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言葉と感情と行動は一貫しなければウソが出る=アタマとムネと手足の関係=


言葉や態度の暴力、特に子どもが子どもに放つ言葉や態度の暴力=いじめ=は生涯傷を負わせる場合だってある。
そういうことが分からない人が欲望のままDVはマゾだ、変態願望だと性暴力やDVを肯定し、被害にあう人たちを顧みない言動をしている。
東大へ反省文まで出した教授が、である。
腹に据えかねた「週刊女性」が三浦俊彦をついにやり玉に挙げた。
さもありなんと思う。

性暴力被害者を名乗る一部の人たちの中に「自分は子ども時代どうだったのか」を語らないで白々しく自分たちは被害者だと言い張る人がいるのだけど、おおかた今日ただいま自分の言葉や態度が放つ暴力性には無自覚なんだなと思わされることがよくある。
子ども同士の性暴力は確かに問題。だけど、幼児は親の言動を反映している鏡だ。裏側にはDVだけでなく家庭内の言葉の暴力や態度、自分へ向けられている性的悪戯も含めた環境がまるごと子どもに反映しているのだとすれば子どもを罰すれば良いというオトナの理屈は「オトナの側の問題をネグレクトしている」だけに過ぎない。つまり、ここに話題をすり替えているオトナの狡猾なウソが出てくる。
暴力問題を扱うのであれば、当然傷つけられた人たちの感情が話題に出るはずだ。自分の心の傷を負ったということも掘り下げられて当然である。だけど自分の主体がかからない話し方で結局構造や施設の設置や法秩序ばかりに目が行くということは、外側に問題があってそれが正常化されさえすれば自分たちに問題はふりかからなかったという形式論理しか生まれてこない。クリティカルに言えば「火のないところに煙は立たない」と意地悪をする人達の二次加害的な論理に論を待たないところまで持っていくためには、当事者性=私たちが暴力事犯や暴力に遭う事から何を学んでどういう人間関係を生み出せる社会の素地を作れば良いのか=という話題が語られなければならないはずだ。そうでない当事者性の発露は結局は、単なる「懲らしめ論」「仇討ちの正当化」に滑っていくことになるし、現実問題そうなっている。

トラウマ治療には何年もかかる。同時に自分が変わっていくには、自分一人では変わることはできない。負のスパイラルからの脱却に成功した「かつて失敗した当事者」の経験から自分用のテーラーメイドの支援策を自分でサルベージしなければならない。

だから、といおうか、自身が変われた喜びはひとしおだし、その治療体験の重要さがあればこそ「語らないでは居られない」から多くの当事者はどうしても自分の回復ストーリーを伝える方へウエイトが裂かれる。
病識の無い人や治療経験が薄弱な人はこれが当事者からの愛と応援だとわからない。余計に「自慢ばかりしやがって」か「自分に関わりのない話」あるいは「必要なのは法秩序と施設だ」と支配構造ばかり強化しようとさえする。なにか、どこかおかしくは、ないか。

このような悟り済ましたような言葉を言っているが、何を隠そう、わたし自身45の歳になるまで、小学校6年から受けた心の傷をずっと引きずってきた。相手の感覚では一時的な冷やかしや揶揄、弄り、かもしれない。しかし手を変え品をかえ、30過ぎまでいたずら電話をしかけて来られる神経を持った人間が教室も一緒になったことのない人たちに広く存在していたのだから驚きだ。もちろん小学校中学校の学校区だからどこに誰が住んでいるのか、どこに家があるのか、あるいはどんな間取りでどの窓の内側にベッドや布団があるのかまでお見通しの関係ではある。だから、というかいつでも窓を割って斧で一振りすればこの怨みの気持ちは晴らせるのだという感情すら抱いて生活していた。それらの恐ろしい感情と向合いながら教会で祈りを捧げたり、帝国主義論を読んだり、日本イデオロギー論を読んだりもした。どれも救いがないなあと思うぐらい自分の思考の形式は「被害意識」に凝り固まってしまっていたからどこまで行っても苦しいし、相手の気持ちをくぐって生きるという人間関係そのものを拒絶するぐらいの激しい生き方にならざるを得なかった。
不幸なことに、わたしの父親は放送作家でもあったのでその限り職人である。だから「妥協は許さない」という生き方が身に染みてしまっていたから、「自分はあなたたちをおもって、ここまでやって上げたんだ」という熟慮配慮に満ちあふれた人でもあった。それは裏返せば支配的で独りよがりで押しつけがましい人間でもあるわけだ。必ず夫婦げんかの口火は「オレがここまで考えてやっているのに、その想いを嫌うとは何事だ!」という共依存剥き出しのあからさまな不機嫌から始まった。
そういう父親をうんざりするほど見て育ったわけだが、参考になるオトナがこのような人しか居ないわけだ。出会う教師から牧師から情熱的で力を持った先人達が多かった。いや、そういう人にワタシのような異端者は同質性を見いだしてかわいがってくれたのだろうとも思うのだ。だから逆に凡人にはねたみを買うことになったのだろう。そのぐらいハングリーに聖書から文献からとも向き合った証拠ではあるのだけれども。

殺人鬼にも自殺者となる度胸も腕力もない意気地なしに育ったおかげで、実行犯になることはついぞ無かった。さらには父親の強迫と手前味噌の理屈でうんざりしていた自分だったが、逆にそのぐらい強迫的な理詰めで自他をやり込める事しかできない人間に育ってしまったから尚更「越えてはならない一線」は越えられない人間に育ってしまったのだ。
一刀両断ぶった切ることができたらどんなに楽だったろうとかつての自分だったら想いながら生きていた。だからどれだけの教養が与えられようとも知識であとはスルーだったのだ。

NPO活動をするにせよ、文章を書くにせよ「なぜオマイなんかに」と言われパワーゲームを仕掛けられることもあった。そのぐらい良質で高い次元で物を考える人たちと出会い、良質な教養を受け渡してもらった。
今はハッキリ分かるのは、人様のセンシティブなところでも「空気を読めない」自分は土足で入り込んでいる事があった事を認め恥ずかしいと思うように変わっているし、同時に同じような轍をふんでいる人たちの事も手に取るように分かる自分にも育ってきた。
問題が吹き出したときには派手に「炎上」させられた過去もあるから、悪意の限りをつくされることもよくわかる。逆にそれだけ「正論」という形でたたき出していたからこそ「反感」も買ったのだ。ブーメラン現象(作用/反作用の法則)は全ての人に当てはまる。
しかしアクトアップ型の社会運動を語っているだけなのに暴力的だと話題をすり替えられ、暴力を受けた時のトラウマが脳裏に浮かんでいる時に乗じたような傷つけ方やケチの付け方をどうしてやるんだろう?「自分が受けた時と同じ目に遭わせてやる」という呪いの態度はどこから出てくるんだろう?
そこまで人様に施せる資質と資格と立場が認知されている人なんだろうか?
そこでやはり思わされるのは「被害者ヒエラルキー」を当事者特権にすり替えて濫用してはならない、ということだ。

「加害者へ厳罰を・量刑は無制限に」は便乗商法・霊感商法と同じ



加害者はどこまでも厳罰でかまわない、女性に刃向かうヤツは地獄の苦しみを味合わせても当然だ、という論理に滑っている人たちは、好んで暴力集団へすり寄っている。そのおかげで最近、彼ら彼女らがトランスジェンダーへのヘイトを繰り返しているのはトランスジェンダーの一部活動家のアクトアップの姿勢を暴動・扇動にすり替え、封建的な「出る杭は打たれる」構造に持っていったようだ。
森奈津子や千田有紀はやりすごしても、また千田の学位認定をした上野千鶴子のジェンダー階級論を非難しようとも、行き着く先は同じグループ内から出てくる弁護士センセイである滝本太郎は好んでリツイートしていたりするあたり、アカデミズムやコミュニティISSUEの人物はスルーして自分の立ち位置は、弁護士=法律家の権威主義と同位置に並べて議論する。ヘイトクライム最大のイデオローグを利用しているわけだ。弁護士なら公平・平等が分かるなんて誰が決めたんだろう?逆にいえば殺人鬼やA級戦犯でも無罪にできるロジックを作れる資格を持っている人たちである。シッポをふったら最後市場で吊されるまで利用されることが分からないのだろうか?タダで任用してはならない相手かもしれないから30分5000円の「相談」と割り切りで縛るのに。

「日本人は戦争加害者だからどれだけ痛めつけようが、カネをふんだくろうが構わない」という韓鶴子と変わらないロジックなわけよ。関係性があるとかないとかの問題ではなく思考の形式が一緒だということは、自分たちではふれないし、指摘が仮にあったとしても「あんな宗教と関わりはござんせん」と言うだろう。それは関係が無いにせよロジックは同じなのでカンの良い人が「コイツらやばい」と言っているわけだ。カンはすぐれた人類共通の能力であり条件反射=体験的かつ学習的な心身の反応=の総決算の反映ともいえる。
ロジカルに物を考えるというのは、その延長上どういう世界が待っているのか、を見定めることでもある。だからこそ僕らは言葉によって未来を先取りする能力を授かっている。絶望や暴力による支配や抑圧を避け、融和と尊重と対話による精神の調和と安定を求める力が働くからだ。

アンタも傷付いたかも知れないけど、僕らもどれだけトラウマを背負わされているのかが分からない人たちは、単なる社会構造論・階級論という形式論理に滑っているだけだ。実感ぐるみに自分たちと同じ傷を負わされた人とは思えない=心をくぐれない人間に成り下がったから上から横から人を裁くだけ。
それでは、どれだけ熱心な母親や兄や姉になったとしても、肝心の主体がトラウマを隠したり、過去の暴力性を隠蔽したまま被害を語っていると、最終的にはファナティックな洗脳家になるか、構造の中で男になびくしかなくなってしまう。洗脳を施しているのと同じ結果を生むしかない。
なぜ、傷を受けた弱い立場の人たち同志が分かち合い、互いの苦しみを寄り添わないんだろう。仲間を減らすだけなのに。

批判より寄り添いを=当事者以外が語る当事者支援から脱却を



わたしが、どうして「糞フェミ」と唾棄できない人間に変わったのかといえば、この人達が最初から憎たらしい人間として生まれたのかといえば違うと信じるからだ。
自分が依存症のどん底まで陥り、「妥協しないで自分を痛めつけた」生き方を選んで45才で仕事も生活も続けられなくなった。同じように苦しみでどん底まで経験したあと「変えられるのは自分の考え方と行動から」と問題の多くを棚上げして思考と生活をシンプルにしてから怨みや辛みや復讐心や喜怒哀楽を全部言語化し語りかけ仲間の共感をうけながらそれぞれの経験を交換し、惜しみなく自分の失敗を伝えてくれる仲間の無償の愛に自分に繋がる「仲間性」を見いだし、破滅に陥らないで済むターニングポイントが共通にあることを信じることが出来るように変わったこと。仲間の一歩一歩実現していく歩みを応援すること、などを身につけていった。もちろん人間不信の塊だった自分には「練習」からだったし、演技もついてまわった。だから演技のウソは仲間にはバレバレだったが、それをほほえみとよろこびと可能性として受け止めてくれていた。自助グループや精神科のグループセラピーはありがたい。その先にストレスコーピングや認知行動療法の扉が開くように変わる。
そういう経験を45才から55才までの10年間でワタシは経験できたし、新しい生き方は時に自分の嫌な面を見せつけられるが、孤軍奮闘ばかりしていた自分の半生がウソのように、今は出会えばハグをし「ありがとう」と言いあえる仲間が200人はくだらない仲間の輪のなかにある。

理知と感情と行動は首尾一貫している。ホンネとタテマエという分裂した生き方で通用できない自分の純粋さがあるんだったら、最初からそんな器用で大それた生き方や能力は自分の身の丈に合わないと白旗を上げることも必要だったのだ。わたしは敗北から全ての勝利を与えてもらえたような物だ。それについてはまたの機会に。


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