"note"とは“書く瞑想”である
今までに何度も「noteが好き」という記事を書いていますが、「なぜ好きなのか?」を考えることはとても大切です。
その中には、わたしの価値観が隠れているのですから。
というわけで、今日は「noteを書いた後の気分のよさは一体何なのか」について考えてみようと思います。
結論は、タイトルのまんまなんですが。
わたしが瞑想を習慣にしようと試みたのが今年の4月です。
そして、noteを始めたのが今年の7月。
わたしは気分屋で飽きっぽいのですが、今ではわたしの生活になくてはならないものとなりました。
瞑想って座って手を膝において目をつぶったまま長時間過ごすというのが一般的なイメージかと思います。
まるで修行でもしているかのような。
でも、最近は何か一つの動作に集中している状態を瞑想と表現することもあるようです。
その中の1つがジャーナリングという
“書く瞑想”です。
ジャーナリングをするときは紙とペンを用意します。
そして、これから書くことについてテーマを決めます。
「仕事のこと」
「やってみたいこと」
「楽しかったこと」など。
そして、制限時間を決めて、その間ひたすら思いついたことを書き続けるのです。
時間は3分でも、5分でも好きな時間を設定してタイマーなどをかけておきます。
書き終えたら紙に書いてあることを読み返します。
「わたし、こんなこと思ってたんだ」など新たな発見があるかもしれません。
このジャーナリングには次のような効果が期待できます。
不安やストレスが軽減する。
集中力がUPする。
自分を客観視できる。
自分への理解が深まる。
気持ちの整理ができる。
もちろん、続けることで得られる効果ですが。
一方、noteです。
最近のわたしのnoteの書き方をご紹介します。
まず、テーマを決めます。
最近起こった出来事のなかから、
「気持ちが動いたこと」など。
そして、パソコンでいっきに書きあげます。
誤字脱字は気にしない。
話が続いていなくても気にしない。
“てにをは”もめちゃくちゃ。
改行もほとんどしない。
もちろん手が止まることもありますが、そのときも最初から読み直したりせずに、とりあえず書き続けるようにしています。
何分で書き終えるとかは決めていませんが、おそらく30分くらいで書き終えていると思います。
書き終えたら、ゆっくり校正していきます。接続詞や助詞で文をつなげたり、太字にしたり、行間をあけたり。
パソコンとスマホで両方確認するので、だいたい3回くらいは自分の記事をじっくりと読み返していると思います。
ときには一晩寝かせて次の日に投稿することもあります。
この2つを比べてみて、どうでしょう。
ほとんど同じことをしています。
別にジャーナリングを意識してnoteの書き方を寄せたわけではありません。
わたしはnoteを始めたてのころ、ひとつの記事に2~3時間かかっていました。
少し書いては訂正し、少し書いては訂正し、とやっていたら毎回多くの時間をとられていたのです。
もう少し効率良く書かないと習慣化できないと思い、試行錯誤し、今の書き方に落ち着いたというわけです。
この書き方にしてから、爽快感というか、なんともいえない気持ちよさを感じるようになりました。
知らず知らずのうちに“書く瞑想”をしていたのだと思います。
瞑想って苦手な人もいるかと思います。
「瞑想する時間がとれない」とか。
「やってみても効果を感じられない」とか。
「座ってじっとしていることに生産性を感じられない」とか。
スピリチュアルなことが苦手という人もいるかと思います。
でも、瞑想を『ひとつの動作に集中する時間』ととらえると、ハードルがぐっと下がり、枠が広がるのではないでしょうか。
ある人は「歩くことが瞑想です。」と言っていました。
また、本を読んでいて「朝の雑巾がけが瞑想です」と書いてあるのを見たことがあります。
やり方は違えど、共通しているのはその動作のあとの気持ちよさです。
気分がスッキリするのです。
そして、続けていると前向きな考え方ができるようになったりします。
誰もが欲しいものです。
わたしのなかで“瞑想”と“note”は結びついてはいなかったのですが、おもしろいことに、今朝瞑想をしているときにふと繋がりました。
こちらは座って目をつぶるスタンダードな瞑想です。
あぁ、だからnoteは気持ちいいのかと。
だから、今日もわたしはnoteを書きます。
瞑想を続けられない人やnoteの執筆が進まない人にとって、今日の記事が参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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