうと思っていないから死ねないんだ。わたしは治ろうと思っていないから治らないんだ。わたしは救われようとしていないから救われないんだ。全部、自分のせい。全部、わたしが悪い。でもこうやって、自分のせいにするのもよくない。逃げている。辛いことから目を背けて生きている。人間一度は頑張らなきゃ、逃げないで問題と向き合わなきゃいけないのに、わたしはただ逃げ続けている。 人間関係が上手くいかない。全部自

          燃ゆる

          人生を切り売りして書いてきた文章が本になった。けれどきみは、それを僕の前で燃やした。夏の駐車場、蚊がいるから嫌だな、と思いながら燃やされる本を見つめた。あれ、そういえば、ここ数年蚊に刺されてないや。蚊も生きるのが嫌になって繁殖をやめたのかな。生きていたら何度も絶望することがある、そんな時僕は虫ケラにでもなりたいと思う。嫌われて、殺される。でもたまに運がいいと人間に優しくしてもらえる。そうだな、カエルとか。キモいけどさ、キモいけど、可愛いのもいるよね。人間に可愛がられて、一生を

          私は結局、「愛されない自分」や「絶望に堕ちきった自分」が大好きであり、救われたいと言いながらも、救われようとしていない 私は人を傷つけ続け、見下し続けている だから誰にも愛されない、誰にも必要とされない 能力以上の期待に応えられないことが苦しい 死にたい

          私は結局、「愛されない自分」や「絶望に堕ちきった自分」が大好きであり、救われたいと言いながらも、救われようとしていない 私は人を傷つけ続け、見下し続けている だから誰にも愛されない、誰にも必要とされない 能力以上の期待に応えられないことが苦しい 死にたい

          7.4

          急性薬物中毒と誤嚥性肺炎で退院した後、ご飯を食べられなくなったのと、吐き気がとても強く吐いてしまうので近所の内科を受診したのだけれど、その時にした採血の結果を聞いた。あと、身体の写真も撮ったので、その結果を教えてもらった。 結果から言うと、まぁ悪かった。肝臓の数値が基準値23以下のところが、わたしは211だった。炎症反応も出ていた。そして胆嚢結石と胆嚢腺筋腫症の疑いがあったので、元々入院していた大学病院の消化器内科へと紹介状を書かれた。一体わたしはどれくらい病院に行けばいい

          6.27 躁、支離滅裂、怒り

          ぐっちゃぐちゃ、もう何がなんだか分からないや。 歪んで見える自分の自撮りとか、躁の時に乱発したツイートとか、二時間しか眠れてない頭と身体とか、全部壊しちゃいたい。自分に関する全部を破壊して全てを失ってから死ぬのって、最高に良いな、わたしはそうなりたい。 ここ数週間で結構な量の文章を書いた。雑誌へ送るもの、学園祭の冊子に載せるもの、コンクールに送るもの、シナリオの講義での課題。今が一番書ける気がする。これが一生続けば良いのにな。でもね、躁ってね、必ず終わりが来るんだよ。そして

          6.27 躁、支離滅裂、怒り

          境界性人格

          母親に、「自分は境界性人格障害だという自覚はあるのか」と深夜に言われてしまい、少し口論になってしまった。わたしには全然自覚がなかった。というか、そんな話を主治医から聞いたことがなかった。多分、言わないほうが治療上良いと判断されたのだろう。はぁ。こんなタイミングで聞くなんて、思っていなかった。母親によると、歴代の主治医の誰かから伝えられたと言われた。問いただしても、どの主治医が言ったのかは教えてくれなかった。それはお前に関係ない、と切り捨てられてしまった。わたしのことなのに。そ

          死の淵を歩いた

          二週間前にオーバードーズをして、急性薬物中毒になった。その後、意識を失った後に嘔吐してしまった影響で肺炎になり、地獄を見た。人工呼吸器を付けられて、意識が二日間ほど戻らなかった。わたしには何も言われていないけれど、家に帰ると大量の同意書があり、そこには輸血や透析、カテーテル、身体拘束、造形ヨードに関するものがあった。十枚以上だったかな。 わたしは、死にたかった。 訪問看護が終わり、残薬のチェックのために金庫から出された薬を持って、雨が降る中公園へ向かった。傘もささずに、ひ

          死の淵を歩いた