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「それはすごく明日香だね。」

これは言われてすごく幸せだった言葉。


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造花かと思うくらい綺麗な花


理想的な何かに自分を当て嵌める努力

ちょうどスウェーデンに行く前キャリアとは完全に別でそのタイミングでプライベート的にもかなり疲れていた。

ずっと自分を誰かに当て嵌めないといけないと思っていた。わかりやすいキャラクターに当てはまってないから会社の関係でも苦労するし、人と付き合いに苦労するんだと思っていた。

繊細な自分が嫌いだった。かわいくて飄々とした人間が好きでそうじゃない自分を変える努力を25年間してみたその節目でどっと疲れた。どこにも自分自身でいれる場所がなく、一人でいるときが唯一自分自身でいられる状態だった。ただ今その変わる努力をやめて自分自身でいた途端に全ての友達が消えて一人になる自信があってそれがすごく怖かった。特に容姿がかわいくもなく、性格もかわいくなく、ちょっと卑屈で、体がでかくて、声が低くて、ホラー映画とホラーゲームが好きで、だらしない、全然メイクしない弱い人間の需要とかもやもや考えていた。だからと言って世に言う「選ばれる人間」になるため努力も続けたくない。単純にめんどくさいし精神的に無理だった(それをめんどくさいと思う自分もいやで悪循環のループだった)。そうなるともう仕事頑張るしか手はないという思考回路で仕事を頑張ることでなんとか自己肯定感をあげようとしていた。


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大学生の頃の自分


自分自身でいる実験

仕事を頑張ってもあんまり自己肯定感は上がらなかった、自分の容姿とか性格のせいかなとかいろいろ考えることも疲れ果て、ちょっと実験的にしばらく自分自身のままでいることにした。そのタイミングがスウェーデンにいく時だった。誰も前の努力して擬態してる自分なんて知らないのでやりやすかった。

数人の友達ができた。評価される何かに擬態してる自分ではない自分に友達ができるなんて到底思っていなかったので感動した。一人から「それはすごく明日香だね。」と言われた。何かの形容詞を使わず私であること自身を祝福してくれる言葉をうける日が来るなんて思っていなかったのですごく嬉しかった。特に容姿がかわいくもなく、性格もかわいくなく、愛想がなくて上から目線で、ちょっと卑屈で、でかくて、声が低くて、ホラー映画とホラーゲームが好きで、だらしない、全然メイクしない人間を祝福してくれる人々がいる、、、、!! 30年弱生きた人生の中で一度も感じたことのない感情で最高に嬉しかった。


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最近習字を始めた母の2020年の字。実家にて。


そしてこういう友人がいることがどんなにそのことで何か否定されても自分自身のままでいつ続ける、戦い続ける励みになることが分かった。

結局自分は何も変わっていない。自己肯定感も特には上がってない。弱い人間のままにいられる強さはちょっと備わった気がする。強いんだが弱いんだがわからないがそれでいいと思っている。


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