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尊敬する先輩と上司から教えてもらった事が活きる今

私はたくさん転職をしました。
それは畑違いの業種もあって
英会話の先生もしたり
クラブのキャッシャーもしました。
福岡で知らない人はいない
親不孝通りには多くのクラブがあって
居酒屋もホストクラブもあって
音楽が好きだ
踊るのが好きだってだけで
働いてました.

初めて就職したのは銀行。
その本当に過酷な仕事がスタートだった事で
その後、いろんな仕事を経験しても
『まだ休憩時間があるよ』とか
『トイレに行ける』とか
辛いと思わずに済んだと言っても
過言じゃ無いと思っています。

その時に私を指導してくれたのは
10年目の大先輩でした。
私は姐さんって呼んでます。

姐さんは、とても厳しかった。
いつもいつも叱られて
それでも姐さんが好きだったのは
叱られても自分が納得するくらい
姐さんは仕事が出来たから。
それに叱ったと同じくらい
私の良いところを見てくれていたんです。

窓口で企業さんの名前を呼び間違えたり
あってはイケナイ事のポカをすると
裏でガツンと叱られていました.
私が悪いのですから
それは仕方ないと思いながらも凹むのですが
必ず帰りのロッカーとかで
『今日の〇〇は良かったよ』と言ってくれました。
私は1番下っ端だった時に
職場にある全ての朱肉のインクや
スタンプ台のインクをチェックしていました。
下っ端のやる事は地味です。
毎朝、ロビーに置く新聞を取り替える事も
雑誌を並べる事も
封筒やパンフレットの補助など
言われなくても"暗黙の了解"的な仕事です。

それも姐さんは『助かるよ』と
言ってくれていました。

姐さんに厳しく指導して貰ったから
2年目でチームリーダーになる事が出来たと
思います。

それに上司。
ポカをしていつも課長と手土産のお菓子を持って
謝りに行くのですが
車の中がとても気まずい。

私も課長も一言も話さないし。

とにかく頭を下げて
しゅんとなって帰宅する私に
ある時課長は
『お前は窓口で最前線でお客さんと接している。
私たちの役目はお前達の尻拭いなんだから
萎縮せんと明日からも頑張ったらいい』

そう言われた時は涙がぽろんとでました。

昼休みも取れないし
1分1秒を争うような
そんな毎日が緊張感の張り詰めっぱなしでしたが
先輩と上司が私を見てくれて
声をかけてくれたから
働く事が出来たと思っています。

いろんな仕事でも
あの時に比べたら。。。で
乗り越えられましたし
2人から教えて貰ったことは
間違いを注意しても
叱っても
決して突き放さなかったと言う姿勢です。
それに良いところも沢山見つけてくれる姿勢。

『あんたの声はよく通るから窓口向き』とか
『その集中力と処理スピードが助かる』とか
私の強みと言うか
そこもちゃんと見てくれていたんです。

それは今までの私の仕事に活かされてきました。
どの仕事でも後輩が出来た時、
やっぱり苦手だと言っても、
嫌だと思っても
注意しなければならない時がありました。
そんな時は必ず姐さんと課長を思い出して
フォローを心掛けました。

子ども達にしても同じで
注意をしても
それより彼らの良いところを一つでも多く
伝えてきました。

注意3
良いところ7。
それが私の比率。

どんな人も、
自分にも必ず一点は光るところがあるはず 
そう思っていたいと思います。

今日は仕事で
虐待防止研修でした。
いろんな事例を見聞きして
自分の支援を省みて
沢山沢山想うこと、考えることがありました。

頭がいっぱい過ぎて
何故かふっと
尊敬する2人を思い出しました。

2人の声かけって
今更だけどありがたかったな。



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