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先ずは自己紹介など(1)

はじめましてkadoc0608です。
私のプロフィール、というよりも半生を自叙伝的に短くまとめてみました。

私のルーツとなる父親は徳島県出身、母親は佐賀県出身です。二人は福岡県で出会って結婚し、私は1966年(昭和41年)に生まれました。

父は酒問屋の営業として働いた後に脱サラして酒屋の主となり、母と共に私たち3人の子どもを育ててくれました。

私は高校卒業まで地元福岡で過ごし、関西地方の大学商学部に入学しマーケティングと消費者行動論を専攻しました。大学に入学したのはバブル経済始まりの年とされる1985年。入学して半年で生活は一変しました。

入学時はまだバブル前でした。始めてやったアルバイトは小さな町工場、医療機器の作動検査でした。スイッチを入れて自動で止まるまでの時間を計測し、正常に作動したら台帳に製造番号を記録し、検査済のシールを貼って箱詰めするとった単純作業でした。

時給は400円、8時間勤務で黙々と一日働いて3,200円だったことを覚えています。下宿から工場までバスや電車を乗り継いで1時間半、交通費も出なかったので往復600~700円を自分で出して通いました。世間知らずだった私は、失礼ながら給料をいただいた時に「あれだけ時間を使ってたったこれだけ?」と思い数日で辞めてしまいました。

その後、在学中に様々なアルバイトをしましたが、1985年の秋以降は募集時に提示される時給が600円、700円、800円、1000円とどんどん上がりました。

アルバイトで稼いだ私はもっと広い世界を知りたくなり、バックパッカーとして歩き周り、あるいはバイクに跨がって走り、日本国内のみならずアメリカやオーストラリアにも旅をして大学時代を謳歌しました。

私は大学時代に就職活動をほとんどしていません。その頃アルバイトしていたところには様々な企業の人が出入りしていたため、多くの社会人と顔見知りになり、その方たちが簡単に人事担当に繋いでくれました。

バブル時代だった当時は新卒大学生の争奪戦があったので、人事部長が面接のためにわざわざアルバイト先に来て下さることもありました。その結果、名の知れた上場企業数社から内定をいただきました。

ご多分に漏れず、当時は内定先の企業が食事会やスキー旅行やテニス旅行に連れて行ってくれて大変贅沢な思いを経験させてくれました。

しかし、結局私は企業からいただいた内定を全て辞退して、実家の小さな酒屋を継ぐ決心をしたのです。

さて、大学卒業後に酒屋さんとなった私が、どのような経緯で現在のキャリアに繋がったのか…この続き(2)に続く↓↓↓
https://note.com/_kadoc0608/n/n00066556be5a?sub_rt=share_pw

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