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私が思う、多世代交流の魅力とは

大学で高齢者とワークショップを行なったり、授業で小学生とフィールドワークをしたり、塾のアルバイトで中高生と関わったりと、最近は老若男女問わず、自分と世代の違う人と交流する機会が多い。

今の私は世代でいうと、 “23歳の大学院生” という肩書きをもつ人だ。

そんな私の視点から見ると、たとえば小学生からは素直さや楽しむ力を学び、その無邪気な姿から元気を得ることができる。

そして高齢者からは、日々の小さな幸せに気づき、それに感謝する力。視点を自分から他者に向け、周りの人の幸せを願う慈愛の心を学ぶことができる。

では、小学生から見た私はどう見えているのだろうか。私が小学生から学んでいるのと同じように、彼らも私からなにかを学びとってくれているのだろうか。

はたまた、高齢者はどうなのだろうか。

高齢者との交流を通してよくかけていただける言葉としては、「若い人の話を聞いていると、希望を感じて、もっと前向きにいかなきゃと思える」などと言っていただけることが多い。

つまり、整理してみると、

小学生からは元気を
大学生からは希望を
高齢者からは感謝を

それぞれ異世代との交流を通して、学び得ることができる。

年齢が同世代だとか、性別が同じだとか、人は自分と同質性の高い人と行動を共にしやすい。

しかし同質性の高い集団のなかでは、自分の個性とか独創性とか、いわゆる「自分らしさ」みたいなものを見い出すことには苦労する。

だからこそ、自分だけがもつ力ってなんなのだろうか。自分にしかできないことってなんなのだろうかという悩みに陥りやすい。

一方で、異質性の高い集団の中でなら、自分の肩書きがそのまま強みになったりする。

たとえば、60代に囲まれた職場で自分だけ20代だったら、その若いが故の特徴が、そのまま強みに変わってくれる。

力仕事ができる、今の流行に強い、デジタルネイティブだとか、“このなかで一番若い” ことがそのまま自分の強みになるのだ。

もしかすると、どの家庭においても小さな子どもが一番のアイドルになるのも、この原理に基づくのかもしれない。

家族にたった一人の幼児なら、それはもうかわいくてたまらない。

一方で、そんな幼児がたくさんいる幼稚園では、たしかに幼児がかわいいことには変わりないだろうけど、幼児が家族にたった一人である場合と、20人いる幼稚園児のうちの一人である場合とでは、その価値はどうしても違って感じられるだろう。

話がそれてしまったが、ともかく言いたいことは、異世代からは多くの学びや刺激を得ることができるということ。

また、多世代が集う場だからこそ発揮できる自分の力があるということ。

そしてなにより、そんな特徴をもった多世代交流って本当に楽しいと、私は日々の実践を通して実感するとともに、だんだんと多世代交流に対して強い魅力を感じるようになった。

とはいえ、むしろ今は核家族化による世代間の分断が進んでいて、昔より多世代交流機会は失われている。

だけどポジティブに考えると、多世代交流拠点としての機能を家庭内に期待することは、もはや不可能になりつつある今だからこそ、家族を超えた家庭外で多世代交流を行うことや、その魅力を伝え、広げていくチャンスだと捉えることもできるだろう。

だから今は、多世代で楽しむこと、学びあうことが、もっと普通に起こっていく社会になればと願って、頭の中でそんな未来を描いていたい。


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