はちどり屋をつくりはじめた2019年〜2020年を振り返ってみる
全国を旅しながら選んだ、暮らしを豊かにする食材と日用品を販売するセレクトショップ「はちどり屋」の代表コイデです。
今年(2021年)の3月ごろから、マルシェでの対面販売を継続的に行なっています。
マルシェ出店に至るまで色々あったなあと、ふと思い出す時があったので備忘録がてら書いておきます。
はちどり屋、創業当時はマルシェをメインに活動する予定でした。
(2020年の初頭、当時まだ名前は行商ドットコムという名前でした。名の通り行商=マルシェ的スタイルで活動しようとしてたのです。当時は旅しながら、現地のものを仕入れては隣の県でゲリラ的に売る、みたいなことをやったら面白いのでは?というアイデアから始まったのですが、色々と考えが甘かった・・・w でも、もう少し余裕ができたら再トライしたい。)
全ての始まりは一台の軽バン
ちょうど僕がはちどり屋を創業したのはコロナの直前。
創業前は、いろいろなことがあって資金的にとても困っていて、
移住してた栃木県のとある街から車(当時有り金全てをつぎ込んで買ったポンコツ軽バン)一台とともに東京の実家に帰ってきて、軽バンだったら黒ナンバーに変えて、軽貨物運送事業をしたら資金難を脱出できるのでは?という考えに至って。
これがその軽バン。元々焼き芋屋さんの車だったらしいです。
この真っ黄色に惹かれて、直感に従うままに東京まで現車確認しにいったのでした。なんだかすごくワクワクして。
現車を見たらとてもしっくりきて、手持ちの現金ほとんどないのに頭金だけ払って乗って帰ってきたw
この子は前のオーナーに「ネコリキ」って名付けられてたので、その名前を引継ぎました。
その持ち主さんとの出会いもその後に大きく影響してくることになります。
写真は合成ではありません。羽田空港近くの公園の駐車場に停めたら後ろから真っ黄色の、世界で1機しかない飛行機(スターウォーズ仕様のボーイング777-200ER型機)が飛んできたのでした。奇跡の一枚。
混んでる駐車場なのにこの写真撮るときだけ隣に車がいなかったんですよ〜〜。
※国内線専用機らしい。
その時にタイミングよく、Amazon Flexという好きな時間で働けるドライバー制度が日本上陸した直後でその情報をゲットしたので、
東京に帰ると同時に初めての開業届を出し、同時に国交省の出先機関で軽貨物黒ナンバーを取るための書類とハンコをゲットして車検場でナンバー交付してもらって。ほんとに必死だったので、1日か2日ちょっとでいろいろな事務手続きを進めて1週間後にはAmazonドライバーになってましたw
この時、完全に大学や高校の同期たちのメインストリームとは外れていたし、もうあとはとにかく突き進んでいくしかないな、って感じで割り切れてました笑
Amazonのドライバーは当時とても割がよかったので、こんな仕事があるの?!と衝撃を受けたものでした。
Flexのドライバーは、自分の働きたい時だけ仕事を入れて働くスタイル。
2週間がっつり働いて、1週間は旅する、会いたい人に会う、行きたいとこに行く、等好き放題な暮らしをやってました笑
元の持ち主さんが、ステッカー屋さんを昔やってたらしく、
ステッカーカスタムしちゃう?ってなって、
いろいろデザイン案を考えてつくってみたり。
これがまた、超楽しかった!!
とにかくワクワクにしたがって作り込みに夢中になってました。
幼少期、チョロQが大好きで親父とステッカー貼って遊んだりしてたのですが、それを思い出したり。というかこの車の持ち主さんが、今は亡き親父にめっちゃ似てるんです。雰囲気が。
人と人、地域と人、異なる二つの世界をつなげることをしたいって、漠然に思ってたからその直訳で「CONNECT THE WORLD」ってフレーズをつけました。英語的におかしいかもだけど笑
それで、NEKORIKI号の第二の人生のテーマは「CONNECT THE WORLD」に決まったのでした。
そんな「CONNECT THE WORLD」を、その先体現していくことになります。今もその真っ只中。
それから数ヶ月は、引き続きAmazonをやったり旅したり人に会ったりの繰り返し。
その後、資金的にもゆとり(といっても過去と比べたら、というレベルですが)が出てくると、気持ちにも余裕ができてきて、
だんだんと将来やりたいことのイメージも湧いてくるようになったのでした。
「行商ドットコム」始動
そんな時に思い立ったのがはちどり屋の前身である「行商ドットコム」
その頃は、旅しながら日本中行ってるから、いろんな土地で美味しいものや面白い食文化に出会うことが多くて、それを身近な人(親や友人)に知ってもらいたいと思うようになっていました。
その土地の美味しいものを他の地域の人に食べてもらいたいし、それをできたらそれはそれで商売になるのでは?と思ったり、それがうまくいったらその作り手の農家さんの販売のお助けもできるから、みんな良しなのでは、というざっくりとした、そして甘い目測を立てて動き始めちゃったのでした。
起業直後、いきなり激動の時代に飲み込まれる
しかーしその後、世の中に現れた(?)コ○ナウ●ルス。
今でこそ、いろんな方面からの情報を仕入れるように頭が切り替わったので、あまり極度には恐れていませんが、
当時は本当に怖かった。精神的に不安定だったのもあったから、余計にビビってたんだと思います。しかも当時中国ではものすごい流行だったみたいだし、そういう情報ばっかり目に止まってしまってて。
その時はマルシェ出店が決まっていたのですが、自分が感染しうるリスクもあるし、食品も扱ってて接触度も高いから、と考えて全部出店を取りやめたんです。関わってくれてたアドバイザー的な大人の方達には本当にご迷惑かけたと思う。
その頃はビジョンもよくわからなくなり、やみくもに飛び込み営業したりとか、あんまり気乗りしないことだけどがんばらなきゃ、みたいな感じでジタバタしてました。ほとんど失敗だったけど、飛び込み先の方達に恵まれて色々と学ばせていただきました。なんだかんだ、今もつながっている人もいらっしゃるし、そこからさらに出会いも広まって。
失敗も、やったおかげで自分のスタンスが明確になっていったのを覚えています。
自分の見る世界が、大きく変わり始めた
それで、しばらくまたAmazonドライバーを黙々とやったり、行商ドットコムの当時数少ない繋がりでお世話になっていたカフェさんとコラボのイベントをやったりして、暗中模索の日々が続いていました。
その取引先のカフェさんには本当に素敵なお客様が集まっていて、
その方達と関わっているとどんどん自分自身の考えも変わっていきました。
あの頃からの変化が本当に爆速だった。
見える世界が変わる、ということを真に体験した感じ。
タイムライン変わったんじゃね?みたいな笑
関わる人もガラリと変わったし、
それまで、自分のイメージしたこと、やりたいこと=批判される、と考えることが多くて、もう、やりたいことって叩かれて、批判されて当たり前なのだと思ってしまっていた(ネガティブな思い込み)のですが、
だんだんと周りの方からの影響や自分自身の心の変化もあって、
「やりたいことはどんどんやったほうがいい」
「やりたい、やる!と思ってれば勝手に叶っていく」
「叶わないことなんてない」
っていうマインドセットに変わっていったんですよね。
それに気付いてからは本当に気持ちも楽になったし、
肩の力も抜けた。
無駄に疲れることも少なくなった。
(それまでは、過剰に人に気を使ったりですごく疲れたし、ネガティブな部分もあったし、ストレスもすごかった。。。思い出したくもない。けど、それがあっての今だし、みたいな笑)
それからは本当に展開が早かったですね。
本当に思い込みって重要なんだなって。
いろんなトライアルをしたし、失敗して今は跡形もないプロジェクト、事業もたくさん。
車も乗り換えが多くて、3台壊れてるw
写真見返したら、Twitterで買った冷蔵車が壊れた2週間後にサンバー壊れて途方に暮れてた。笑
高速合流する時に、登り坂だったのでキツイな〜って思ってたら水温計が振り切って煙吹いて、アクセル踏んでも進まなくなった。
現実の変化に、周りのアイテムが対応できてないみたいな笑
そんなことってあるんだな〜って感じでした。
新屋号「はちどり屋」のスタート
あとは、順番前後しますが、車トラブルが連続する前には「行商ドットコム」って屋号が使用停止になりましたw 商標権のことで色々あって。
たまたま、大学時代に仲良かった、ヨガを教えてくれてた後輩の引っ越しをその直前に手伝っていたら、そのお父様が商標に関わる士業をされてるとわかったので、すぐに相談ができて対処してもらうことができ、大事には至らずに済みました。
次の商号は、商標登録はマストだ!!と教えていただいて、
ネーミングを考えはじめ。
とても感覚の鋭い友人に社名を相談したら、
「鳥のイメージとか?!」
って言われて、それを真に受けて鳥の名前をひたすらググって、でもしっくりくるのがなく、
途方に暮れて鳥縛りはやっぱりやめようと思った矢先に降り立ったアイデアが「ハチドリ」
調べてみると、ハチドリには神話のエピソードがあるとわかって、それがまさに自分がやろうとしてることと重なった。
そして駆け込みで名前を変えて、
「はちどり屋」
としてのスタートをきったのでした。
「はちどり屋」になってからは、
オンラインで農家さんの食材を産直販売・予約代行する仕組みを試作したり。
けれど、いきなりオンラインショップにしちゃったもんだから、
ネットの中で集客することの難しさを痛感・・・
とか、またここからも色々ありました。
詳しくはまたの機会に。
そして同時に、この一年で学んだことは「野菜を売るのはとても難しい」ということ。だからこそ、当たり前のように野菜が売られていることって、多くの人の試行錯誤や努力、場合によってはシワ寄せによって成立してる社会現象なんだなってことも、身をもって感じることになりました。
この話もまた追って書きたいと思っています。
・・・
という感じで、それくらいに自分自身の変化も激しく、
また周りの変化も激しかった、そんな2020年。
2020年が終わり、2021年はもっと希望が見えてきたんですよ。
本当に周りの方々のおかげ様で。
そして、2021年3月以降のマルシェ出店につながっていく。
またこの先の記事と今の心情はブログに書きたいと思います。
そんな2020年を思い出した、路地裏ガレージマーケットでのマルシェ出店の夜なのでした。
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