眠れないときに書いた文章

世界を愛するために自分のからだを犠牲にしている。きっとこの祈りも無駄になるのだと思いながら神に祈っている。眠れないと思いながらサイレースをたった4錠飲み干す。日常は小さな絶望の繰り返しであって、遠くに点滅している希望には縁がない人生。どうしたら良いのかとずっと考えているが、どうしたことか、ずっと思考が停止していて、何も考えられない。さーっとノイズが流れるばかりで、辛い。考えられないことも、案外辛い。考えることも同時に、辛いのだけど。山積みにされている大学の教科書がマウス置き場になっている。大学には行けていない。オンラインの授業しか出ていない。教科書も、なぜ買ったのか分からない。難しそうだなと思いながら、たったの一行で読むのに飽きてしまう。最近は本を読むということができていない。ずっと漫画を読んでいる。中古で買ったブラックジャックと夏目友人帳を読んでいる。たまに小説を読む。だけど本当にすぐに飽きてしまって、読むことができない。これは私が孤独ではなくなったということだろうか?だとしたら、私は孤独がよかったのに。孤独で、本を読んで、苦しんで、生きればいい。そうして一人で死んでいって、誰にも悲しまれないようにしたい。暗い思考がどんどん消えていく。中学時代からつけているこの日記のようなものも、どんどん書かなくなっている。今も、眠れないからこれを書いているだけで、本来眠れていたら、書かなかった。病んでいないと必要とされないと思う気持ちはまだ消えない。閉鎖病棟にいない自分になど、ICUで管に繋がれていない自分になど、価値はない。もう、死んでしまいたい。死んだら全部終わってくれる可能性があるのだから。この地獄と、死ぬ地獄を選ぶとき、私は死ぬ地獄を選びたい。一度自殺未遂をしたら、人生の選択肢の中に、死ぬことが追加されてしまう。だから私は、ずっと死ぬことを考えてしまう。きっと、これはもう治らない。その選択肢が消えかけても、追い詰められたらまた死ぬという選択肢が浮かんでくるだろう。どうしてこうなったのだろうか。どうして生きているのだろう。悲しいし、苦しいし、辛いし、悔しい。真っ暗な感情に覆い尽くされている。ずっとずっとずっと、底辺を揺蕩っている。どうしよう。どうしたらいいと思いますか?と街中で叫びたい。キチガイだからって理由で一生幽閉されたい。こんな苦しい生活を送るくらいなら、全てを管理されていた方がまし。監視カメラの前で生きる方がまし。二重の扉の中の部屋にいた方がまし。でもね、そんな環境に放り込まれても私は死にたいんだ。きっと、そんなものなのだ。どこにいったって、私は適応できない。母に言わせれば、私は自分から希望したことを一度も全うしたことがないらしい。私は一生懸命に頑張ってきたつもりなのにね。今生きているということを認めてもらえない。世界はなんて残酷なんだろう。それでも、でも、インフルエンサーがよく口にする、「今日も生きててくれてありがとう」には永遠に中指を立てる、それが私が生きていく術だった。反抗して、どうにか、怒りを燃料にして息をする。それをやめたいのにやめられない。なんて苦しいんだろうか。普通の人ってどうやって生きているの?どうやって毎日学校に行っているの?どうやって毎日仕事に行っているの?ただからだ中を駆け巡る怒りを抱えて、今日も明日も明後日も明明後日も生きる。それがどれだけ辛いことか、分かって欲しいと叫びながら。

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