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人生で、私を見てくれたひと 1人目

中学生時代、そのほぼすべてをいじめられることに費やし、出会ってきた人ほぼ全員に無視されていた私ですが、3年間のうちに、たった1人だけ、私に興味を持ってくれた人がいました。

1つ目の投稿「自分語りの場所」でも少し書きましたが、私の人生で私のことを真正面から見てくれた人は4人しかいません。


そもそも、人生で自分に興味を持ってくれた人の人数なんて気にしたことがいる人はいるでしょうか?いらっしゃればぜひともその境遇について語りあかしたいほどです。

ともかく、その4人のうちの1人とは中学生時代に出会いました。

その人の名前を、ひなこさんといいます。

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中学2年生に鍼灸師、無視されることが完全に習慣化していた頃、ある1人の子が話しかけてきました。学校で同級生と話すのは実に1年ぶりでした。

「あのさ・・・テスト範囲の宿題終わった?」

教室には読書をしている私しかいませんでしたが、それでも人目を伺いつつ、斜め後ろの席からこちらを見ずに聞いてきました。

その子は、クラスでの成績は中の下ぐらいで、いつも上のカーストの女子にくっついているような子でした。その子が話しかけてきたので「まためんどくさいことになりそうだぞ」と思いつつも、うなずきました。完全に無視をされてはいましたが、物を取られたり壊されたり殴られたりすることはなかったので、別にクラスの人を恨んでいるわけではありませんでしたから。もはや、無視されているのは私の人となりのせいなんだろうなと思いつつ暮らしていました。

やることが勉強しかないので常に何らかの勉強をしていた私は、1年生の間も2年生に上がってからも、ずっと学年で1位を取り続けていました。自慢ではありません、当たり前です。もう一度言いますが、勉強しかやることがなかっただけです。1位を取ることでしかアイデンティティの獲得ができなかっただけです。

小さく「うん」と言いながらうなずいた私に、その子は重ねてこう言いました。

「見せてくれない?」

え、何を言ってんだこの人?

1年前の最後にしゃべった子(カンニングしたの?と聞いてきた子)にも思ったことですが、このクラスの子は基本的に何を言っているのか分からないのです。

怪訝な顔をした私にその子は慌てて言い訳を始めました。

「次のテストでいい点数を取らないとお小遣いも減らされるし、ケータイも没収されるし、ゲームの時間とかテレビの時間も少なくされるの。危機的状況なんだよ。」

その時の私の気持ちを簡単に言うと、こうです。

知ったこっちゃねえよ。

私はお小遣いなんてもらったことはありませんし、ゲームもケータイも買い与えてもらったことはないし、テレビなんて見せてもらったことはありませんし、それでも生きているので何が危機的状況なのか全く理解できませんでしたが、その子たちからすると、そうなのでしょう。

「いいよ」

今考えるとやめておけばよかったのに、という感じですが、この時は久しぶりに人と話せてうれしかったという思いと、「私必要とされてる?」という常に爆発5秒前の承認欲求のおかげで見せることを二つ返事で快諾してしまいました。

もう慣れたと思いながらも、1人は寂しいです。藁をもすがる思いが、しっかりと表面化してしまいました。

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その日から、2回の定期テスト(中間テスト、期末テスト)、単語テストなどの小テストに至るまで、私がいつもテスト前に作っていた予想問題をコピーして渡していました。

学校で渡すと人目についてしまうとのことで、学校の裏手にある畑の、倉庫の横に紙袋で置いておいて、と言われていました。なぜか悪いことをしている気持ちになっていました。ヤクザの人とかってこんなかんじなのかなあとか思ったり。

中間テストの英語の前日に、直前予想を紙袋に入れていつもの場所に置こうとすると、倉庫の中から声がしました。

「やめておいた方がいいんじゃない」

落ち着いた女の人の声でした。まさか人がいるとは思っていなかったので、心臓が跳ね上がりましたが、そーっと中を覗くと、私の母親と同い年ぐらいの女性が座っていました。

この人が、ひなこさんその人です。


ひなこさんは私と目が合うと、もう一度言いました。

「やめておいた方がいいよ、やりたくないことをするのは。

心が疲れちゃうでしょう。

もうへとへとでしょう」


他人からこんなことを言われたのは、思い返してみて、本当に人生で初めてでした。


頑張って作った母の日のプレゼントを捨てられたこと。
私の誕生日に、家族みんなは旅行に行っているのに私だけ留守番させられたこと。
部屋に閉じ込められて、空腹に耐えていたこと。
学校に向かう途中、ずっと吐きながら道を歩いていたこと。
部活の子がコートで楽しく試合している時に1人で壁打ちをしていたこと。
人からの視線が怖くて、ストレスで血を吐くようになったこと。
友だちでもない人の役に立つことに、少し喜びを感じてしまっていたこと。


いつだって人からの嫌悪感と侮蔑の視線しか感じたことがなかった私は、ギリギリのところでずっと堰き止めていた何かが、ひなこさんのこのひとことで、砕け散る音を聞きました。

気付けば、すごく醜い声と人には見せられないような顔で、過呼吸になるぐらい泣いていました。

突然すごい勢いで泣き始めた私の背中を、ひなこさんはずっとさすってくれて、そして自分のことをぽそぽそと教えてくれました。

ひなこさんは、学生時代、授業中に挙手をしたことがないほど引っ込み思案でとてもおとなしい性格の方でした。しかし10年働いた会社で、上司のセクハラに耐えられず、とうとう上層部に直訴したものの揉み消され、限界になり半狂乱状態で「○○課長にセクハラされています!」と叫びながら会社中を走り回り、その日のうちにクビになったそうです。

ひなこさんは、こう言ってくれました。

「人生で、我慢しなければならないことや頑張らなければいけないことはもちろんたくさんあるけど、自分の心が疲れちゃうようなことからは逃げてもいいんだよ。」

いつも私がテスト対策問題を入れた袋を置き、それを回収に来た女の子たち(1人ではなく、みんなで見ていたそうです)が「あいつチョロいな」と言っているのを見ていたそうです。

現状、お金のない学生で、家庭からも学校からも逃げられない状況にあった私ですが、逃げるという選択肢があるということを教えてくれたのがひなこさんでした。


その日のうちに、テスト問題を渡すのはもうやめる、と伝え、キレられて水筒のお茶をぶっかけられましたが、「初めて逃げてやったぞ」と清々しすぎる思いでした。

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今の時代は、世間的に誰か知らない人は基本的に不審者として扱うことが良しとされているのでしょうが、私の中では知り合いの人の方が全然不審で不信でしたから、外の人と会う方が私は安全だと考えていました。

まあ、言ってしまえばもう誰でも良かったのです。

やけになっていたわけではないですが、家族と学校と塾しか世界を知らない私は、この人たち以外なら誰でも良い、という気持ちでした。一生この世界と環境しか知らずに生きていくことに絶望すら覚えていました。

昼ごはんの時間や、学校が早く終わる日、部活が休みの日などにはいつもひなこさんに会いに行っていました。色んな今までの話を聞いてもらい、色んな話を聞かせてもらい、色んなことを考えさせてもらいました。

何を話しても最後まで「どうして?」「それで?」「もっと聞かせて」「とても興味があるよ」と言ってくれました。


受験、恋愛、大学、留学、アルバイト、1人暮らし。

ひなこさんは私にたくさんの新しい、知らない世界があることを教えてくれました。


良い出会いを経験したことのなかった私が、

自分に興味を持ってくれる人を知らなかった私が、

初めて、

「この人と出会えたのは奇跡だった、本当に良かった」

と感じた出会いでした。

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