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2021/3/28 「一緒にしないで」

「一緒にしないで。」と心が言っているような気がします。一緒にしないで。と。私を私として見てほしい。一人一人として見てほしい。そうやって叫んでいます。

私にもできたんだから、あなたにもできる。みんなそうやって乗り越えてきた。おんなじ気持ちだった。

あなたならできるかもしれないけど、こんな私にはできないことなんです。

あなたに何がわかるの?って言いたいんだろうなって思う人がいるかもしれません。でもそれは違っていて。私の中にあなたを見ないでって思うんです。同化させないでって思うのです。

中学生の時、辛かったね。辛いのはみんな同じだったんだね。救われそうな言葉だったけど、救われなかった。その代わり、すごく悲しくなりました。泣きたくなりました。過去の自分を悲劇のヒロインみたいに仕立て上げて、それをこうして言葉にして。ゼミ論や卒論のテーマにして。「他者を分かろうとする」なんて良いところのようにアピールして。自分の存在意義みたいに語ってて。それで恥ずかしくないの?って。まだ言ってるの?って。大人になりなよって。そんな言葉をかけられているような気がしました。

でもそうだよなって思う気持ちも、もちろんあります。自分だけが苦しかったと思い込みすぎているだけかもしれない。そんな自分に浸りたいだけかもしれない。思ってはみるものの、やっぱりそれでも苦しかったと言い続ける自分がいます。人と比べてどうなんだって、それはわかりません。でも、自分の中だけで考えたら、すごく苦しかった。それはやっぱりどんなに考えを繰り返しても、行き着く場所なんです。

みんな一緒だよなって思った瞬間、苦しかった自分が消えていなくなる感じがします。それはすごく楽かもなって思ったりもします。でもそれで消したくない。今はあの時から、離れて生きている自分だから、だからこうして書けるわけで。あの時には持ち合わせていなかった余裕が、今あるから。だから書いている。こんな自分に勝手に消されたくないだろうし、それこそ今のお前に何がわかるんだよ。ってぶつけられそうです。

だから私にとって「何がわかるの?」というのは、過去の私から今の私へと向けられた言葉であって、人へ向ける言葉ではないです。しかもこの言葉通り、正直、昔の私が感じていた苦しさというのはもう分からない。前に試したことがありますが、今の私が昔の私の気持ちを書こうと思っても、その文章にはもう熱が乗らないんです。乗せようと思っても、淡々としか書けなかったです。

でもだからと言って、やっぱり過去の自分を消したくない。あの時苦しい思いをしたのは何だったんだって。孤独な思いを感じて泣いていたあの日々はどうしたんだよって。自分しか自分の言葉を聞けなかったのに、その自分でさえも見捨てるのかって。それは嫌なんです。

それに、みんな一緒だよって他の人にも言いたくないです。私は身近で、苦しい思いをしている姿を見てきた。その苦しさが、他の人にとってとか周りの人にとってとかそんなことはどうだっていいんです。ただ目の前にいたその子が辛そうなのを私はちゃんとこの目で見たし、気付いたから。見ていたから。それも否定することになってしまうのはやっぱり違うと思うんです。そうはしたくないんです。

いい様に繕っているだけで、利用しているだけなのかなって感じてもいるけれど、そうじゃないといいなと思っています。


だからやっぱり私は他者は他者として、自分は自分として。1と1で。向き合って重なり合っていけたらいいなと思います。そういう人間になりたいです。私を見るときは、私のことしか見ないし。誰かを見るときは、その人だけを見られる。そんな人間になりたい。


私みたいじゃない人は、きっと、ちゃんと前に進める人で、笑っていよう、笑っていたいなと思える人だと思います。そのために頑張れる人だと思います。

だからどっちがいいなんてないし、好きも、嫌いもないです。声をかけてくれてありがとうです。


またね👋


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