出会いと”当たり”について。
出会いと”当たり”について。
変わるためには、
自分を知るためには、
自分の好きなことを知るためには、
自分に合う仕事を見つけるためには、
自分に合う人と出会うためには、
箱の中に手を突っ込まないといけない場面がたくさんやってくる。
その箱の中には何がどれくらい入っているのかわからない。
わからないまま手を突っ込み、そして引く必要がある。
じゃあそんな箱の中から”当たり”を引くためにはどうすればいいのだろうか。
単純だ。
引く回数を増やすことと当たりを引くための感性を磨くことだ。
”はずれ”だったとしても落胆する必要はない。
なぜならそれは、”当たり”を引くための訓練の一環で、次の新たな出会いに繋がる重要な時間だと言えるから。
とはいっても、やっぱり怖い。
”はずれ”を引くことが。
わかっている。
そんなことを言って、何もしないのが一番ダメなのは。
わかっている。
けど怖い。
なぜか考えてみると、その”はずれ”というものがすごく恐ろしいものだと勝手に想像してしまっているからだ。
”はずれ”を引いてしまったら痛いんじゃないか、傷つくんじゃないか。
立ち上がれないほどのボディーブローを食らうんじゃないか。
こう考えてしまうのは自分が臆病で自信がないから。
そして、箱の中に手を突っ込むということを長らく怖がってきたことによって、実際よりも怖いものという思い込みが形成されてしまっているからだろう。
まず前者に関しては性格の問題だからそう簡単に変えることはできない。
だから臆病で自信がなくても”当たり”を引くために考え方や見方を変えればいい。
そして、後者の思い込みは思い込みでしかなく、
「なんだ!全然怖くないじゃん!今まであれだけ怖がっていて損したわ!」
という体験をいくつかすれば案外すっと融解してくれるだろう。
事実、最近そのような体験をいくつもしていて、本当に溶け始めているもんだから驚きだ。
考え方をアップデートするという話で言うと、こんなことをふと思った。
”はずれ”くじにもグレードがあるな。
本当の大”はずれ”くじなんて言うのは、”当たり”くじを引くほど、もしくはそれ以上に稀なこと。
”はずれ”くじの大半は全然怖いものなんかじゃなくて、むしろそこから”当たり”を引くための教訓を得られたり、新しい発見があるから、むしろラッキーで。
また引いたときは”はずれ”だと思っていたものが、時間が経つと”当たり”に変わっていることだってあるだろう。
だから”はずれ”なんていう呼び方が悪い。
大”当たり”くじ、実は”当たり”くじ、超はずれくじ。
多分この3つで、なら全然怖くないじゃん!ということを思った。
この”当たり”と”はずれ”と”出会い”に関して大きな感銘を受けたのが、小島秀夫監督の著書「創作する遺伝子」の冒頭部分だ。
『出会いというのは偶然で、運命的なものだ。どこで何が繋がっているのかわからない。だから僕は、ただ漠然と待っているのではなくて、自らの意思で行動し、選択したうえでの出会いを大事にしたいと思うのだ。これは、人との出会いと同じだ。』
出会いというのはそもそも不確定性を孕むものだから、手掛かりになるのは自分の感性でしかない。
その感性を磨くためには、試行を繰り返して経験値を積むしかないし、それを効率良く進めていくためには、ただ漠然と待っているのではなくて、自らの意思で行動し、選択した方がいい。
それは”はずれ”を引いたときに誰かのせいで済まさないためにも。
出会いたい。
だからいろいろと経験して、感性を磨いていくんだ。
是非読んでみてください。
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