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メモ 私の言うところの旅、はつきつめれば広大なさんぽ
通勤がつらい、理由はない
6月27日(木)14時10分
6月27日(木)14時10分
実際には存在しない、いたはずの自分の姿が見える。インスタントラーメンが出来上がるのを待ちながら、本当なら会社でキーボードを叩いているはずの自分の姿が見える。この前会社で後輩に、ショートカットキーを色々と教えた。これやればクリックするより早いよとか言って、そうして節約された時間と今浪費している時間との大きさの圧倒的なスケールの差が可笑しい。
わかりやすい役割を見つけると張り切ってそれを演じようとする自分がしんどい。会社、実家、同窓会。
私は学校があまり好きじゃなかったはずなのに、中学校のクラスの同窓会の幹事をやっている。主催ではないが、私が「出欠回答してねー!」とか言っている。私は未だに学級委員を、優等生をやろうとしているだけなんだ。あーあ、と思う。
聴き慣れた、10代のときから何度も何度も何度も聴いてきた音楽、アルバムの次の曲のイントロが分かる、繰り返されるフレーズ、次は高音のアレンジが入るのが分かる、ボーカルのブレスの場所を知っている、何度聴いてもいつも同じ音が出力されている、逃げ込める場所。
10代から幾度も幾度も聴いた音楽で耳を覆い、あたまの中を満たす。情報を処理しきれない感覚過敏気味の朝。
キャンピングカーを買ってそれを住まいとして生きられないだろうか。わたしにとっては、海辺で寝転んだり、森の端っこの虫を眺めたり、七輪で肉を焼いて食べたり、朝の山の光をみたりすることが、いちばんのはずなのに。
週の後半から実家にいた。日曜の夜にほんの少しだけ恋人に会う。なんとなくざらざらとしていた心がまるくなって、やっと週末の気持ちになれた。
「人生を共に歩む」というフレーズは「結婚して、死ぬまで共に過ごす」ことを指して用いられることが多いように思うけれど、別にそれだけじゃないよなと最近思う。関係も、時間の長さも。
中学校の3年間を近くで過ごした友人とか、2年くらい会ってない幼なじみとか、1年間だけ付き合った恋人とか。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
まだ読んでないのだけど。
出勤時の読書はめまぐるしい。とろけるキャラメルのような物語に浸っていたと思ったら、乗換駅に着いて都会と人混みの匂いに巻き込まれて歩く。乗り換えて、また本を開いてしおりを探す。そんなギャップに身を晒すのはつらい。
先月は鬱々してましたが今月は今のところ上手く会社員をやっています。ちょっとげんき。
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休日の明るい時間に、洗濯物がベランダで風に揺れている景色はいいですね。(明るい時間に洗濯機をまわして干せたという意味で精神衛生上とてもよい。)