ひとつひとつの思い出は
私はツイッターアカウントを3つ持っている。
1つは、友達とつながったり、いつもの自分を表現する所。
もう1つは、自分磨きのために美容系の情報を仕入れたり、ちょっとした日記を書く所。(というのもいつもの自分のキャラでは無いから、表のアカウントではフォローしづらくて。)
最後の一つは、もっと内側にある心や頭を整理するため、安定させるために「好きな雰囲気」で固めている所。
最近はSNS疲れでTwitter自体にログインしていなかったけれど、
3つ目のアカウントを検索して、読み返していた。
ツイートには、自分の心や思考の流れが、ポツリポツリと残されていて、「いいね」には、愛だとか、優しさだとか、教育だとか、そんなことばかりが詰まっていた。
心が温かくなったり、うるっときたり、たまにチクっとするものがあったり。
なによりも読んでいる時の温度が心地よくて、
「ああ、これこれ。こんな世界で生きていたいんだ」
と思った。
先ほどアカウント説明で、「〜な所」と自然と表現していたのも、そこに自分の居場所を感じていたからなのかもしれない。
今、こうやって書いているのは、「忘れる」ことに対してちょっとした焦りを感じたからだと思う。
その時々で感じる尊い気持ちや、ふとした時に湧き上がる信念を、
忘れたくない。
おいおい、信念は忘れないでしょう、という意見はごもっとも。
でも、人って思ったよりも随分忘れっぽい。(あくまでも私はまだまだできない)
とあるエッセイで「何でそんなに日々の出来事とかをノートに書くの?感じたことを忘れることの何がダメなの?」みたいな問いかけを見たことがある。
その時は、「確かに。何がダメなんだろう」と揺さぶられた様な気がした。
けれどあの3つ目のアカウントを読み返して、
「忘れることは悪く無いけれど、心に刻んでいくことで”私”という人間がより鮮やかに作られる。だから、大事なんじゃないか。」
と思った。
どれだけ心で感じて、じっくり頭を捻らしたとしても
何かに残さないとふわふわぐらぐら、時には無かったことにさえなってしまう。
(書き留めるだけが有効とは言わないが)内側を表に出してあげることで、同時に心へ深く刻めるのは言わずもがなだし、ふとしたきっかけで思い出せるようにもなる。
そして、ひとつひとつの思い出は、きっと私が私らしく在れる手がかりになるから。
今はまだ薄っぺらい人間だけれど、ちょっとずつ色濃く、厚くしてあげたい。”忘れ事”ばかりの私から、自分の足で立てるような頼もしい私にしてあげたい。
だから私は書こうと思う。
今の自分を丁寧に紐解いてあげて、ここから続く未来の自分へエールを送るんだ。
誰のためでもなく、私のために。
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