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教育実習日記①〜鬼軍曹との闘い〜

鬼軍曹との闘い編

はじめましての瞬間から想像を絶する日々が来るなんて思いもしなかった。

教科指導もクラス指導も鬼軍曹から受けることになり、逃散できないことに絶望したのは言うまでもない。

主任まで務めているキャリアウーマンである彼女の多忙さの中に、私のような未熟者が放り込まれ、さぞかし億劫なお荷物になっていたことと思う。

それでも3週間と言う短くも長い死闘の日々は始まったのである。





私は中学2年生の社会と高校3年生の政治経済を担当することになった。

まず中学と高校では全く生徒の雰囲気も異なるところに注目していただきたい。

しかも、この2つを先生の普段の授業の様子を見学させてもらえなかったのが1番大きな痛手になった。

鬼軍曹による授業の方針も進め方も一切分からないまま闘いに突っ込むことになったのである。

敵の戦略を知らずに闘いに挑むなんて話にならない…と後から後悔させられた。

与えられた範囲の全て(学習指導案・パワーポイント・配布用のプリント・板書)を必ず提出すること・日曜日には休むことなくメールでの指導・夜はzoomによる指導とハードすぎる熱心な指導を受け賜った。

ポイントは学習指導案が略案ではないことを大きな声で伝えておきたい。

これがとんでもなく辛かった。

それだけではない。

提出した物は片っ端から練り直しという名の白紙に戻して返却してくれるのである。

しかもどこが気に入らないのか、直してほしいところも具体的に指導してもらえず、ダメ出しばかり聞かされて何をどう改善すればいいのか分からないままだった。

きっと“自分で気づけ“と言うメッセージが込められていたと思いたいのだが、真相は分からぬままだ。



また、連日続く授業準備を完成形にしたところで全てがお気に召さないご様子の鬼軍曹にどうしていいか分からず、毎日学校でも家でも涙をこぼした。

最終日の授業なんて与えられた範囲ではなく、違う範囲を与えられ授業形態も変更との司令を受けた。

これが前日の17時30分ごろに宣告されたのだ。

気合いを入れて作り上げたパワーポイントもプリントも生徒に見せることなくゴミ箱行きになった。

丁寧に作り上げたものが全て“さよなら“になるなんて、本当に辛かったし悲しかった。

慈悲の心や労いの気持ちが一切感じ取れない鬼軍曹に私は呆気に取られてしまった。

学校から帰宅して放心状態のまま、味のしないご飯を流し込み、涙と一緒に外気の汚れを洗い流した。

あと数時間後には授業があるのに、手元には授業準備がゼロのまま。

時計の針は止まらないし、パソコンからは無機質な光が延々と発せられる。

体調も気分も悪いまま、閉じそうになる目をこじ開けて鉛のような身体を椅子に縛り付け、生徒のためにどうにか授業の形を作り上げ、一限の授業を行った。




全ての授業が終わり、鬼軍曹からの最後のお言葉は「いろいろ言ったけど、授業はできていたから大丈夫よ。」とのことだった。

あんまりにもサラッと言われたせいで、私の心の中のざらつきは行くあてを失ってしまった。

何も言わずに退勤されたり時間外に指導されたりと、他にもいろいろ引っかかるものがありすぎて整理するのが難しすぎる。

たぶん私以外の人間がこの鬼軍曹とタッグを組むことになっていたら、確実に耐えられなくて辞めていたと思う。

その点に関して周りの実習生の仲間も同感していたし、私が引き受けて良かったような気も少なからずある。

とはいえ私がもう無理だと心が折れた時に、背中をさすってくれたり、アドバイスをくれたり、気分転換になるような話題を話してくれたり、ジュースをそっと供えてくれた仲間には頭が上がらない。

支えてくれて本当にありがとう。

まぁ、こんな経験とこれ以上の人間に出会うことはそうそう無いと信じて今後の自分の糧にしていきたいと思う。

以上が鬼軍曹との闘い編でした✏︎

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