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人生を変えるたった1つの視点

【この記事のまとめ】
「悩み」は「科学」で解消し、「目標」に向かって人生の「幸せ」を目指す

こんにちは。88(ばや)です。


いきなりですが、『人生を変えるたった1つの視点』について、ぼくの所感を述べます。


答えはずばり、「科学」です。


なんだか仰々しく聞こえる単語です。ぼくもこれまで遠ざけてきた分野の話でした。

ですが、この「科学」という視点こそが、ぼくの人生に大きく欠落した要素であり、将来への方向性を大きく変化させる要因でした。


初回投稿となる今回の記事は、今後ぼくの人生の指針になるであろう考え方の記録になります。

科学」はその中心に位置付けられ、これから訪れる人生の様々な選択を淘汰するものになることでしょう。


そしてそれは時に、あらゆる「悩み」に寄り添う力強い味方になると考えています。


「なぜ、続けられないんだろう」
「なぜ、伝えられないんだろう」
「なぜ、覚えられないんだろう」


そんな「悩み」を抱え続けているぼくと、ぼくに似ている人。

そんな「悩み」に感覚で応えてきたぼくと、ぼくに似ている人。

そんな「悩み」を解消しようと試みるぼくと、ぼくに似ている人。


そんな人に共感してもらいたい、ぼくの話。



すべての「悩み」の基にある共通項

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皆さんは、日々の暮らしの中でこんな「悩み」を持ったことはないでしょうか。


【日々の暮らしで感じる悩み】
《習慣》毎日運動しようって決めても、続かないんだけど…
《会話》伝えたいことが伝わらなくて、ひとり反省会しちゃうんだけど…
《勉強》勉強をどれだけやっても、すぐ忘れちゃうんだけど…


このようなありがちな悩みには、すべて共通項があります。

「世の中の標準と自分との距離感」が分からないことです。


どういうことかというと、こういう悩んだときに知りたいのは正解に近い基準ですよね。これをぼくは【世の中の標準】と呼んでいます。


【世の中の標準を求める瞬間】
「他の人はどうしてるの…?」
「うまく行ってる人はどう考えてるの…?」
「このやり方で合ってるの…?」


この【世の中の標準】に対して、自分がどれだけ近い所にいるんだろう、あるいは遠い所にいるんだろう、という感覚が【自分との距離感】です。


つまり、何が正解か分からないから、どうすればいいか分からない。これが「悩みの共通項」です。


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世の中の標準と自分との距離感」を図で考えます。


円の中心にいるのが正解に近い基準、【世の中の標準】です。

そこから他の人や自分がどこにいて、それはどれだけ正解に近いのか、あるいは遠いのか。

こうして自分と他人、正解との距離を知って、歩むべき道筋を知ろうというイメージです。



困ったら頼るべき「あらゆる悩みの処方箋」

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じゃあどうすれば「世の中の標準と自分との距離感」って測れるの?


これこそが今回のテーマであり、ぼくの人生を大きく変化させた、『人生を変えるたった1つの視点』の答え。

科学」です。

正確には、「科学的な視点を学ぶ」が適当です。


ただ、「科学」を扱おうとしているとはいえ、ぼくは科学者でも研究者でもない一般男子学生(23)です。

むしろ科学とか論理的思考っていうのは大の苦手分野であり、大きなぼくの弱みでもあります。

なのでぼくの記事は、「科学を専攻に学んだ学生による解説」とかでは決してないという点を最初に断っておきます。


このアカウントはそんな中の人が書いています。

詳しくは後述しますが、ぼくのnoteは「楽しく・面白く・好きになる」をモットーに、実戦形式でのアウトプットの練習として活動していくつもりです。

要は、「ゆるく見てね!」ってことです。


それでは話を戻します。

世の中にはたくさんの研究機関があって、ありとあらゆること研究が日々進んでいます。

例えば、ぼくが最近知った研究分野だと「バナナが黒ずんでいくのを効果的に遅らせる方法」とかありました。面白いですよね。


ぼくらが見聞きする物事のほとんどには、科学的に証明された見解が示されています。

もちろん前述した習慣や会話、勉強などの「悩み」についてもきちんと研究されており、現行で最も効果的だろうとされている対処法も報告されています。


ただし、中には研究が進んでいない分野も存在します。

例えば「描画研究」(絵画など完成品ではなく、絵を描くこと自体に関する研究)に関しては、科学的にあまり研究が進んでないものになるそうです。

こうしたものに対しては「科学」ではなく、実際に画力を上達させた先人の経験則や、練習法を参考にするのが1番正解に近いのではないでしょうか。


ともかく【世の中の標準】とは、たいてい「科学的な視点」で自分の中に位置づけられるものではないかと考えています。

ここから【自分との距離感】を考えることで、悩みに対する自分の方向性や改めるべき部分が見えてきます


例えばぼくが経験したエピソードには、勉強法の科学にまつわるものがあります。

ぼくはもともと勉強ができるほうではなく、勉強量に対して吸収できる量が圧倒的に少ない非常に効率の悪い勉強をしていました。

詳細についてはまた別記事にしますが、「科学的に証明された効率の良い勉強法」を知ること、そしてそれを実践する効果は絶大なものでした。

当時のぼくには到底思いつきそうもないことです。ぼくはこの身をもって「正しい科学たる力」を実感しました。


ただし気を付けなければならない重要な点が、「科学は絶対ではない」という点です。

「科学はいいよ!」と謳っておきながらアレですが、ぼくが強調したいのは正解に近い基準が科学であるため、それが「世の中の標準」になるという点です。

裏を返せば、科学以外に「世の中の標準」を測るものさしが存在しないから、科学を頼ろうぜという話

鵜呑みにせず、盲目にならず、冷静に判断する力を養っていきたいものです。



POINT①

・「悩み」の素にある共通項=「正解」が分からない
・「正解」は「科学的な視点」によって知ることができる




すべての「目標」の先にある共通項

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悩み」を解消するため、「科学」の力を借りましょう。

では、その次に現れるものは?


目標」です。

悩み」を解決するために、「目標」を掲げて何かしらのアクションを起こします。


例えば「5kg痩せるぞ!」って目標を掲げたら、食事管理や運動を始めますよね。

そうでなくとも、ぼくらの社会生活と「目標」は切っても切れない関係です。

「試験でいい成績を取る」「来年までに100万円貯金する」「人の役に立つ」。


そんな「目標」を突き詰めて考えると、ある1点に収束します。

すべての「目標」の先にある共通項、それは「幸せ」です。


ぼくはどんな「目標」も、掘り下げていけば「幸せになる」という着地点に収束すると考えています。



88(ばや)式幸福論

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どういうことかを説明する前に、まず「幸せ」についてぼくの考えを述べます。


ぼくの考える「幸せ」の構成要素は「豊かさ」と「不安」の2つです。

「豊かさ」はさらに「物理的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」に分けられ、「不安」については「ポジティブな不安」と「ネガティブな不安」に分けられます。


ここでの詳細は省きますが、ぼくが最も重要視するのは「精神的な豊かさ」です。

じゃあ何が「精神的な豊かさ」につながるのかというと、「楽しい・面白い・好き」という「正の感情」です。

「正の感情」を大切にすることは、ぼくの人生のモットーであり、価値観であり、行動基準でもあります。

先ほどアカウントの方針の話で同じことを書きましたが、それはぼくの価値観を反映させたものに他なりません。


ぼくという人間は、自己肯定感が高く、ポジティブ思考で、これまでの人生を幸せなものだったと捉えられるスーパー能天気お気楽マンです。

それが何に起因するのかを考えた時にでた結論が、「正の感情」という価値観と、「豊かさ」という考え方でした。


目標の先にあるもの

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じゃあ話を戻して、目標を掘り下げると「幸せ」にたどり着くってどういうこと?についてお話しします。


例えば「絵を上手く描くために画力を上げるぞ!」と言う目標を掲げたとしましょう。


「なんで絵が上手くなりたいの?」→描きたいものを描きたいから

絵を描く理由として充分ですが、もっと掘り下げてみましょう。


「なんで描きたいものを描くの?」→創作意欲を満たしたいから
「なんで創作意欲を満たしたいの?」→満足感を作りたいから
「なんで満足したいの?」→良いことだから
「なんで良いことなの?」→楽しいから
「なんで楽しいの?」→好きだから
「なんで好きなの?」→描いてる時は幸せだから


ちなみにぼくは絵を描くことが好きなので、自分に投げかけて考えてみました。


目標の共通項にはポイントがあります。「道順は千差万別」と「本質は見えづらい」という2点です。


まずは「道順は千差万別」ということついて。

同じ目標について掘り下げてみて、「いや、そうはならんでしょ」となってもらっても構いません。

重要なのは、最終的には幸せに着地するということです。


登る山は同じだけど、登るルートが違うという例えが分かりやすいでしょう。

みんな等しく「幸せになる」という頂上を目指すけど、その方法や考え方は色々あるよねという話です。


無理やり繋げているようにも見えますが、何十何百と回り道をしても、きっといつかは幸せに関わる道に交わると思います。


次に、「本質は見えづらい」という点です。

さっきの深堀りチャートは「絵を描く時に幸せを感じる」というオチでした。

じゃあお前は絵を描いてる時に毎回「ぼく今めっちゃ幸せ〜〜!!」って昂りながら描いてるのかと言われれば、答えはNOです。


理由はシンプルで、直感や感覚だけでは目標を掘り下げていくことができないからです。

「やりたいからやる」とか「好きなものは好き」はよく聞きますよね。

ぼくも頻繁に使います。

なぜかというと、それ以上の理由は見えづらいからなんです。

感覚で答えられることは感覚でわかることのみで、その先は論理的に考える必要があります。


描いている時は、描くことに夢中になっています。

「どう配色しよう?」とか「なんかここおかしくね?」とか、思考は絵に向き合っているのであって、いちいち「人生においてこの絵を描く意味とは…?」って立ち止まって考えたりしないですよね。


なので、感覚でわかることに留まらずに考え続けると、やはりどんな目標も「幸せになりたい」が終着点になります。

逆説的ではありますが、この意識を持つことが幸せになるためにも大事なことではないかと思います。



POINT②

・感覚に頼らず「目標」を突き詰めると、「幸せ」に交わる
・「道順は千差万別」:「幸せ」への辿り方は人それぞれ
・「本質は見えづらい」:感覚で分かることには限界がある



本を読む、知識を編む

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ここまでの内容をまとめると、こんな感じです。


【ここまでのまとめ】
・「科学」という視点が人生の道標になる
・すべての悩みの素にある共通項「正解」が分からない
・すべての目標の先にある共通項「幸せ」になりたい


つまり、悩みに対して科学で学び、幸せになるために目標を立てる

「そこまではわかった。じゃあどうやって科学って学ぶの?

これが次のお話です。


科学で発表されることは、基本的に「論文」という形で世界に発信されるわけですが、論文から自分の悩みや興味に関する知見を得ようとすると以下のスキルが必要になります。


【論文を読む際に必要なスキル】
・リサーチ力
・読解力
・英語力
・統計学の知識


まずこれらを習得して、それから世に出回る膨大な論文の中から自分の気になる情報にアクセスして、周辺情報と合わせて実践できるように組み立てて…

ちょっと途方もない話です。論文も物によりますがタダではないし、学術機関(大学とか)にでも所属していない限りは限度があるかと思います。


ですがそういったプロセスを代わりに済ませてくれていて、ほとんどがローコストで手に入り、スマホで数回タップすれば手元に届く、素晴らしい媒体がありますね。

もちろん「」です。

本を読むことのメリットは本当に語るに及ばずって感じなんですけど、その中でも今回の文脈に即すのであれば、「お手軽かつ費用対効果が高い」という点が挙げられます。


よくいろんな所で「本を読め!」って聞きますよね。ぼくは最近になって読書が趣味になりましたが、触れてみてようやくその意味を実感できました。

手軽にどこでも入手できて、得るものが必ずあり、自分にとって必要なだけの情報が入手できる。本は知識の泉だってどこかで聞いたことがありますが、まさしくその通りだと思います。


「活字読むのなんか慣れてないんだが?」と敬遠しがちな本ですが、読み方にはコツがあることがぼくも最近わかりました。

基本的に「読書のために身につけるべきスキル」みたいなものってなくて、あるのは「フレームワーク(枠組み)」だけ。読書術に関しては、また別記事に委ねます。


そんな本の中には、「科学」を使って人々の「悩み」を解き明かしたものが山のようにあります。

エビデンスの話はひとまず置いといて、それらの中から自分に関係する本を探してみる。

それくらいだったら誰にでもできるし、何だったら立ち読みで目次を読むだけでもいいと思います。


重要なことは、科学を学ぶという視点をもつ。そのためには、手軽に入手できるが良いということ。


本を読む、知識を編む。


これは今後のぼくの人生を支える、大切な柱になると思います。


POINT③

・「科学」は本から学ぶ
・本は手に入りやすく、効果は絶大!



科学は羅針盤

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ここまでぼくの人生観について書き連ねてきました。それこそ今の価値観だとハッキリ言えますが、どれも半年前のぼくには欠片もなかったものです


なぜこのような考えに至ったかについての詳細は、機会があれば別記事に残したいと思っています。

ですがもし書くのであれば、その時のタイトルはきっとこうするでしょう。


たった3ヶ月の卒論執筆で人生が変わった話


ぼくの人生はたった3ヶ月間、とある教授のもとで卒論執筆の指導を受けている間に大きく変化しました。

冒頭に述べたことも、この卒論執筆に関わってきます。


「…ですが、この「科学」という視点こそが、ぼくの人生に大きく欠落した要素であり、将来への方向性を大きく変化させる要因でした。」


ぼくの人生が変わった最大の要因は、教授から「学問という科学領域」と「自分自身」に正面から向き合う機会をもらったことです。

言い換えれば、ぼくの人生に欠落していたもう一つの要素は、「自分自身にきちんと向き合うこと」でした。

「自分はこれでいい」と思っている、そんな自分を見つめるもう1人の自分。この存在がぼくには必要だったのです。いわゆる「メタ認知」ってやつですね。


もっというと、「何が問題なのか理解できない」こと、「問題を問題だと思わない」こと、そして「それを無意識に、罪の意識もなくやっている」こと。これがぼくの最大最悪の欠点でした。

抽象化した言葉を使うと、ぼくに足りないものは圧倒的に「論理力」です。

それは「情報を整理する力」や「シンプルに伝える力」とも折り混ざり、いかに自分が自分を騙しながら生きてきたかを強く思い知らされました。


23年間も騙し続けた自分と向き合う3ヶ月は、本当に本当に苦しいものでした。

ゼミが終わって何度も1人で泣きました。

自分はなんて役立たずで、言われたことひとつもできない社会に巣食うだけのもの知らぬゴミカスなんだと。


そして、「自分自身」に向き合った結果の今があります。

ぼくの人生に方向を示してくれる、「科学」というひとつの羅針盤に出会うに至りました。



このアカウントの活動方針

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ここから具体的な活動方針について軽く触れていきます。


今回の記事に記したことを基盤に「楽しく・面白く・好きになる」をモットーにして、実戦形式でのアウトプットの練習として活動していく予定です。

アウトプットの必要性はぼんやりと感じていましたが、いざこうして機会を作ってみると「なんでもっと早く始めなかったんだろうな〜」と思います。メモ書き程度にメリットを書き留めておきましょう。


【言語化することのメリット】
①「伝えること」に向き合える
②「目標」が明確になる
③「足りないもの」が見えてくる


きっかけを与えてくれた友人に感謝ですね。


取り扱う中心テーマはもちろん「科学」ですが、

「楽しそう!」「面白かった!」「好きなんだよね!」

このへんに触れてさえいれば、どんなものでも取り上げます。


特にぼくは創作と漫画とゲームが大好きなので、「あの作品ってなんか良いんだよね!」の「なんかを言語化できるようになるのが将来的な目標です。


「…感覚で答えられることは感覚でわかることのみで、その先は論理的に考える必要があります。」


他には気になってる社会の現象を調べたり、気付いた考え方を記録したり、面白かった本や論文、記事を紹介したり、思いついたことを検証したり…みたいなことを考えています。

今回記したような、ぼく自身の基盤となる価値観や考えがアップデートされた時には、随時ここに加筆修正する形を取りたいとも考えています。


更新頻度については全く未定ですが、頻度よりも継続を大事にしたいので、目先の目標として年内は書き続けたいです。

ぼくはやるなら徹底的にやらなきゃ気がすまない人なので、文章ひとつ、画像ひとつ作るにも膨大な時間をかけてしまいます。

たぶんこれを解消しないことには、半年も経てば疲れ果てて執筆を辞めてることでしょう(実際この記事の準備に何十時間かけたんだろうね)。


原因は自分のやり方(書き方・使用ソフト・参考資料など)が定まってないからだと思うので、効率も意識しながら、工夫と実践でスキルアップしていきたいです。


以上、ぼくの頭の中と今後の方針でした。

書く以上は本気で、でも無理せず楽しんで。

そんな風に書け続けられたらいいなあ。

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