熱意は自然に生まれるものではなく、自ら生み出すものでもない
かなり回答が遅くなってしまいました。
今回もご質問ありがとうございます!
このご質問を読んですぐに思い浮かんだのが、ちょうど私が今学んでいる「社会構成主義」という概念です。
社会構成主義は“物事の捉え方”のことを指すような、ある意味哲学のような…とても面白い概念なので、今日はこれを用いてご質問にお答えしてみたいと思います。
社会構成主義とは
まずはじめに、社会構成主義の考え方について簡単にご説明します。
社会構成主義の入門書としては、『現実はいつも対話から生まれる』という本が出ています。
まさにこの本のタイトルに象徴されているように、社会構成主義の基本的な考え方とは、「物事の意味や事実は、人と人との対話によって社会的に構成される」というスタンスです。
つまり質問者さんが上司か誰かに言われた、「熱意が伝わってこない私」「気合いとかやるぞ!って気持ちが伝わってこない私」「感情が表に出ない私」というのはすべて、普遍的な事実ではなく、上司から発された言葉によって構成されたものであると捉えることができます。
さらに、質問者さんが自分自身のことを「私は熱意を持てていない」と自己評価していること、それさえも自らが構成している「私」であると見なすことができます。
したがって、社会構成主義のスタンスから考えれば、普遍的な事実など世の中には存在せず、「世界に存在するものはすべて、私たちが対話によって社会的に構成している」のだと捉えることができます。
私が“熱意を持てているかどうか”は、環境や場合による
だから、人から言われたことをそのまま鵜呑みにする必要なんてありません。受け入れたいことは受け入れればいいし、受け入れたくないことは右から左へと受け流してしまえばいい。
たしかに「私」は「私」でしかありませんが、人から見た「私」という像は無数に存在します。なぜなら当たり前だけど、人によって「私」の解釈の仕方が違うからです。
だから、たとえAさんから見たあなたは「熱意を持てていない」としても、Bさんから見たあなたは「熱意を持てている」ように見えるかもしれません。
さらに、違う環境に身を置いてみたらどうでしょうか。
たとえば、営業職としての「私」はなかなかノルマを達成できず、散々上司から怒られていたとしても、業務内容がガラッと異なる事務職としての「私」なら、もっと才能を発揮できるかもしれません。
つまり私に対する評価は、環境や場合によって変わります。
だから今この状況でどうにか熱意を持とうと努力するよりも、もしかすると付き合う人を変えてみたり、環境自体を変えてみることの方が得策だし早いかもしれません。
少なくとも私はそっち派です…(笑)。
人や環境に合わせて自分をカスタマイズするより、ありのままの自分を活かせた方が絶対よくないですか?
結論:熱意は自然に生まれるものではなく、自ら生み出すものでもない
以上をまとめると、熱意というのはきっと、自然に生まれるものではなく、自ら生み出すものでもありません。
相手の評価に合わせて自分を変えようとしなくていいと私は思います。
きっと大切なのは、「熱意があるね」と自分を評価してくれる人がいる環境に身を置いたり、あるいは質問者さんが「熱意があるね」と評価してもらえるようなパフォーマンスを自然に発揮できる仕事に就くことなのではないでしょうか。
言葉というのは、ものすごい力を秘めています。
言葉は、時に人が涙するほどの感動を与えることができる一方で、時に人の心を変えてしまうほどの暴力にもなりかねません。
だからこそ、自分より立場が上の人から言われたことだからといって、その人からかけられた言葉をすべて鵜呑みにする必要はありません。
直接言い返せというわけではないですが(笑)、心の中ではちゃんと言い返せばよくて、自分のいいように言葉を取捨選択し、解釈するスキルを持っておくと、より生きやすくなるような気がします。
その意味で、「社会構成主義」の考え方を知っておくと、世界が少し違って見えてくる感じがするので、私は結構この概念が好きだったりします。
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