乃々野

京都大学文学部、新3回生、哲学専修 ここでは思考、思想、感情、感傷を煮詰めていきます …

乃々野

京都大学文学部、新3回生、哲学専修 ここでは思考、思想、感情、感傷を煮詰めていきます 思想のための小説や実験的な小説も描きたいな

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  • 世界観断片集

    私の書いた、私の世界観・思想の断片をまとめたものです。 不定期更新です。 もしあなたの思想に変化を与えられれば幸いです

最近の記事

恋愛の真理性と概念としての空虚さ

恋愛は十分に真理であると同時に、自体的に空虚である。 自由恋愛の価値は我々に膾炙するものである。右を見れば恋愛小説、左を見ればラブソング、正面向いても恋愛話、という具合である。 恋愛について語ること、愛自体が形而上学的にかなり重いものを主題とするのであるから、それはかなり高度な内容となる。 本稿ではあえてこれに挑む。その練度は大したものとは言えないだろう。欠陥は多いだろうし、批判されることを避けられない。しかし、恋愛という概念が広く知られ、そしてそれが信仰される現状においては

    • 価値の認識

      偏見ではあるが、多くの人間で顕在的に宗教への意識を向けるような人は多くないように思う。というのも、科学の席巻によって宗教的なものの価値は少しずつ錆びたものになってきたからである。今でも熱心に信仰を行い、それを第一にする者は多い。そしてそれ自体が絶対的に貶められるような対象ではない。しかし、こと科学を重要視する「近現代」社会においては宗教的価値は全体として後退せざるを得ない。宗教的価値の撤退は単に科学によるものではなく複合的な事由を以て宗教は日常から顕在性を失っている。ここで提

      • 潜在的な中間項

        クリスマスが近づく12月、それに関連する言表が散見されるようになっている。 特に、恋人に関する言及の多さは顕著であり、その活性自体については手放しに賞賛したいところである。 一方で、こうした言及の山積について以下のように私はTwitterで言及した。 これは、恋人がいることとクリスマスに予定があることを抱き合わせたり、実際何か関係があることを示すツイートが山のようにあることに対しての反応である。それは恋人を認めない者のものであることも、恋人を意識する者のものでもある。 さて

        • 「空の青さ」について

          色々煮詰まっている世界観の場合には、どうにも説明を始めるのが難しい。なぜならその世界観の説明するところが広く、また世界観における要素同士が複雑に助け合っているために、どれか一つを取り出して「これが出発点だ」と宣言することが難しいからである。それは蜘蛛の糸の網を持ってきて「どれが最も重要な糸か」と問うようなものである。この難題に対して私はあえて糸の話から始めることを諦めようと思う。ここではまず、私が世界観を構築するにあたっての切っ掛けとなった問題という虫眼鏡を扱うことで、蜘蛛の

        恋愛の真理性と概念としての空虚さ

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        • 世界観断片集
          4本

        記事

          断片について

          久しぶりにnoteを開いたらアカウント登録から一年経っていたらしい。 全然何も描いていない期間が長かった。 恐らくこれからも積極的に書くことは無いと思う。 しかし、せっかくアカウントがあるのだし、しかも一定の哲学的思想も蓄えているのだから、何かを少しずつ書く試みをしたい。 これからは私の持つ世界観、これは哲学と言っても良いかもしれないが、そうしたものを断片的に語っていきたいと思う。 私は所詮学部二回生のペーペーであるから、誤謬もあるだろうし、或いは刺激に伴って思想が発展・転換

          断片について

          朱い眼球、序

           目を覚ませば、気味の悪い図柄の天井が目に入った。  その天井は絢音が今まで彼女の寝室の天井に見たことのない、異様な模様であり、いつもなら眠りから覚めて数分は、うとうととしている彼女も、その違和からすぐに覚醒に至る。そうして急激な覚醒を獲得したがゆえに、脳に負荷がかかり若干の鈍痛を抱えた。この痛みによって彼女の覚醒はより鮮明になり、それがなんとも気に食わないようであった。  半身を起き上がらせることもなく、頭がすぅっとなっている一方で、自覚のできるぼんやりとした感覚が彼女の脳

          朱い眼球、序

          「失態」を書いた動機

          「失態」https://note.com/7mi7nana/n/n94e79222d0f6  「失態」を書いた理由?  楽しそうだったから。以上。  いや、待ってくれ、冗談だ。だからブラウザバックするのをやめてくれ。  「失態」を書いた理由はそんな単純な理由ではない。作者のエゴをごった煮にした作品であるから、楽しそうだなんて一言で表せる動機じゃ決してないんだ。  「失態」を書いた理由というのは、それでも一言で無理やり表すことはできて、それは表現したいものがあったから、と

          「失態」を書いた動機

          「失態」

          「いや待ってくれ。ちょっと待ってくれよ。そんな変な顔で見つめないでほしいな。いやはや、そうだね。うん、え、あぁ、そうだ、明らかにこれは失敗現場だもんね。失敗してしまった人に対して呆れてしまうのは別に変なことではないか。うん、あはは……。あの、何か言ってほしいな、もしもーし? えっと君は僕の知り合いで、なんなら友人という立場にいる人だと思ってたけど、もしかして友情を感じていたのは僕だけなのかな。え、ほんとに、僕と君はただの顔見知りだったってことなのかい。おい、おいおいおいおい、

          「失態」

          『昏乱』における引用の効果

          序文 今回の投稿は私が大学で書いたレポートをもとに一部修正及び加筆した考察文です。したがって、この投稿の、大学の課題レポートなどへの剽窃行為は当然禁じます。万が一、剽窃行為が行われた場合、私は一切の責任を引き受けないことを断ります。 本文トーマス・ベルンハルトが著した『昏乱』(原題は『Verstörung』)は、他のベルンハルト作品と同様に引用が多用されている。これは作品が一人称視点の語りでありながらも複数の人物の視点や主観で語ることを可能にする効果があると考察する。『昏乱

          『昏乱』における引用の効果

          七海七々とは〜季節の妄言を添えて〜

          ななみななななとは 初めまして、七海七々(ななみ なななな)と言います。 現在は、日本は京都府にあります、京都大学という学び舎の、学部は文学部の1回生として生きています。 研究したいことは多岐に渡っていまして、ふらふらとしていますが、第一に哲学を出来たらと思っております。 普段はTwitterにてお絵描きをしています。良ければプロフィールから飛んでご覧になってくださいね。 さて自分語りというものはどうにも苦手でして、私はこれと言って自己を紹介することができないのです。更

          七海七々とは〜季節の妄言を添えて〜