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朝ドラメモ

朝ドラについてメモ。
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2022年4月の記事一覧

『ちむどんどん』第15回 女らしさってなに?

1971年、沖縄返還前年。比嘉家はつつましく暮らし、二女の暢子は高校卒業後、就職寸前。しかし…

『ちむどんどん』第14回 昭和の悪しき偏見を殴り、進路を変えるヒロイン

1971年、沖縄返還前年。比嘉家はつつましく暮らしていましたが、青春には金がかかるのです。 …

『ちむどんどん』第13回 無職の家長

1971年、沖縄返還前年。比嘉家はつつましく暮らしていました。 金が湧くはずもなく、貧困は未…

『ちむどんどん』第11回 にーにーは気のいい昭和の兄貴だが

1971年、沖縄返還前年。比嘉家の面々が青春を満喫していました。 “男まさり”の暢子暢子は男…

『ちむどんどん』第12回 それぞれの青春

1971年、沖縄返還前年。暢子のにーにーこと賢秀は、妹の就職先社長の息子を殴ってしまい……。…

『ちむどんどん』第10回 一家の結束

暢子が一人、東京へ行くことになりました。 別れの沖縄そば暢子が上京する前に沖縄そばを食べ…

『ちむどんどん』第9回 一家困窮か、口減らしか

比嘉家に届いた手紙は賢三の叔母からのもの。子を一人、引き取りたいというものでした。 口減らしを勧める周囲優子を囲んで、近所親類がいい話だという場面。子どももバッチリ聞いてしまいます。朝ドラ名物盗み聞きは、それだけ家屋が開放的だったということでもある。冬は寒い。 この場面で辛いのが、誰も優子を気遣わず、むしろよいことだと勧めるところ。甘っちょろく、誰か(女性が多い)がこれみよがしに庇うこともない。優子は言い返せない。相手も借金保証人だからそこはシビアになります。 それに、本

『ちむどんどん』第8回 昭和の母はつらかった

やっとの思いで我が子にズックと体操服を買った母・優子。そうして見守る母の声援を受け、四人…

『ちむどんどん』第7回 母子家庭の運動会

父を失い、生活が苦しい比嘉家。運動会を前にするも、子どもたちはズックや体操服がボロボロで…

『ちむどんどん』第6回 父を失った母と子

父が倒れ、子が駆けつける。そんな週明けです。 昭和の急死賢三が倒れた時点で想像できた展開…

『ちむどんどん』第5回 親から子へ

生まれて初めてのレストランに連れて行かれ、暢子はちむどんどんしています。 一週目の動機付…

『ちむどんどん』第4回 宝である命をいただく

 豚のアババをつぶして来客をもてなしていた一家。毎日餌をあげていた子に、それを告げられな…

『ちむどんどん』第3回 沖縄は似ているようでちがう

 沖縄そばに、沖縄相撲。似ているようでちがう。そんなものがあふれている沖縄です。衣装の風…

『ちむどんどん』第2回 母は、戦争を思いだし泣く

 この朝ドラは見る価値があるかと言われたら、そうだと言えます。仲間由紀恵さんの演技だけでも見ておいた方がよろしいかと。 伝統、貧困、米軍、そして戦争 ヒロインが島豆腐はじめ沖縄料理を喜んで食べる。三線の音が聞こえる。沖縄の言葉。音からちゃんと沖縄に入ります。この音に、米軍機が飛んでいる音が当たり前のように入っているところに、誠意を感じますよね。これも沖縄の特徴だから。  このドラマは脇役がよい。父が民俗学者という青柳家。貧困に苦しむ砂川家。  青柳家が沖縄の伝統に興味を