子どものいない幸せ、いる幸せ
毎日家族や子どもオリエンテッドな生活をしていると、
子どものいない人が羨ましくなることがあります。
特に、旅行写真!
なかでも、遠いところ!
特にめちゃくちゃいきにくいところとか、大人でしか行けないところとか、子どもの将来のこと考えたらやりにくい贅沢(高級ホテルに泊まりまくり)とか。
マニアックな国の美術みたりとか!
子どもいなくてバリバリ残業もして働いて、若くて身軽だったら、
世界中の美しいものと美味しいものを探しにいく旅をしたいなあ、
なんてぼんやり思ったりします。
それは、やっぱり子どもがいるとできないことで、
子どもが自立したら自分は50歳とかになっているし、
今しかない感性で得られるものは、今逃したら
二度と手に入らないよな、と思います。
一方で、子どものいる幸せもあって。
わたしにとっては、
子どものいない幸せが「広い世界を知ること」だとすると
子どものいる幸せは「深い世界を知ること」かなと、おもいます。
子どもいると、
雑草や昆虫がとても不思議な造形物に見えたり、
独身の時に見えなかった社会の仕組みに気付いたり、
理性の奥に秘められた人間の動物性を垣間見たり、
自分が親や先祖どんな愛情をかけられてきたかを知ったり。
全然、子どもいない時と同じところにいるのですが、
同じ風景が多重化してみえるというか、
世界の見え方が深まった感じがします。
子どものいない幸せ、
子どものいる幸せってもちろんこれだけじゃないと思うけど、
自分にとっては、
深く世界を知れたことはとても価値があることだとおもうので、
子なし貴族(失礼)たちへの羨望はやみませんが(特に旅)、
これでよかったんだとおもってます。
子どもいないことでいろんなこと言う人はいると思うけど、
子どもいない幸せも絶対あるので、
それぞれが、どういう人生を歩みたいのかの価値観で決めていくのがほんとにいいとおもいます。
皆既月食みて、オーロラを見にいきたいとふと思った秋の夜でした。
(蛇足:年金をはじめとする日本社会のシステムは、老後を子どもに支えてもらうことになっているので、真に自由な選択のために、子ども育てるというコストを払っている人、いない人の負担感が同じようになると良いなと思ったりします)
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