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正統的周辺参加

私のゼミの同級生たちはみな口を揃えて、ゼミ活動を通して様々なことに挑戦し、「自分を変えられた」ことが一番印象的な出来事だったとして卒業していく。
それはきっと、ワークショップの企画をしたり、「自分が主役になれる」ような体験を通して自信をつけることができたからだと思う。

最初は先輩もいるし、参加者側で受け身になって参加する。しかし先輩が卒業すると、企画者側になることが増え、自分の存在や役割が、徐々に中心的に感じられるようになっていく。

「自分がいてもいなくても変わらないだろう」と思っていれば、「絶対参加しなきゃ」というまでの意識は生まれてこないし、やる気や熱意もそこまで湧いてこない。
だけど、「自分がいなきゃこの場が回らない」と思えれば、「自分に何ができるだろう」と本気で考えることができるし、「もっとこの場に貢献しよう」という意識も高まっていく。

受け身でいるより、主体的になった方が絶対楽しい。

これに気づくには、大勢の中の一人でいるところから、勇気をもって飛び出し、主体になってみなければならない。だけど一度主体になってみて、その良さを実感できれば、もう受け身には戻れなくて、もっともっとと、どんどんやっていきたくなる。

つまり、「一度ステージに立ったら降りられない」現象が起こる。

これってなんでだろうと思っていたけど、これは「正統的周辺参加」という理論で説明できるらしい。

正統的周辺参加(LPP:Legitimate peripheral participation)とは、最初は周辺的な分担であった新参者が,学習の進展とともに,徐々に中核部を担当することを言う。正統的周辺参加では,「学習」の意味を,従前の「知識の伝搬」と捉える視点から,「社会的な活動の中において,役割を果たせること」とパラダイムシフトさせた。
最初は下っ端の仕事をしながら、より熟達している人がこなしているより重要な仕事を見よう見真似で覚えていく。徐々に「周辺的」な位置から「中心的」な役割を果たすようになっていく姿を「学習」と捉え、下っ端であってもその共同体の「正規メンバー(=正統的)」であり、周辺部分から徐々に参加度を増していく、という意味で「正統的周辺参加」論と名づけた。

前回、発達の再近接領域のことも記事にしたが、それと正統的周辺参加を説明しているこちらの動画がわかりやすかった。

大学時代はゼミ活動もすごく楽しかったけど、ユニクロでのアルバイトも楽しかった。

そのプロセスを振り返ってみると、最初は品出ししかできなかったのが、商品整理ができるようになって、試着室応対ができるようになって、レジ打ちができるようになって、補正ミシンができるようになって、POP替えができるようになって、売場の指示者ができるようになって…と、できることの幅がどんどん広がっていった。

正統的周辺参加の理論を踏まえて考えてみると、
“できることが増えていく”、その広がりのプロセスが楽しかったのかもしれない。

しかし社会人になると、自分にできることの幅は一気に狭くなるし、裁量は小さくなり、組織の中での自分の存在意義を感じにくくなってしまう。
たとえそれまでに、「一度ステージに立ったら降りられない」現象を体験していたとしても。

だからこそ、環境にうまく適応できなくて五月病になってしまったりする。私もその一人だ(笑)。
ただそれを乗り越えれば、またどんどんやっていきたくなるポジティブサイクルの波に乗れるのかもしれない。

主体的に挑戦していくことの楽しさを知ることができたからこそ、人生のどのステージにおいても、みんなが主役になれるきっかけづくりがしたい。


参考・引用


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