論理的に思考するため方法には、演繹、帰納、アブダクションの3種類がある。今回は最後のアブダクションについて、パースの思想をもとに考える。
ニュートンがリンゴが落ちるのを観察して万有引力を発見したり、天文学者のケプラーが惑星の楕円運動を見つけたり、科学の大発見はアブダクションと深く関わっている。
参考にした書籍は主に次の2つ。
また、次の「ゆる言語学ラジオ 今井むつみ登場回」は、アブダクションについて知るきっかけに良いかもしれない。
疑念から行動へ
パースはデカルトに反論する。デカルトは本心では疑っていないのに、あくまで〈方法的懐疑〉だとして、疑いを全面に押し出すからだ。
「自分はこの世に存在しないのではないか?」と疑っている自分の存在自体は疑うことはできない、というのがデカルトの主張である。これは直観的には正しいのかもしれない。
しかし、そうした否定できない自分の存在を想定したとしても、その存在を証明する推論自体がそもそも不可能である。それゆえ、デカルトの主張を認めることはできない、とパースはいう。
パースは、こうした「懐疑」に対する概念として「信念」を持ち出す。疑いというものは、それが解決するまで行動に移されない。これに対して、信念はすでに疑いがなくなった状態にあることを言うので、そのまま行動としてあらわれる。これは知識と行動が一緒のものであるという、陽明学の知行合一を思い出させる。
そしてパースは、整ったあり方で行動し思考することこそ、人間の本質と考える。そこから「人間は記号である」との主張が生まれる。
人間=記号=宇宙
パースが主張した命題というのは、「宇宙は記号であり、その理想を反映した人間も、つまり記号である」ということである。それは、反デカルト主義の立場から打ち立てられた。彼の哲学はこの記号論に深く根ざしている。
新しい観念を導く唯一の推論
パースは論証について、演繹、帰納、アブダクションの3つに類型化した。そのうち、演繹と帰納については、従来の考えをほぼ踏襲する。一方でアブダクションについて、彼のオリジナリティが見られる。
彼は、「アブダクションは説明的仮説を形成する過程である。それは新しい観念を導く唯一の論理的操作である」と述べる。演繹や帰納が既知の結論を導くだけで、アブダクションのみが創造的で、真に総合的な判断ということになる。
こうしたパースの哲学の功績は、問題を含む状況に何か創造的な面があり、そこから新たな仮説の可能性が開けると示したことにある。そのときに働くのがアブダクション的な推論である。アブダクションによって導かれた創造的な仮説が人を行動に駆り立てる。
隠れた関係性を炙り出す
考えるべき問題をじっと長い間にらんでいると、ふとした瞬間に電撃的な〈洞察〉によって、全体構造が心に浮かんでくる。アブダクションはそういった性質を持つ。帰納法と区別される所以である。そうした全体を構成する要素同士の関係性は、実は最初からそこに存在しているのであるが、アブダクションを通じてそれに気づくのである。
これは唐代の禅僧、百丈懐海と潙山霊祐の師弟間の会話を思い出させる。目の前の物事をタイミングよくどのように見るかで、そこにある仏を心に映せるかどうかが決まってくるのだ。
科学的発見の根拠
仮説構築のためのアブダクションは、科学的理論の新発見を支える推論である。つまり、アブダクションなしには科学的発見は考えられないとも言える。
理性に優る本能
誰しもが、自分の微力をもって遂行できる、人生の仕事を見つけ出さなければならない。そしてそうした作業では、表層的で誤りやすい部分(すなわち理性)ではなくて、魂の部分のなかで最も深く確実な部分(本能)に頼るべきだという。人間は自分の理性にうぬぼれているのであり、「完璧な人間理性」など存在しない。
その本能は普遍的な性質を持つものである。例えば数学のような一見して論理の構築物のように見える分野でも、全く別の箇所から同じような理論が生まれることがままある。仮に研究者の恣意性が起点になったとしても、それぞれの意志が全体集合としてまとまって、一つの偉大なコスモスを形成するのである。
自己放棄としての観察
パースによると仮説形成は総括によって始まり、次に観察がくると述べる。その観察は帰納におけるものとも演繹におけるものとも違う。対象を見つめるうちに、そのなかに具わった隠れた力が働いて、ある一定の感じ方に制約される。つまり仮説形成における観察という行為は、そうした不可抗力を前にした、われわれの自発的な自己放棄であるという。
ここには、川喜田二郎のいう「己を空しくして、データをして語らしめよ」に通じるものがある。
真理を学ぶには
そして、真摯に真理を見つけようとする心。それこそが、真理に至る唯一の道だという。
一方で、他人に教えようという気持ちが先走って、自分の持っている知識や考えが絶対的に正しいと思ってしまっては、学問が衰退するとも述べる。人が研究で成功を収めるには、自分の知識が足りていないのだと常に意識する必要がある。しかし残念なことに、この2種類の態度は真逆のもので、妥協不可能である。
アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ
南北戦争前後のアメリカで過ごしたパースは、生涯を通じて正式な教授職に就くことなく、生前はその独創的な思想も国内では評価されなかった。晩年は貧しい暮らしを余儀なくされ、孤独の中で圧倒的な分量の論文を書きながら死んでいった。
そのように自分の力を頼りに生きたパースは、生きているうちについぞ神の意志に叶うことがなかったのである。しかし、そうした特異な境遇もまた、矛盾にまみれた当時のアメリカにおける一つの生き方であったのかもしれない。死後ずいぶん経ってから、そのオリジナリティに溢れた思想がアメリカ国内はもちろん、世界中で認められることになったのである。