『ちむどんどん』第6回 父を失った母と子

父が倒れ、子が駆けつける。そんな週明けです。

昭和の急死

賢三が倒れた時点で想像できた展開ではあるのですが、あらすじはいきなり運動会に富んでいます。案の定、賢三は心臓発作でした。医者も強心剤を打つことしかできず、やっと最期の言葉を絞り出し、亡くなります。
 この急死。健康診断も今ほど定着していないうえに、沖縄の田舎です。救急車がパッとくるわけでもなく、都市部よりもこういうときは死亡率が高い。
 生々しい死がそこにはある。こういう死のせいで平均寿命が今ほど長くなく、それゆえ医療費や福祉が云々。そういう話はやめておきまして。

こういう親が急死した体験談は、自分でなくても知り合いの知り合いくらいにはあって。あのおうちはそうだったんだと共有されて、想像できた時代があったわけです。
 ここで子どもたちが泣き、母も泣く場面が昭和らしい。なまじそれだけに、その下の世代は「こういうのもう飽きたしw」とひねっているのがいかんのではないかと思いました。
 この場面はひねりがない王道を素直に描いている。こういうのが見たかったと思える納得の場面です。
 軽薄に「ロス!」だの狙う死に方にはもう食傷気味ですので。

昭和の母子家庭

そして沖縄らしい葬儀。残されたいじがニライカナイというあたりとか、沖縄らしさがあってよいのですけれども。しかし、そのあとの苦難が生々しい。
 喪服をまだ脱がない未亡人が総額500ドルの借金をどうするのか、家を売るのかと言われるところが生々しい。子どももバッチリそのやりとりを聞いてしまう。聞く方も悪人ではなくて、連帯保証人だから仕方ないところではあるのです。

優子は働いて返すといい、工事現場の賄い婦になります。早朝から働きづめ。あれだけの大人数の食事を作るのですから、それはもう大変です。
 ああいう賄い婦の女性が「私は飯炊女〜」と卑下することを言い、笑いをとる朝ドラがあった。ああいうくだらないことはもうやらんでいいから。
 そうやって働いても、渡される給料はほんの少しで。これでどうしろというのかと、暗澹たる気持ちになります。
 仲間由紀恵さんは化粧っけもなく、汗臭そうなおばちゃんになっている。朝ドラの母親役は、専属メイクをつけてヘアスタイルがどうこう、週刊文春に語ることがステータスになるもんじゃないと思う。くたくたになって帰ってきても、我が子に風呂を先にゆずってしまう。疲れているのに、子どもは夕食の席で喧嘩する。おそろしい状態が続きます。

こういう母って、実はこれまた知人の知人くらいが味わったあるある話で。美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」なんか、典型例ですよね。
 そんな記憶を忘れてしまうと、オカルト回転焼きを焼くだけで過程を支えられる、そんなありえない母親がドラマに出てしまうわけです。

やっとまっとうな朝ドラ、昭和が戻ってきたと思います。なんだかここ数年のダメなサブカル朝ドラがハードルを下げたおかげで、やりやすくなったとは思ってしまいます。
 つかみがすごくいいドラマです。

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