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母になれた私と、そうでなかった友の話

以前、母の器じゃなかったって記事を書きました。それと同時に母の日にもメッセージを呟いたのですが、今日は不妊だったことを書こうと思います。

30歳で帰国してから、まず言われたのは「人間ドックを受けよう」でした。なんせぐちゃぐちゃな身体になっていたのは間違いありませんし、年齢的にも一回は受けておこうかと思ったタイミングが一致し、銀行員時代の先輩と一緒に受けました。

あまり記憶がないのですが、唯一あるのは強烈だった胃カメラ。涙と鼻水と涎とでぐちゃぐちゃな私に、先生は冷静に画面を指差しながら「はいココ、綺麗ですね、何もないですね」と淡々と説明されていきました。画面は涙で見えてないです。

その時に子宮にちょっと問題があるかもってことで婦人科を受診する事になったのですが、ちょうどその時、ストーカーだった元DVクソ野郎との再婚話が出てきてました。

初の婦人科ということで、幸いにも市内に女医さんのいる病院がある事を調べ、受診となったのですが、結果としてわかったのは、自律神経からきているだろうと思われる卵巣から子宮への管のねじれと、2つある卵巣のうち、1つからはおそらく排卵していないだろうとのことでした。

私が「死に場所探し」というシリーズの記事を書いていますがヨーロッパをバックパッカーでうろうろし、駅でも公園でも寝れたのは、生理が全く来なかったからです。25歳で彼を事故で無くしてからパタっと生理が無かったんです。その時はラッキーくらいでしたが、ここにきてそれが問題になるとは思っていませんでした。

まず、生理が毎月来るようにしましょうと身体を整えることから始まり、生理が定期的に来るようになってから排卵の有無を検査しました。やはり卵巣の1つは機能していないことがハッキリ分かったので、私の排卵は2ヶ月おきという結果でした。しかも卵巣から子宮への管もねじれているので、確実に2ヶ月おきに排卵するという可能性は低いとも言われました。

とにかく、排卵が期待出来る時に、卵子誘発剤を打つ、数打ちゃなんとかなるさから始める事にしました。が、これがホルモン注射でかなりキツかったです。気持ちのアップダウンが毎分ごとに来る感じで、自分が自分で制御出来ない感じでした。

産婦人科に通い始めて、数ヶ月。なんとなく顔見知りではありませんが、「あ、またあの人だ」とわかる顔の人も多くなりました。治療を進める中で、私には誘発剤が適していないことがわかりました。卵子が大きくなりすぎて受精出来ないのです。それがハッキリとし、今後は違う方法を・・と説明を受けた日、すごく疲れて絶望的になったのを覚えています。病院のトイレに行って、博多の叔母に「無理かな」と電話をして少し泣きました。
その日、病院はすごく混んでいて、待合室でずっと待っていました。もともとその病院自体が不妊治療で有名であり、なおかつ女医さんということで県外からも多く来られていたのです。2時間3時間待ちはザラにありました。
その日もぼーっと支払いを待っていたのですが、私の横にいつも見かける女性が座ってきました。軽く会釈をされ座られたのです。

「時々お会いしますよね」そう話しかけられたのは向こうでした。私も顔はお見かけしますね、と相槌を打ち、自然と話すようになりました。

話して知ったのは、その方はもう、3年近く不妊治療をされているということや、体外受精もした事があるとのことでした。衝撃だったのは、支払いのカウンターを見ながら「あの分厚い茶封筒には何十万って入っているんだよ」と教えてくれたことです。今は不妊治療にも助成金があり、状況は違うでしょうが、その当時はそんなものはなく、体外受精するなら、成功しようとしまいと、一回ウン10万なんだよと教えてくれました。
だから支払いを見てると分厚い封筒で渡している人を見ると「あぁやったんだな、いいなぁって思っちゃう」と言われていました。

そうなんだ。
あの分厚い封筒には分厚さより
もっともっと重たい期待やらが乗ってるんだ。

その方も何回も体外受精をされたそうです。
初めは夫婦の貯金を切り崩して、そのうちお金が尽きると、両方の親から借りてまでもやっていると話していました。でも両親もそんなにぽんぽんと出せる金額でもないし、身体も1回したら数ヶ月は期間を空けないと次が出来ないとも言われていました。

正直、壮絶だなって思いました。子どもを宿す、産むって
決して自然な事じゃなくて
そこから始まる人もいるんだなって事実を知りました。

私の周りには子供がいない友達夫婦がいます。それぞれ考え方も違うし方向性も違います。

が、40歳を超えた今、多くの友達が子どもを産み育てることから、夫婦の時間を大切にしようという未来に変わりつつあります。
それはやはり、出産という大きなリスクを伴う事と年齢の事が大きく影響していると思います。2夫婦は犬を飼い、夫婦での生活を謳歌しています。
ある夫婦はそれぞれの仕事でキャリアを積むことに楽しみを見出しています。

結局私は、基礎体温を計測し、排卵日を確定し、タイミングで性行為に望むやり方で、治療から10ヶ月ほどで長女を妊娠する事が出来ました。先生曰く、排卵さえしっかりあって、タイミングが合えば、私は妊娠しにくい身体ではないということがラッキーだったとのことでした。

そんな私が不妊でした、というのは烏滸がましいと感じます。
本来はもっと苦しく長い戦いではないかと思うからです。私の妊娠が分かり、心音も確認が取れた時点で、その婦人科での治療は終わりとなりました。そこは出産を扱ってはいない病院だったので、違う産婦人科に通ってくださいと説明を受けて帰ろうとした時です。
待合室で、くだんの顔に出会いました。

私は誤魔化さず、自分の妊娠を話しました。
彼女の、その口からは「良かったね、おめでとう。頑張ってね」と優しい言葉が出ましたが、顔はすごく悲しそうだったのが忘れられません。

後日、母になれなかった古くからの友にも
妊娠を伝えると、喜んでくれました。
「私には出来なかったけど、Noriちゃんには、その経験を楽しんで欲しい」と言われた時は一緒に泣きました。
彼女は受精卵を、体外からのウイルスだと身体が認識して、子宮に定着せずに流れてしまうのだと医師から言われたそうです。

時々、思うんです。
私が母でいいのかなって…。

母になれなかった彼女が
2人の子どもの成長を喜んでくれたり
話を聞いてくれるのは
本当に有難いなと思います。
彼女は
『子どもがいない事で、気を使われたりされる方が嫌だわ』と言って
喜んでカードを送ってくれたり
クリスチャンなので聖書からの引用を
教えてくれたりします。

こうやって2人が
私の人生に居る事は
奇跡であり
プレゼントだと思います。
母にしてくれてありがとう。
おかげで沢山泣いたし
笑ったし
苦しんだし悩んだよ。
けど、それも2人がいてくれたからこそ。

それにポンコツの私に優しくしてくれる
彼女と言う存在がいるから。
その存在が私を支え、勇気をくれる。
私はパニック持ちだし
ポンコツ過ぎる母だけど
彼女の大丈夫!大丈夫!で
大丈夫だと思える。

そんな事に毎年、母の日になると
想いを馳せるのです。

私のポンコツっぷりはこの記事↓


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