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自分語りの場所
物心がつく、という言葉がありますが
みなさんは自分の「物心がついた」時期を覚えていますか?
そもそも物心がつくという言葉を辞書で調べると、こうあります。
幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる。
「お前の話なんて誰も興味ないぞ」
物心がついて、私の中の「世の中」が形成されていったとき、
そこに私の居場所と私に興味を向けてくれる人はいませんでした。
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居酒屋で大声で自分の過去の栄光や持論を展開している人をよく見かけます。いわゆる自分語りというやつですよね。
自分語りをする人は往々にして嫌われがちであるという印象がありますが、まあ自分のことしか話さない人なんてこちらからすると
「すごく色々と話してくださってますけど、興味ないよ???」
程度のものです。
逆に、自分の想い人や尊敬している人の話は多少長くても聞きたくなる。お金を払ってまで講演会に行ったりすることもあるでしょう。色んな意味で興味がある人の話、ですからね。
つまり、自分のことに興味を持ってくれている人が1人もいない環境で物を話しても一蹴される。嫌悪感を抱かれ、最悪の場合、排除されることもあります。
当たり前の話です。でも、嘆かわしいことに、物心ついたばかりの私はそんなこと全く知りませんでした。
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小学校1年生のある日、私は国語の漢字テストで100点を取りました。
日とか火とかそんなレベルのものですが、小学1年生の初めてのテストで100点を取ったのでそれはもう勇んで家に帰りました。
「はやくかえっておかあさんとおとうさんにみせよう!」
帰宅後、手洗いうがいもそこそこに、超自信満々の表情でテストを見せた私に、両親はこう言いました。
「お前の話なんて誰も興味ないぞ」
え、そんなことある?小学1年生の初めてのテストで100点を取った子どもに向かってそんなことある?
この年になったのでツッコミを入れられますが、あの当時の私にそんなスキルは備わっていませんでした。あったのは残念なほど無駄なリベンジ精神だけ。
次のテストも、その次のテストも、その次の次のテストも、先生に褒めてもらった図工の作品も、上手くできた習字も、早く走れた550メートル走のタイムも、残さず食べられた給食のごぼうも、隅から隅まで報告しました。会社員だったら「素晴らしい報連相だ!」と上司に評価されるんじゃないかというぐらい事細かに。
しかし反応は「ふーん」「よかったな」「どうでもいいけど」。
挙句の果てに、ものすごい剣幕で
「うるっさい!向こう行け!うっとうしい!」
と押し入れに閉じ込められたこともありました。
私のことに全く興味がなかった両親に、間違ったアプローチをしまくった結果、私は、やっと、自分の居場所が無いことを悟りました。
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自分語りする人は嫌われる傾向にあると言いましたが、ここまでしっかり自分語りをしている私。みなさんの目にはどう映っているのでしょう。
おそらく興味がない人が大半でしょう。この時点でめちゃくちゃに関心を持ってくれる方なんているはずがありません。
私の20年あまりの人生の中で、私に興味を持ってくれた人はおおよそ4人だけでした。
それでも、
もしかしたらどこかに私に興味を持ってくれる人がいるかもしれない。
私のそこそこハードモードだった人生を笑い飛ばしながら見てくれる人がどこかにいるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱き、拙い文章を世の中に発信したいなと思い至りました。
どうかここを、自分語りの場所とすることがお許しいただけますよう。
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