6.27 躁、支離滅裂、怒り

ぐっちゃぐちゃ、もう何がなんだか分からないや。
歪んで見える自分の自撮りとか、躁の時に乱発したツイートとか、二時間しか眠れてない頭と身体とか、全部壊しちゃいたい。自分に関する全部を破壊して全てを失ってから死ぬのって、最高に良いな、わたしはそうなりたい。

ここ数週間で結構な量の文章を書いた。雑誌へ送るもの、学園祭の冊子に載せるもの、コンクールに送るもの、シナリオの講義での課題。今が一番書ける気がする。これが一生続けば良いのにな。でもね、躁ってね、必ず終わりが来るんだよ。そして躁が気持ち良かった分、ひどい鬱がやってきてのたうち回るの。朝も起きれないし、食事も吐くし、死にたいし、書けないし、それこそ人生の終わりみたいになる。そんな時は薬に頼るんだけど、それを上回るくらい絶望がつよくて自殺未遂してしまう。もう二度と、薬で自殺はしたくないから、次は橋から飛び降りたい。確実に、死ねるようにね。

なんでこうなったの、と人は聞いてくる。でも、自分でも分からないのよね、どうしてかしら?文学をしているから、狂っているの?それとも狂っているから、文学をしているの?でも文学って、孤独な人しかやらないと思う、現状に満足していたら、文学なんかには手を染めないだろう。

自殺する人って、まともだから自殺したのだろうか?ってツイートした。自殺って、すごく難しいこと。だから、そんな簡単にできるのかなって思ったけれど、わたしが電気コードで首吊りをして失敗した時、気がついたら首を吊っていたんだよね、この行動にわたしの思考が入り込む余地はなかった。わたしの身体なのに、それはただの臓器を詰めたビニールだった。心はその時だけ現実から乖離していた。世界がひどく美しくて、でもそれでいて残酷だから、みんな死ぬんだろうな、みんな綺麗だったから、この世界に耐えられなかったんだろうな。

わたしは生半可な気持ちで文章書いてる人間が一番嫌いで、そんな人間に負けたくなくて書いてる、けどいつも人気なのは、承認をもらえるのは、生半可な気持ちで書いてる人間。TikTokで太宰治の小説引用して、短い文章書いて「素敵ですね」とかコメントもらってる人間、大嫌い、わたしはそんな人間に負けてる、悔しい、いつも命を削って書いてきた、だから嫌なんだよ、インターネット。インターネットの電波がわたしをおかしくさせている。

ねぇ、生きていく度に、最悪を更新していくよ、わたしはどこにいけば良かったの?どこへ行っても地獄なんだろうけど、わたしはここよりもマシな地獄に行きたいよ。でもさ多分ね、わたしはこの絶望と鬱に浸り切って抜け出せないの、もうここでしか光れないの。こんな悲しいことある?人生の悲しいことばかり切り取って、コラージュして、詩を書いてる。わたしの人生って、ただそれだけのためのものだから、幸せになる、なんてことはないんだよ。

毎日早朝の4時を過ぎたあたりに、意識を手放す。それまで、わたしは自分と世界との隙間、孤独、希死念慮にたったのひとりで耐えている。弱音を吐くことは許されない。この気持ちは、必ず文章に昇華させなければいけないのだから!

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