10.24

苦痛だけが不幸を追いやれる。人はつよい苦痛を感じた時、死にたいだとかやらなければいけない、でもやりたくなくて頭を悩ませるような事柄を全て吹っ飛ばしてしまう。だからわたしは、苦痛を与えることを好むのだ。みんな、どうして?という。普通の人には分からないだろう。けれど、一度どん底を味わった人間には分かると思う。真っ暗な部屋の中で、羽毛布団にくるまり、死にたいと泣きながら天井を見つめる日々。そんな中で、わたしは生きてきた。この時に見出したのが、自分に苦痛を与え続けるということだ。例えばオーバードーズ、リストカット、拒食。どれも苦しみや痛みを少しながら感じるものだ。オーバードーズは基本多幸感などが得られるが、副作用として吐き気などが現れる。そこにわたしは目をつけたのだ。吐き気が辛い間、少しだけだが死にたいだとかそういう感情が抑えられる。リストカットも同様。痛み。それだけが目的だ。わたしはリストカットをしている間の記憶が曖昧だ。その間、わたしは全てを忘れていられると思うのだ。拒食も、絶え間なく注がれる食べたい、いいや、食べたくない、という衝動に一喜一憂することができる。
 わたしがこんな陰湿な行為にある種の喜びのような、生きる希望を見出したのは何故だろうか。世界はいつでも、絶望だけを見せてはこない。一筋の光を、希望を見せてくる。その希望に縋ろうとすると、足元が崩れてしまう。だから結局希望なんてないのかもしれない
。けれど、希望は存在するのだ。それがどんな形であろうとも。それがこの、行為なのかもしれないと、わたしは思うのだ。神を信じていないが、わたしは神に祈っている。どうかこの地獄から救ってくださいと。
 人生は地獄。そのことを知っているのは、きっと独りで死んでしまった人だけだろう。

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