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絵への愛を思い出すまで7


"絵への愛を思い出すまで"を


これまで読んでくださった方


スキをしてくださった方


ありがとうございます。


これが最後のお話になります。



絵が大好きだった気持ちを


突然思い出したように、蓋があいて


それからひとつずつ紐解くように絵と向き合い


自分と向き合ってきましたがひとつだけ

何をしてもずっと消えない感覚があり


"表現することへの恐怖"が


私の体と心にトラウマのように


染みついていて


何故なのかはうまく言葉にならないのに


体が震えて止まらないという現象の


正体を私は探ってみつけていかなくちゃ


前に進めないと感じました。



それから、私の現実で起きる出来事から


私の心を何度も見つめていくなかで


ずっと封印していたことが


1番奥底にあったことを見つけました。



なぜ気付いたかと言えば


友人に言われた


なんでえいみはもっと表現しないの?


という言葉に


「実はこんなことがあって…」と


話している自分に、初めて気付いたからです。


今まで人に話したことのない内容に


私自身が驚きました。


なぜ驚いたかといえば


その日のことは、何十年も思い出すことも


ほぼなかったからです。


でも、今考えると


もう二度と思い出したくない


誰にも話したくないだけだったのだと思います。


本当は全て鮮明に覚えていました。


その日を境に


私は好きな絵を描くことを辞めたこと。

.

.

.


小学生の頃から絵を描きつづけて


絶対に大人になったらイラストを描く


と決めていた私は、中学生になり


迷わずに漫画研究部に入りました。



入る前から本当に楽しみだったのです。


画材が使い放題なこと

絵が大好きで漫画が大好きな人たちと

一緒に絵を描いたり話をできることが。


入部してからは

毎月部内で開催される

イラストコンテストがあり

構図や技術、配色のデザインなどを評価し

それぞれが良いなと思う絵に投票し

上位3位までは部室内に

次の開催まで飾られるという行事がありました。

そこに飾られている先輩たちの絵は

本当に勉強になって何度も何度も見つめた。

これは、どうやって描いたんですか?

教えてください!と何度も聞いたりしながら

部活中は何枚も絵を真剣にかき

家に帰ってからも絵のことばかり考え

練習を繰り返していた。

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だけど、しばらくして

漫画研究部はオタクの集まりで

何をしているかわからなくて

気持ち悪いという噂を聞いた。


私は見た目がいわゆるオタク

という感じではなく

当時は茶髪が好きで

ルーズソックスが好きだったり

ネイルやアクセサリーも好きで

楽しんだりしていて

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周りからしたら

なぜ、私が漫画研究部に

居るのかということを

不思議がられるようになった。

(今思うと本当に余計なお世話だ…)


私は本当に昔から

人に対するカテゴライズや

偏見みたいなものがまったくなくて

いわゆるギャル系の子もオタク系の子

障がいがあるような雰囲気の子も

自分がその時好きな人と一緒に

居たいというスタンスだった。

私はそのカテゴリーからいくと

どこにも属していなくて

少し浮いているように写ったのかもしれない。


なんで茶髪なのか?ネイルしてるのか?

ルーズソックスをはいているのか?

なんで漫画研究部なのか?

なんで?なんで? 

とたびたび質問された

私は小学生の頃から変わらないことを

しているから何を言われているのか

何が気になるのかわけがわからなかった。


それに周りにどう言われようが思われようが

自分が好きなことをして、好きな人と一緒に

いれるだけで幸せだったから

どうだって良かった。

好きだからだよ!と毎回笑顔で答えていた。


それでも

なんでえいみはあの人達と一緒にいるの?

あの人達と一緒に居るのやめた方が良いよ。

ねぇ、漫画研究部って何してんの?笑

漫画みんなで見て研究してるとか?笑

どんな研究…こわっ。笑

と、色んな人によく言われた。


「調子のんな!似合ってねーんだよ!

気持ち悪ぃな!」と突然関わりもない人達に

目の前で怒鳴られてゲラゲラ笑われたり

中学になって絵をかいているというだけ

好きな格好をしているというだけで

笑われたり気持ち悪がられることが増えた。


そんなことない。

こんな風に活動してるよって

好きなだけだよって

一生懸命に話しても伝わらなかった。


今でこそオタクという言葉や文化が

広がって世間の空気は変わったけれど

SNSもなかったあの頃は

絵をかいたり、アニメが好き、漫画が好き

というだけでオタク扱いされ

気持ち悪い、変な人という

風潮がすごく強かった。


その風潮や心ない言葉に耐えられなくて

私は漫画研究部の部長になって

オタクイメージの払拭に挑戦したくなった。


みんなが知ってる可愛いキャラクターを

冊子の表紙に起用したり

私の絵はオリジナルイラストから

みんなに理解してもらえるような

簡単で可愛いイラストに傾き始めた。

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今思うと分かってくれない人に

理解してもらおうと必死にならなくても

そのままで良かったのに


私の大好きな、絵を描く仲間を

馬鹿にされて悔しくて

守りたかったことと

私の大好きな絵に

変なイメージをもってほしくない。

という純粋な思いだったんだと思う。




そんな風に過ごしていた頃

突然走ってきたクラスメイトに

すごい勢いで声をかけられた

「やばいよ!漫研荒らされてると思う!」


それを聞いて私は慌てて

部室に走って向かった

私の目にうつったのは

衝撃の光景だった。


4〜5人の男子生徒が

私達が作ってきた作品を

隅から隅まで探しては

一枚ずつ破っては踏みつけ

壁に貼ってある

みんなが作ったコンテストの絵や

歴代の先輩たちの大切な作品も破られ

冊子や画材は

窓から中庭の池に向かって

ゴミを捨てるかのように

乱雑に次から次へと投げていた。



私はあまりに突然の出来事に

状況が理解できず

あ… えっ…? と

言葉がのどに詰まった。


言葉を失って立ち尽くしていたら

全員が私を鋭く睨むようにみた。



その目は何の感情もなく

本当に冷たい目をしていて

狂気を感じた。



その瞬間に恐怖が

全身を駆け巡って

震えが止まらなくて

怖くて怖くて

対4〜5人の男を前にして

女1人が出来ることもなく

何も出来ずに

泣きながら

走って教室に戻った。


私が震えながら

ずっと泣いてる様子を見た

男友達や女友達が

代わりに一緒に止めに行ってくれた。

「おい、お前らやめろよ!

度超えすぎだろうが!!

泣いてるだろ!!」

と言えない私の代わりに大声で怒鳴ってくれた。


めんどくさそうに手を止め

私の横を通った時に

「チッ」と舌打ちをされ睨まれた。


そして、変わり果てた部室に入ったとき

悲しくて悔しくて

涙が止まらなかった。


みんながどんな想いで

どれだけの時間をかけて1つ1つの

作品を作ってきたか知っていたから

床に散り散りになった絵の破片を

声にならない声で

泣きながらひとつずつ拾った。

上履きの黒い跡がついた

グシャグシャになった絵をみて

本当に苦しかった。

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それから部員をみんな呼んで

事情を説明して

ごめんなさい

何も出来なくてごめんなさいと

泣く私に、みんなは

部長が悪いんじゃないよと

慰めて抱きしめてくれた。


そのあとみんなで

中庭の池に捨てられた絵や冊子を

拾いにいった。


部室はほぼ屋上に近くて

4階くらいの高さから投げられた

ものたちはもうゴミのように

至る場所に散らばっていた。


手入れのされてないドロみたいな

汚い池に私たちの作品が浮かんでる。

それを棒で拾いあげて

水と泥でふにゃふにゃになった

汚れた作品を触った時

何かが私の中で壊れた。

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絵なんか描いたって仕方ない

私が一生懸命に描いたって

他人からしたらこのドロ沼と

同じ価値しかないんだ。

私には価値がない。


私にとって私が生み出したものは

私自身と同じ意味を持っていた。


どうしてこんな想いしなきゃ

いけないんだろう。

絵が好きなだけなのに。

絵を描いていただけなのに。


絵が…好きだから…?


そう、私は何もしてない。

その人たちと特に関わりもない。

ただ"絵が好きだった"だけ。

でもそれが

こんなにも受け入れてもらえなかった。

応援してもらえなかった。

そう感じてしまって

今までの

そんな体験が一気に私の心に

波のように押し寄せてきて

私は心を閉じた。


部員の中でも反応は様々で

怒りまくっていた子たちや

私と同じように怯えていた子もいた。

きっと私はこの時怒れたら良かった。



この話は先生にも持ち込まれ

先生立ち会いの元

漫画研究部員と荒らした人達で、直接対峙した。

でも、何を言っても

「すぃませんでした〜ぁ!笑」と

音をはずしたりふざけては

ゲラゲラ笑うばかりで

話にならないから

「もういいです」と言った。

笑えるほど相手にとったら

くだらなさすぎて

どうでもいいことなのだ。


もう泣き疲れてしまって

呆然としながら

家に帰った私は

もう、絵は趣味にする。

もう、絵は好きじゃなくなった。

だからもう諦めるね。

そう母に伝えて

パタンと部屋の扉をしめた。


それから私は

部活に行っても絵を描かなくなった。

美容や洋服の話をしたり

恋愛の話ばかりして過ごした。

そして、変わらず絵が好きだった仲間とも

距離をおくようになって

少し顔を出してはすぐ帰るようになった。

絵を描く人が好きじゃなくなって

オタクが嫌いになって

自分の中にもある特定の趣味や

大好きなことがあるオタクな部分を

排除するようになり人にも見せなくなった。


高校は絶対に運動部に入ると決めて

生まれ変わってやると意気込んだ。

運動部だったら

こんな風に扱われなくて済むはずだ。

そう思った。

自分じゃないなにかに変わりたくて

仕方なくて高校に入ってからは

必死で練習した。

絵以外の何かをみつけたかった。

何もない私に、なにか出来ることが欲しかった。

とても社交的でいつもニコニコと

明るくてノリが良く楽しそうな風に装った。

自分の本音に誰にも触られたくなかった。

誰にも、心配をかけたくなかった。



自分の感情を上手く言語化して

伝える術を持ち合わせていなかった私は

繊細な心を絵で表現することが出来なくなって

何かが私の中に溜まり溜まっていった。


そして慣れないきつく厳しい練習に体が壊れ

心が壊れて、私は鬱になった。

変わった私をみて友達は離れていき

クラスで孤立した。

そしてそんな姿をまた笑われるようになって

学校に行けなくなった。


私は生きている意味を見出せなくて

自分が隅から隅まで大嫌いで

毎日猛烈な希死念慮に襲われて

私は気持ち悪い…

私には価値がない…と

繰り返し呟いては泣きじゃくり

高校の間はずっと自傷行為や

パニック発作、自殺未遂を繰り返した。

私にはない人の視点の感覚に常に怯えた。

人が沢山集まった場所で

うまく気丈に振る舞えないとパニックになった。

何度も遠くまで1人で走って逃げたり

トイレに閉じこもっては泣いた。

家族にどうしたの…?と言われても

全く理由を話せなくて声が出なかった。

私の中にある言葉たちが全てのどに

引っかかり詰まっているかのように

のどが熱くて痛くて苦しくて

「あ、、う、、」とボロボロ泣いた。



そんな私の唯一の癒しは

鼓膜が破れそうなほどの

大音量で聴く音楽と

自分しかみない場所に描く

女の子の目だった。

教科書のはじや

誰にも見せないノートに

手で隠すようにして

取り憑かれたかのように

女の子の目をひたすらに

描きつづけていた。

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そして将来の仕事を決める時期になり

絵以外にやりたいことを

一度も考えたこともなかったから

私はみんなに認めてもらえるような

仕事を探した。

それは、医療業界。

それに医学には少し興味もあった。

体が弱かったから病気や健康について

学ぶのも良いかもしれないと思った。


専門学校に行き必死に勉強して

休むこともなく成績トップで卒業した。

他のなにかも

やれば出来るねって思われたかった。


病院に就職し夜遅くまで働いて

朝は早くて時には14連勤もこなしながら

たびたび高熱を繰り返し

体調を崩し続けてもボロボロになりながら

一生懸命頑張った。


ちゃんと食っていけるような仕事に

私はついているはずなのに

お金は貯まっていくのに

ずっと穴が空いてからっぽで

私は一体何の為に生きてるんだろうと

帰り道でいつも考えていた。


だけど3年くらいして

もう限界だ…と仕事に疲れてきてしまって

ハンドメイドアクセサリー作りを始めた。

ものづくりは楽しくて仕方なくて

夢中になって独学で作り方を学んだ。


それが思いのほか周りの人から

欲しい、可愛いと言ってもらえるようになり

販売することを始めた。


そしてまた

壁にぶつかった。


"表現すること"に。

自分の予想以上の周りの反応に

恐怖を感じた。


ネットショップを始めてすぐに

BASEmag.でBASEさんに記事を書いてもらったり

MARYのネット記事に取り上げてもらったり

雑誌の装苑から声がかかったり

広がりそうなチャンスを前にすると

いつも自分でSTOPをかけてしまう。


販売しては作れなくなり

販売しては作れなくなる。

終わったあとはしばらく

ほとんど寝込んでいた。

長いときは半年以上

何にも興味がもてなくなってしまう。


それは絵も同じだった。

やっぱり絵を描こうと思って

メインとは違うサブアカでひっそりと

絵を投稿したりしていると

DMなどがきて

絵めちゃくちゃ好きです!

絵を描いてもらえませんか?

イラスト企画はしていますか?

更新楽しみにしています!

と言ってもらえたりする。

そうすると怖くて怖くて

また絵を描くことを辞めてしまう。


コラボして作品一緒に作りませんか?と

声がかかって

楽しそうな案件!と思って受けたものも

いざ始まると作るのが怖くて

体調が悪くなってしまい

高熱が出て寝込んでしまったり

結局はほとんどお断りしてしまった。


ここらへんにきて


"やっぱりやりたい"

" 怖い "

を何度も行き来している

自分にふと気付いた。


ずっとどうしてかわからなかった。

色々な人に言われる言葉に戸惑った


どうしてもっと表現しないの?

なんで恥ずかしがってるの?

なんでやらないの?

仕事にしたらいいのにしたくないの?

という質問に


私自身がいつも答えられなかった。


なんで…なんだろう…ね。

全部ピンと来なかった。


あれが出来ないからかな…

私は自信がないのかもしれない。

私は嫌われたくないのかな。

そう思った日もあったけど、全部全然違った。


私が表現するのが怖かったのは

嫌われたくないからなんじゃなくて

自信がないとかの話でもなくて


あんな思いを二度としたくない。

シンプルにそれだけだった。


自分が思っている以上に

強いトラウマになっていることに

体の反応で気付いた。

思い出すこともないほど

記憶が深い場所にしまわれていて

頭では気付けなかった。


人の目にふれる場所に

自分の作品を出すことが

本当に怖くて何度も何度も

心臓が飛び出そうなほど

バクバクと動悸がして

全身が、手が異常に震えて止まらなかった。

投稿ボタンを押そうとするたびに

広がっていくかもと思うたびに

あの目がよみがえる。

あの笑いがよみがえる。

声と映像が焼き付いて離れない。


あまりに怖いからいつも投稿する前に

誰かに確認してしまう

ねぇ、この絵どう思う?と。

どう思う?ってわからないよと

言われたりすると

何でも良いからどう思うか言って!!と

不安になってしまう。

この時点で気付けていたらよかった。


その時に何かを

言ってもらえなかった絵や作品は

すべてお蔵入りになる。


私の作品が人の目にうつるのが怖い。

表現したいという本音と

私の作品が誰かに届いたらいいなという

言葉とは裏腹に、体が動かない。

お願いだから

どうか、広がらないでほしい。

どうか、誰もみないでほしい。


やっとそう思っていた自分を

今みつけてあげられた。


そう思っていたから

想いをこめて作っているのに

ずっと作品紹介を自分で出来なかった。


あの日

私にとっては、本当に辛い出来事で

心が受け止めきれなくて

絵が大好きだった自分を全部消そうとした。

記憶も消して、忘れようとした。

全部全部なかったことにして

全てリセットして自分じゃないなにかに

生まれ変わると決めて

あの日私は覚悟を決めて決断した。

もう二度と表現しない、と。

絵は描かないと。

絵が好きだってことも

もう誰にも話さないと。


つくることが大好きな

絵が大好きな

自分を無理矢理箱に閉じ込めて

もう開かれないように

頑丈に鍵をかけて。

日々湧き出るアイディアには

きつく栓をして。

心の奥底に私は私を捨てた。

檻の中に閉じ込めて置き去りにした。

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それでもやっぱり描きたい思いが

ポツポツと顔をだしてきて、たまに

ひとりで絵を描いてみたりしても

絵を描いてるとだんだん

気分が悪くなっていた理由の

正体もやっと見つけた。


こんな絵描いてくだらない。

こんな絵になんの価値がある。

そんな感覚がいつも

渦巻いていた。


私にとって

絵を描くことと

表現することは

あの日を思い出すことと一緒だから。


あの日私を閉じ込めた

箱をあけることと一緒だから。


ずっと腹の底から聞こえる

私の声じゃない

「死にたい」という声が

10代から20代後半まで

毎月のように必ず聞こえていて

私はずっと悩んでいた。


私が笑っていても

その声はまるで別人格のようで

突然やってくる。

その声の音を聞くのが

本当に嫌で

幻聴なのかその声が

どこからきているのか

私はずっと探していた。


だけどやっとわかった。

絵が大好きだったあの日の私。

閉じ込めていた私の声だった。


気付いてからはその声は

まったく聞こえなくなった。



絵が大好きだったと思い出してから

絵を描いているだけで

何度も急にとめどなく

大粒の涙がボタボタと

勝手に溢れ出して

嗚咽してしまうほど

止まらなくなることが

何度も何度もあった。

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それはきっと

あの日の私の涙だ。


楽しい…楽しいっ!!

絵を描くって本当に楽しい!!!

本当に幸せだよ!!

生きてる…私生きてる!!

ありがとう…ありがとう…っ!!

ってずっと閉じ込めてきた

私の心が嬉しくて嬉しくて泣きながら

踊るように喜んでるのがわかった。


ずっとずっと

抑えつけられた

絵が大好きだった私の涙。


ごめんなさい

ごめんなさい

ずっと気付かなくて

本当にごめんなさい

と泣きながら

声に出して

私は私に謝った。


ひとしきり泣いたあと

ふと思った。

私本当はどうしたかったんだろう。


本当はあの時言いたかったことを

少しつよくなった

今の私が代わりに言ってあげることにした。


「やめて!!」

「どうしてこんなことするの!!」


「あなたたちには

全くわからないかもしれないけど

私達にとっては大切な作品なの!」


「これは、一生懸命作ったものなの

わからないのなら好きじゃないのなら

ここに立ち入るな、出て行け!!

その汚れた手で触れるな!!


大切な私の絵に触るな!!

2度と来るな!!」


「私の絵にはちゃんと価値がある!

私は気持ち悪くなんかない!」


そう頭の中で叫んでいたら

また涙がでてきた。

本当に本当に絵が大切で、大好きだった。


大好きなものがあるだけで

馬鹿にされる筋合いなんかない。

笑われる筋合いなんかない。

気持ち悪いと言われる筋合いなんかない。


何もしてないのに

破られたり捨てられたり

踏まれる筋合いなんかない。


なにかに無理矢理

カテゴライズされる筋合いもない。

私が何を好きでどう表現したって

どうだっていいじゃないか。



だけど

私は私で居ただけでそう言われたり

そんな出来事が起きた。

理由がいつも分からなくて

本当に怖かった。


でも

本当は私に価値がなかったんじゃなくて

私の作品に価値がなかったんじゃなくて

その人にはわからなかった

伝わらなかっただけだ。


何にカテゴライズ出来ない私でも

何の問題もなかった。


私が捨てなきゃいけなかったのは

絵が大好きな私じゃなくて

大好きなものがある私じゃなくて

どうしたって

伝わらない人たちで良かったんだよ。


私はあの時とても純粋で

人の言葉や行動には悪意があること

伝わらない人もいるのだということが

分からなかった。


だからずっと私の存在自体に

問題があるのだと感じてしまった。


本当に怖かったね。

ずっと誰にも話せなくて辛かったね。

今までよく頑張ったね。

勝手に閉じ込めてきて本当に

ごめんね。



もうそんな人たちに怯えて


私は、私の大好きなものを


諦めたりしなくていいんだ。


閉じ込めなくていいんだ。

私は表現をして生きる。


向き合うと決めた。



私は絵が大好きで


私の作るものが大好きで


楽しくて楽しくてたまらないから。



そう思ったときに


自分の名前の音に気がついた。

え い み

そうか。ずっと私はここに居たんだ。


ずっと教えてくれてたんだ。


絵が私の生きる意味だよって。


こんなにも強い絵への想いは


最初から


決まっていたのかもしれないと思った。



もうこの大好きという


気持ちから私は逃げない。


目を逸らさない。


今までその反対ならこんなにも


努力して頑張ってこれたんだから


出来ることは沢山あるはずだ。


色々な道があるはずだ。


私の大好きという想いを


なによりも1番に大切にして


これからは生きていく。



私は絵が持つ力を信じてる。


アート作品がもつ豊かさや可能性、自由を


心から信じて愛してる。



他でもない私自身が

アート作品のパワーに触れて

たくさんたくさん救われてきた。



だからもう

私はつくるために生きると決めた。



私は、私の大好きからもう逃げない。


私は、絵が大好き!!!


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