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Dear my …

一 나는 내가 항상 혼자라고 생각했는데 
    한 번도 한 번도 혼자인 적이 없었어
    私はずっと独りだと思ってたけど、
    決してそうじゃなかった
『그해 우리는(その年、私たちは)』ep.16

わたしが好きなドラマのワンシーン。

主人公の女性がいままで独りだと思っていたけど、実はずっと周りにいてくれた人達に、その大切さに、気づくシーンの台詞。



思い返すとわたしもそうだったのだと気づいた。



うつ病になって良いことなんてひとつもないと思っていた。
いまもそう。良かったことを胸に前を向くことなんて到底できない。



だけど、ひとつ大きな気づきがあった。
わたしの大切な人達がわたしを大切に思ってくれていることに気づくことができた。



わたしは心を開くのにすごく時間がかかる。
いわゆる、狭く深く友好関係を築いていくタイプ。

絶えずわたしは人との距離の測り方に悩んでいた。
人の心にどこまで踏み込んで良いのか。
そんなことをいつも考えていて深く関係を築くのもなかなか難しかった。
心に踏み込むことができなかった。

仲の良い友人でも恋人でも、自分の弱さを見せるのがすごく怖くて苦手だったから隠してきた。
だからだろうか、自分が心を開かないからか、深い部分まで相手と語り合えるということがあまりなかった。
そんな関係を羨ましく思っていた。

けれど、わたしの数少ない友人や恋人のことはほんとうに大切に思っていた。
愛が重い方だから、大好きだとよく伝えた気がする。
そんな関係になれることを夢見て。




そんなわたしが約22年生きてきてようやく、周りの人たちにこんなにも大切に思ってもらえているんだ…と気づくことができて、夢見ていた関係になることができた。




初めてうつ病を打ち明けたのは、小学生の頃からの付き合いの親友。
彼女にはいっぱいお世話になっている。
たくさんの言葉をくれた。
わたしの苦しみを受け入れてくれて、一緒に泣いてくれたこともあった。
彼女に打ち明けたとき、「話してくれてありがとう、嬉しい」と言われた。

わたしもわたしの大切な人がひとりで苦しんでほしくないし、抱えているものは吐き出してすこしでも楽になってほしい、そして大切な人からそういった心の深い部分の話をしてもらったら同じことを言うと思う。
だけど、まさか自分がそう言ってもらえる存在だとは思わなかった。

「そんなに毎日毎日死にたいと思ってるなんて辛くて苦しいよね…。わたしは穏に生きてほしいし、死んでほしくないし、これから先も色んなところに行ったり楽しい思い出作りたいよ。」そう言ってくれたときもあった。
”生きてほしい” その言葉がわたしにはその瞬間を生きる意味になった。
だれかがわたしを必要としてくれている。

彼女にはつい頼ってしまう。
頼りすぎていないだろうか。わたしばかり助けてもらってはいないだろうか。

大好きな彼女の光にわたしもなりたい。



次に打ち明けたのは、恋人。
恋人に打ち明けるのは、正直友人に打ち明けるよりも怖かった。
共に過ごす時間が多く、密度が高い。
心の拠り所としていた。

おそるおそる話を切り出すもののなかなか話すことができないわたしに、恋人は手をぎゅっと握ってゆっくり待ってくれた。

「守りたい」と話してくれて、世間一般の人のように周りのように頑張れないと泣くわたしに「みんなとベクトルが違うけれど、穏が頑張っているのは事実だし、ちゃんとわかるよ。」と言葉をかけてくれた。
生きるのがつらい、苦しいと話すわたしには「今日も一日よく頑張って生きたね、ありがとう。明日からも一緒に生きよう?」と共に生きる道をくれた。
楽しくない時間が多いかもしれない、泣いてばかり暗い話ばかりで負担になってしまったり、あなたの大切な時間を無駄に使わせてしまうんじゃないか、だからわたしじゃない人を選んでもいいよと言ったわたしには、「穏と出逢えて良かったよ、俺にとって穏が隣にいないのは考えられない。」と最大限の言葉をくれた。

わたしはもう自分のために生きる、ということができない。
だから生きる意味を見出したくて恋人に「あなたのために生きてもいい?」と聞いたら、「うん。俺のために生きて。」と言ってくれた。

大きな大きな生きる意味だ。




その後、時間が経ち、勇気を出して大切な友人たちに打ち明けた。

みんなが受け入れてくれた。

今までと変わらず接してくれて、いっぱい楽しいことしようと、調子のよい日に遊びに誘ってくれる友人もいれば、専門的に精神疾患のことを学んでいて色々とアドバイスや相談に乗ってくれる友人もいて、共に過ごした思い出に感謝してくれて、また会おうねと言ってくれた友人もいた。趣味を通して出会い、生き方が大好きだった友人は、同じ悩みを抱えていて良き理解者、相談相手になってくれた。



高校時代最も一緒に時を過ごしたまた別の親友。
彼女もまた「穏の大事な話をわたしに伝えようと思ってくれてありがとう、とても嬉しい」と言ってくれた。
わたしの精神面も身体面もすごく心配してくれた。
やさしい愛のある言葉をいっぱいかけてくれた。

「穏はちょっと辛くても頑張っちゃいそう」と、見抜かれていた。わたしを理解してくれていて、すこし、いや、とても嬉しかった。
一緒に時を過ごしていれば、わかるんだね。

そうしてこう伝えてくれた。
「わたしは穏が大好きだから生きていてほしいし、今日も明日も辛く苦しい時間が少しでも短ければいいなと祈っているよ。これからもわたしの大事な友達でいてくれたら嬉しいし、わたしもそうでありたい。いつでもなんでも連絡してね。」
大号泣してしまった。こんなにも大切にしてくれていたの。
こんなのわたしが推しに抱くような気持ちだよ…。
いまこの瞬間を生きさせてくれて、わたしのつらい毎日に思いを馳せてくれて、これからの未来にも光をくれた。
わたしを必要としてくれるだれかが、またいた。
この言葉で生きることのできる瞬間がある。

生きる意味がまたひとつ。





わたしの周りにいてくれる人たちは、とても優しくて気を遣えて愛情が豊かで努力家で人間性が素敵な人ばかり。
みんな、優しすぎるよ。
なにも与えられていないわたしにどうしてこんなにも優しいのでしょうか。


そのことに、その存在に、気づくのにずいぶん時間がかかってしまったみたいね。




わたしは心を高い壁で囲んで殻に閉じこもっていた。

だけど、ね。

わたしはずっと独りだと思ってたけど、決してそうじゃなかったよ。




これを書いているいまは調子が良くて前向きモードのわたしだから、この大切な宝物をそっとぎゅっと抱きしめて、その存在を十分に感じることができている。

でも、調子が悪くて助けが必要なときほどこの宝物の存在に気付くことができないでしょう。

だから、ここに残したよ。

死にたくて、消えたくて、辛くてたまらなくなったら、どうしようもなくなったら、ここにきてみて。

たくさんの愛で包み込まれることができるから。





Dear my friends and my lover,

生きる意味をくれてありがとう。

両手がふさがるほどの、わたしにはもったいないくらいの、愛をくれてありがとう。

愛しています。




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